2010年8月26日 (木)

地蔵盆

八月は盆月と言われ、宗教がらみの行事が多い。

その一つに地蔵盆がある。

地蔵菩薩 (じぞうぼさつ)は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされる。一般的には「子供の守り神」として信じられており、よく子供が喜ぶお菓子が供えられている。
一般的に、親しみを込めて「お地蔵さん」、「お地蔵様」と呼ばれる。

地蔵盆は、8月23,24日を中心に行われる地蔵菩薩の縁日である。昔は陰暦7月24日であった。辻々にテントを張り、地蔵の涎掛けを新調し、提灯をつるし、果物や菓子を供えて祀る。

浜名湖の猪鼻湖に突き出した半島の先端に近い、三ヶ日町大崎の「宝珠寺」でも毎年8月24日には地蔵盆が行われる。Photo

当日は夕方の6時半頃になると、信者が集まり、予め用意された燈籠に願い事や、俳句などを書いてお納めする。写真はその一部の絵灯篭がそろそろ準備されだした状況を示す。
Photo_2 当夜の行事は、

まづ、本堂内に於いて、般若心経の唱偈から始まり、大般若経の転読(大分の経文の略読の方法)が、僧侶たちの掛け声もろともに行われ、消災呪(しょうさいしゅう)の三読等の唱偈を交えて、読経が終わると、前述の各自が予め書いた絵燈籠に灯を入れて、それを寺脇の岩の上とか、階の端(写真)とかに供えて夫々の想いを込めて祈りを捧げ、済むと三々五々帰路に付く。

聞くところによると、去年までは寺の境内にある六地蔵の前で行われたと聞くが、今年は他の要因もあって本堂内で行われたと言う。

然し、本来の意味からすると、去年までの方法の方が本来の地蔵盆に相応しいと思った。
供えられた燈籠の灯は、長い階の上まで続いて赤々と燃えていた。

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2010年8月19日 (木)

大文字

8月16日には「京都五山の送り火」がある。盆の送り火であることは周知の通りである。
このことに就いては先に「大文字」にも書いた。しかし前述のような経緯もあって、今まで自分の眼で直接見たことはない。

今度、機会があって友人達と拝することが出来た。
Photo宿泊したホテルの屋上がそのまま五山送り火の見学場所になっている。
「大」の字が点火されるに先立って京都タワーの灯も消され、それ以外の市内の主だった灯も消される。ホテルの宿泊者も部屋を出る時には、部屋の電気を全部消して出る。
ホテルの位置は、「大」の字の燃え上がる如意ケ岳の南西にあるために、其処からの「」は写真のような景になる。

屋上は多勢の人々で混んでいたが、親切な方が席を譲ってくれたので最前列ではっきりと見る事が出来た。夜景なので写真の手ぶれは仕方ない。

如意ケ岳の「大文字」は20.00に点火され、その向かって左方松ケ崎の「」は20.10に、更に左方の西賀茂の「船形」は20.15に、夫々点火される。此処までは屋上から見ることが出来る。これだけ見ることが出来れば十分である。
(五山送り火の内の、左大文字(北山)、鳥居形(奥嵯峨)は、屋上からは残念ながら見ることは出来ない。)
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写真は「船形」で屋上から見えるうちの最左端にある。

最初に「大文字」が点火されると、一種のどよめきが起る。
人それぞれの想いで見ているのであろう。続いて「妙・法」が更に「船形」が点火されてゆくと、人たちはその場に立ち尽くして声もない。

大多数の人は恐らく観光の一環として見るのであろうが、或る人達にとっては特別な想いで拝するに違いない。
掌を合わせている人達が居る。あの人たちは八月ということも考えると戦争に関係のある人たちかも知れない。或いは近親者の霊安かれと祈っているのかも知れない。

私は、点火され「」の字が浮き上がってきた時には、「嗚呼、弟もこれを見たのだなあ」と思ったらつい目頭が熱くなった。

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2009年5月10日 (日)

善光寺ご開帳

善光寺のご開帳は7年毎に行われ、今年はそのご開帳の年に当たり、4月5日から5月31日まで行われる。

善光寺に就いてWikipediaに拠ると、『山号は定額山(じょうがくさん)。古えより、四門四額(しもんしがく)と称して、東門を定額山善光寺、南門を南命山(なんみょうさん)無量寿寺(むりょうじゅじ)、北門を北空山(ほくくうさん)雲上寺(うんじょうじ)、西門を不捨山(ふしゃさん)浄土寺(じょうどじ)とし、天台宗と浄土宗の別格本山ともなっている。

天台宗の大勧進と25院、浄土宗の大本願と14坊により運営されている。大勧進の住職は「御貫主」と呼ばれ、天台宗の名刹から推挙された僧侶が歴代住職を勤めている。大本願はこの手の大寺院には珍しい尼寺で、門跡寺院ではないが代々公家出身者から住職(大本願では「上人」という)を迎えている。現在は鷹司家出身の鷹司誓玉が121世法主となっている。

特徴として、日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられていること、旧来の仏教では排除の多かった女性の救済(女人救済)があげられる。

本堂の中の「瑠璃壇」と呼ばれる部屋に、絶対秘仏の本尊が厨子に入れられ安置されていている。その本尊は善光寺式阿弥陀三尊の元となった阿弥陀三尊像で、その姿は寺の住職ですら目にすることはできない。 瑠璃壇の前には金色の幕がかかっていて、朝事とよばれる朝の勤行や、正午に行なわれる法要などの限られた時間のみ幕が上がり、金色に彩られた瑠璃壇の中を部分的に拝むことができる。

また、日本百観音(西国三十三箇所、坂東三十三箇所、秩父三十三箇所)の番外札所となっており、その結願寺の秩父三十四箇所の三十四番水潜寺で、結願したら、長野の善光寺に参るといわれている。』と、ある。

善光寺本堂に安置される御本尊一光三尊阿弥陀如来は、白雉5年(654)以来の秘仏。その後、鎌倉時代に御本尊の御身代わりとして前立本尊が造られた。
前立本尊は、中央に阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が並ぶ、善光寺独特の一光三尊阿弥陀如来のお姿をされている。普段は御宝庫に安置されているが、七年に一度の御開帳の時だけ、特別にお姿を拝むことが出来る。
Photo_3 
ご開帳のあいだ、ご本堂にお迎えした前立本尊さまの右手中指に結ばれた金の糸は五色の「善の綱」につながり、その綱がご本堂正面に聳える回向柱に結ばれている。
前立本尊さまが右手をあげ、掌を私たちの方に向けておられる姿は、人々の不安や苦しみを取り除いて下さるという意味を表している。その回向柱に触れることによって、ご本尊さまとご縁が結ばれ、極楽往生ができるとされている。また「善の綱」は、仏さま、ご先祖さまと自分を結ぶ命の綱とも言われている。

Photo_5 回向柱は、松代藩が現在の本堂建立の際、普請奉行にあたったというご縁から、毎回松代町から奉納され、本堂前に立てられる。高さ10メートルの回向柱には前立本尊の右の御手に結ばれた金糸が善の綱となって結ばれ、柱に触れる人々にみ仏のお慈悲を伝えてくれると言われている。

写真はその回向柱のレプリカで、左は7年前に求めたもの、右は今回のもの。7年経つと色もこのように重みを増してくる。

ご開帳の時は、通常のお参りに加えて、

回向柱(善の綱)に触れること、
ご戒壇巡り(これはご開帳以外のときも可能)というご本尊さまの真下を通る、真の闇の廊下を通り、ご本尊さまの真下にある錠前に触れて、仏の慈悲と知恵を頂けるように願う。

  春の闇弥陀結縁の錠に触る  山口青邨

それから、特別公開の山門の高楼に登ること
が出来るが何れも、順番待ちの行列が出来る。

  蚕飼(こがい)する国や仏の善光寺 正岡子規
と子規は詠ったが今は養蚕の家は殆どなくなった。
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  石畳踏んで朧の善光寺          田中美穂
  花の中御回向柱聳えけり  
  御開帳ねぢれ柱に数珠売女       西本一都
  冠着山の雲被(かず)きたり御開帳   宮坂静生

私は旧制中学時代は、自転車通で毎日善光寺の直ぐ傍を通ったものだが、いつでもお参り出来ると言う気安さからだろうが、時に頭を下げるくらいで本格的にお参りした記憶は余り無い。
その分、現在は長野へ行った時は努めてお参りすることにしている。そして今回は偶々ご開帳とあって、その機会に恵まれた。

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2009年5月 7日 (木)

満願

お寺さんの主催で各地の33観音巡りをしているが、その内の西国33観音巡拝が今度満願となった。西国巡拝の内で特に記憶に新しい処では、上醍醐寺観音正寺がある。

いつも一泊二日の旅で春、秋各2回の旅である。この旅行の難点は2つある。
第1は老人や足腰の悪い人たちもいるので、なるべく参拝する場所の近くまで車で行けるように、小型のマイクロバスを使うが、歩く距離が少ない代わり、長距離を走るときは疲れる。エコノミークラス症候群と言われる飛行機よりもっと狭くてきついが、トイレ休憩を適当に取るのでその点は違う。
第2は一泊二日の巡拝は効率が悪い。往復の時間にとられて、お参りする時間がそれだけ制約される。二泊三日の方が真ん中の一日が丸々使えるので、効率が良いのだが、家庭の主婦は二泊の旅は制約があって行けない人が多いので妥協の結果、一泊二日となる。

今度の西国33観音巡拝はそのような事情があって、平成18(2006)年4月から今度の平成21(2009)年4月まで、計7回・14日で満願となった。

今度巡拝した寺は、岐阜県揖斐川町にある第33番札所で満願霊場である華厳寺と、第1番札所である和歌山県那智勝浦町青岸渡寺(せいがんとじ)の2寺である。
前者は岐阜県と言っても大垣の北方であり、後者は紀伊半島の先端近くで走行距離の長いのが問題だった。

Photo_2  第33番札所の華厳寺は満願の寺で、長い石畳の参道とご多分に漏れず高い石段がある。こんな山奥の寺なのに参道の両側には40数軒の土産物を売る門前町が開けているのには驚いた。

地域も比較的に北方であるため花も遅かった。
俳句の吟行の旅とは違って心経をあげ夫々の想いを込めて祈り、最後は御朱印を頂いて帰るという順であるが、楽しみは、新しい風景や人に触れ、特に女性にとってはお土産買いがある。

那智勝浦の宿舎は「海のホテル 一の滝」で、文字通り熊野灘の那智勝浦港に面しているので久しぶりに熊野灘の日の出を拝すことが出来た。
Img_6707 海の日の出は美しい。そして神々しい。日の出の時間を女将から伺って少々寒い中、窓を開けて日の出を待つ。
日の出を待つ時の一種独特な雰囲気と、胸のときめきが好きだ。
日の出の瞬間の景がなんと言っても素晴らしい。感じ方は人それぞれであろう。(写真はクリックで拡大)

写真の島は弁天島と呼ぶ。大潮の時は陸地とつながって歩いて行けると言う。
このホテルの女将は絵がお上手で二階のロビーには彼女の描いた絵が何枚か掲げられていて爽やかな雰囲気があった。

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青岸渡寺は第1番札所で音に名高い那智の滝のあるところ。長い石段を上ってゆくと、塔頭(たっちゅう)が並びその向こうに那智の大滝が望まれ、更に熊野灘が眼前に開ける。
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滝の上に水現れて落ちにけり  後藤夜半

滝落ちて群青世界とどろけり   水原秋桜子

滝といえば直ぐに思い出すのはこの句で、実景と荘厳さを巧みに詠みこんでいて妙である。

まこと神の滝にふさわしい。

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2009年1月13日 (火)

参道ことわざのみち

西国33観音の第32番札所に繖山(きぬがさざん)観音正寺(しょうじ)がある。
滋賀県蒲生郡安土町の標高433mの繖山頂上近くにあり、参道は札所の中でも難路として知られている。
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写真の本堂は平成5年に消失し、平成16年に落慶した木肌も白い本堂である。
眼下には蒲生野と呼ばれる平野が開け、万葉集に残る有名な額田王と大海人皇子の歌の舞台である。
Photo_5 本尊は千手を刻んだ光背を付けた、丈六千手千眼観世音菩薩像でやはり平成16年に開眼された。
聞くところによると、材料のインド産白檀は、国外持ち出し禁止となっているが、インド政府から特に許されて得たという。

昨年11月に参拝した時にこの参道を歩いたが、その長い路の辺に写真のような諺を書いた立て札が適当な間隔を置いて立っている。
長い参道もこの諺を読みながら上ってゆくと、いつの間にか本堂に辿り着くように仕組まれているように感じた。

その一連の諺を「参道ことわざのみち」と題する小冊子にしている。その序によると『先人はたくさんの名言、名句を残し後世の人々に言い伝え、現在の我々に希望と反省を与えてくれています。云々』とあり、麓から本堂まで1から33までの諺が書かれている。
受け止め方は人夫々であろうが、的を射た言葉を連ねているのでそのまま書いてみる。

 1.人の一生に厄年はない、躍進の「やく」を考えよ
 2.今日一日を大切に感謝の気持で最善をつくそう
 3.祖先は自分の中に生きている、祖先の徳に感謝しよう
 4.人生には真の失敗はない、前進する一過程である
 5.安易な生活からは人生の貴重な体験は生まれない
 6.楽なことを幸福と思っていては人生の深い喜びは味わえない
 7.姿かたちを真似るよりその人柄の良さを学ぼう
 8.人知らずとも良心これを知る
 9.子供は両親の言う通り行動しないで、する通り行動する
10.夫婦の円満は互のはたらきを感謝し合うことから生れる
11.楽しい人生の中には必ず苦しい時代の経験が生きている
12.言いわけはすればする程自分をみじめにする
13.友情とは二つの身体に宿る一つの魂である
14.明日は何を為すべきかを知らない人は不幸である
15.人を笑わすよりも自分が笑われぬようにせよ
16.積善の家には必ず余慶あり
17.行き詰りは環境のせいではない、自分の心の行き詰りである
18.失敗を恐れるな、成功は失敗のつみ重ねである
19.わが子は深い愛情で育てられながら親を養うことは忘れ勝ちである
20.その人を知らんとすればその友を見よ
21.真の礼儀は人を尊ぶ心を形に現すことである
22.金を貸せば友と金とを共に失う
23.食物に対して文句の多い人程健康を害している
24.最も幸福な人はいつも行動している人である
25.友情は喜びを二倍にし、悲しみを半分にする
26.かけられている迷惑よりかけている迷惑は気づかない
27.責任を負ってこそ自由がある、責任のない自由は許されない
28.相手だけ責めるから争になる、反省の余地はまだある
29.真心から出た言葉は相手の心をも動かせる
30.人間は逆境にきたえられて自信と確信が生れる
31.一歩一歩の尊さ
32.人はあるものを粗末にし、ないものを欲しがる
33.昨日より今日、今日より明日 

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2008年8月28日 (木)

上醍醐寺

8月24日の深夜、京都市伏見区にある上醍醐寺で、本尊の准胝(じゅんてい)観世音菩薩を祀ってある、准胝堂が全焼した。

附近には国宝の薬師堂、重要文化財の開山堂、同じく如意輪堂がある。
写真は2006年11月に参拝した時の准胝堂である。
Photo
醍醐寺に依ると、『23日23時頃、大きな雷鳴の直後停電があった。火災はその後に起きたとみられ、「落雷が原因と思われる」』としている。山科署によると、『火災に気づいた僧侶二人は、山中で携帯電話が通じず、停電で電話も使えなかったため、徒歩で下山し通報した』という。
この准胝堂までの山路は麓まで3Km以上歩かなければならない。

Photo 写真(2葉)は、その山路の一部の写真である。
ガイドブックによると西国札所中、もっとも苦しいところで、この観音は「汗観音」とも言われ、それだけ上るのに大変な所という事であろう。
私たちが参拝した時も、老人が主体ともあって、行けども行けども、たどり着かない感じで、降りてくる人に聞いて見ると「まだ序の口ですよ」とか「まだ半ば位でしょう」などと言われ、一人で行ったら恐らく途中から引き返してしまったかもしれない。それだけに上りきって観音堂に辿りつくとほっとして清々しい気分にもなる。下界には京都の市中が広がって眺望も絶佳である。
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准胝堂に就いて寺の説明書から必要箇所だけ抜粋すると、
『創建は貞観(じょうかん)16年(874)で…開眼法会が営まれた。しかし再度の炎上と再建を重ねたことは惜しみてもあまりあるものがある。…この新堂は、十方施主の浄財寄進により、昭和43年5月に再建落慶をみたものである。』と、ある。

これだけの堂が再建後僅か40年で再び消失するとは大変なことである。
歴史ある大寺であるから当然再建されるに相違ないが、幸い今回の火災を免れた国宝や重要文化財もある。
今までの火災原因を精査し、防火・消火に就いて、通信手段や景観も含めて、至急抜本的な対策を講じて欲しいと願うのは私だけではないと思う。

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2008年1月24日 (木)

再び蘇民将来

日本各地にある国分寺の内でも、信州上田の信濃国分寺は特に有名で、今も仁王門、本堂、三重の塔、鐘楼等の主たる建造物が現存し、参詣人が後を絶たない。参詣した時にお守りの「蘇民将来」を受けることが出来る。

蘇民将来の謂れや信濃国分寺に就いては、既に書いた蘇民将来に詳しい。毎年1月7,8の二日間は同寺の縁日で、この日に限って受けられる蘇民将来がある。写真の中央がそれで、大きさは高さが約245mm、6角形の長辺は約85mmある(尚「蘇」と「蘓」は同字)。左右のものは通常御参りした時にも受けられる。六角形の夫々の面には「蘓民、将来、子孫、人也、大福、長者」と書かれている。
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Img_29771 地元新聞に依ると,縁日には境内に200軒もの出店が軒を連ねると言う。特に有名なのは達磨市で、中には一抱えもあるような達磨さんを抱えて帰る人もある。大方、商売繁盛を願っての事であろう。

今年の8日は天候にも恵まれて例年にも増して人出があった模様でお陰でバスの時間などは渋滞で全く当てにならなかった。

念ずれば花ひらく」の気持も何処かにあるのだろう(尤もこれは坂村真民の詩の一節で、真民の母の念仏といってもよい自己激励の言葉)。
  念ずれば花ひらく年立ちにけり  岡本昌三

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2007年8月17日 (金)

遠州大念仏

7月、8月は新旧の盆月とあって、遠州地方では大念仏が各所で見られる。遠州大念仏は、無形民俗文化財にも指定され、遠州地方では「大念仏」は地方季語として認められている。 
浜松市ネットに依ると、『遠州大念仏は、遠州地方の郷土芸能のひとつで、初盆を迎えた家から依頼されますと、その家を訪れて庭先で大念仏を演じます。
 大念仏の団体は、必ずその家の手前で隊列を組み、統率責任者の頭先(かしらさき)の提灯を先頭にして、笛・太鼓・鉦(かね)の音に合わせて行進します。笛・太鼓・鉦(かね)・歌い手、そのほかもろもろの役を含めると30人を越す団体となります。
 大念仏の一行が初盆の庭先に入ると、太鼓を中心にして、その両側に双盤(そうばん)を置いて、音頭取りに合せて念仏やうたまくらを唱和します。そして、太鼓を勇ましく踊るようにして打ち鳴らし、初盆の家の供養を行います。
 江戸時代のもっとも盛んな時には、約280の村々で大念仏が行われていました。
 現在、約70の組が遠州大念仏保存会に所属し活動しています。
 また、現在も犀ヶ崖では、毎年7月15日に三方原合戦の死者の供養として、遠州大念仏が行われています。』と、あるように組織だった念仏集団で鉦や太鼓の音に合わせて「太鼓きり」と言われるように太鼓を切るように踊りながら叩く様はその歌枕と共に深い感動を催す。
Photo
Photo_2 今年はお付き合い頂いているお寺さんの初盆とあって、お伺いして近くで見ることが出来た。

矢張り祖先を敬い、初盆の霊を慰める行事として定着している感が強いが、このような雰囲気が段々失われている中で、このような行事は精神的にも周囲への影響も大きいだけに大切に残したいものの一つである。

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2007年8月16日 (木)

大文字

8月16日、NHK TVの午後7時30分から8時45分にかけて「京都五山の送り火」の実況放映があった。
私は今まで物の本やネット等であらましは承知していたが、実景を見たこともないし、見ようともしなかった。それには理由があるが後に記すとして、今日の放映は複雑な気持で見た。

大文字」は、秋の季語になっていて、角川俳句大歳時記に依ると次のように書かれている。

『8月16日の夜、京都東山の一峰如意ケ岳(大文字山)山腹に設けた、大の字に形どった火床に薪を積み火を点ける、お盆の送り火の一つ。赤々と燃え上がる大の字は洛中の何処からも見える。ほぼ同時刻に松ケ崎の妙法、西賀茂の船形、衣笠大北山の左大文字、奥嵯峨の鳥居形も点火される。これらを合わせて五山の送り火と呼ぶ。大文字は「大文字の火」の略。なお京都では「大文字焼き」とはいわない。大文字が終ると京都は秋の気配が立ち始める。(大石悦子)』
Dai2002

写真はネットより引用させて頂いた、如意ケ岳の大文字の情景である。
送り火というからには当然仏教の盆行事の一環で起源等は余り明白ではないが広く知られ信仰されている。

京都大学・電気工学科4年在学中だったは、銀閣寺の傍に下宿していて其処から吉田山を望みながら毎日通学していた。私も、しばしば会社の休日等に弟を下宿に訪問した事があった。将来話し相手になってくれるで有ろう事を期待していた弟だった。
1958年の夏休み、彼は下宿先で大文字を見終わり、その夜の北陸線(当時の列車は現在から見るとがたがたのお粗末なもので、蒸気機関車で走っていた)に乗って郷里の長野へ向かう途中で思わぬ事故に遭って急逝した。以来私は京都だけは行く気にもなれず、年に10数回浜松から大阪への出張で京都を通過したがついぞ京都だけには下車しなかった。
しかし2004年にS誌の全国大会があって、それに出席したのを機会に解禁したが、其の後も行く機会を積極的には作っていない。

今日改めてNHK TVの実況放映に依って、その全容を垣間見ると共に、五山の送り火に手を合わせ祖先の霊を見送る敬虔な風景は日本的な麗しい情景と思った。最近は兎角実利に走り、自分本位の言動が目立つ中で、このような情緒ある祭事がいかに人の心に潤いを持たせてくれるものであるかを知ると共に、今後も絶やすことなく続けていって欲しいものだ。

放映を見ながら改めて、弟のことをしみじみと思い出していた。

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2006年4月 4日 (火)

蘇民将来

聖武天皇時代に発せられた国分寺創立の詔により、各地に国分寺が創立された。其の中でも信州上田の、信濃国分寺は有名で、仁王門・本堂・三重塔・鐘楼等を始め主たる建物が現存している。

Ueda_kokubunji_2 この国分寺で受ける護符の「蘇民将来」は有名である。

「蘇民将来は木製の六角又は八角で塔状をなすものや守札があり『大福長者蘇民将来子孫人也』などと記す。八坂神社末社や長野県上田市国分寺の八日堂をはじめ諸国寺院から出す」と広辞苑にはある。

Ueda_kokubunji2 蘇民将来という情深い者が、巨丹(こたん)長者に宿を断られた旅人を厚く遇し、その言葉に従い柳の木に「蘇民将来子孫人也」と書き、これを携帯し門戸に掲げて、その子々孫々が災厄を免れ繁栄したという説話による。

この旅人は薬師如来の化身である牛頭(ごず)天王であって、奈良時代からこの信仰が広く広まり、薬師如来や牛頭天王を祭った各地の社寺では「蘇民将来子孫門戸也」と書いた紙札や板のお守りなどを出されたが、現在まで伝わっているものは極めて少なく、この信濃国分寺のものが最も著名となっている。

この蘇民将来の原木はドロヤナギ(ヤマナラシ)で、この木は木目が目立たず加工しやすい事や、薬木と言われていることなどの理由で信濃国分寺ではこの木を使っている。信濃国分寺の蘇民将来は大小7種類あり、高さ3寸(約9cm)の護符は常時お参りに行ったときに受けることが出来、最大のものは正月の8日まで(受けられる人は念の為日時確認要)の参拝者に限って受けることが出来る。(蘇と蘓は同字)

Somin_syorai

今回受けてきた蘇民将来は3寸もので、嘗て京都の石塀小路を歩いた時にも、伊勢神宮の土産店街でも見かけた事がある。

各地に残るこの種の信仰は、土地人にとっては特に大切なもので、この種の信仰が気持ちの上に潤いを持たせ、祖先崇拝にも繋がっている事を見逃す事は出来ない。

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