2014年11月28日 (金)

或る音楽会

或る経緯があって、母校の小学校の音楽会に招待された。私が同校を卒業したのは昭和13年(1938)3月だったから、あれから76年余の歳月が流れた。

昔懐かしい校舎が2棟あるほかは校舎も校庭も変っている。校舎の耐震工事等がほぼ終了した10月30日に音楽会が開催された。

76年という歳月を考えると、目の前の児童は勿論だが、児童たちのご父兄や、先生方もまだ生まれていらっしゃらなかった頃のこと。昔のことは茫々として忘却の彼方に霞んでいる。
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音楽会は1部2部に別れ、全校生徒の二部合唱が1部2部の始めと最後に行われる他は、1年生から6年生まで合唱があり器楽合奏があり夫々日頃の練習の成果を発表して惜しみない拍手を受けていた。

生徒が顔中を口にして歌っている姿、懸命に楽器を演奏している姿。其の真剣さ、一所懸命さは何と美しいものか私は思わず涙ぐんだ。そして唱歌「ふるさと」の歌詞を思い起こしていた。「こころざしをはたして、いつの日にか帰らん、山はあおき故郷、水は清き故郷」誰しも心の中に思っているからでしょうか。

私たちの世代と現在の世代とは環境が全く変わっていることを考え、私たちには細部のことは判らないにしても今度の音楽会で頂いた感動は忘れない。人は感動の心を忘れてはならないとも思った。そして感動を起させる仕組みを考える必要性も感じた。

私は音楽会を通じて児童たちに、そして指導される先生方に多くの教訓と強い感動を頂いた。世代が、環境が変ろうとも、(PTAの皆さんとの良好な関係の下)この先生方がいらっしゃる限り、この児童の真剣さが心にある限り、児童たちがこれからも努力して立派な人になってゆくことを信じて疑わない

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2011年11月 4日 (金)

東地中海に咲く百合

文化の日、東京・王子駅近傍の、「北とぴあ・つつじホール」で、「東地中海に咲く百合(Lilium Orientalis)」と題する音楽会が開催された。

本公演の狙いは、「1192年から1489年までリュジニャン王家によって支配されたキプロス島では、地中海の東端に位置しながらヨーロッパ文化、特にフランス文化が栄えていた。特にその文化活動が盛んになった15世紀初頭のこの島の音楽を伝えるのが、Torino J.II.9という写本である。歌と当時の楽器を用いながら、この写本に含まれる宗教曲(ミサ曲)、及び当時の王妃とともに作曲家としてキプロス島へ移り、最新の音楽を伝えたジレ・ヴリュの作品を扱い、当時キプロス島にもたらされ、そして醸成された中世末期のキプロス島における宗教音楽環境の再構築を試みる。 」である。

演奏者は、
   横町あゆみ・名倉亜矢子長尾譲春日保人
   プサルテリウムオルガネット矢野薫
   フィーデルなかやまはるみ
   リコーダー音楽監督守谷敦

守谷敦によると、「Liliumとは百合のことでフランスの象徴である。殆どの楽曲が現在ヨーロッパ内でもほとんど演奏されることなく、日本では初演であろうこれらの作品群は、中世末期に地中海の東に咲き誇ったまさに東方の百合である。そして今日21世紀に日本でこれらの楽曲が奏される時、それはもう一つの東方に咲く百合、Lilium Orientalis と呼ぶことができるだろう。」と述べている。

上記写本は5ブロックに明確に分けられている。①単声聖歌 ②多声ミサ曲 ③モテット ④バラード ⑤ヴィルレ&ロンドー で、今回の演奏は②ブロックに収められているミサ曲である。

楽器も当時の楽器とあって聞きなれない、または見慣れないものがあり、ネット情報から拾って見ると
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写真左はプサルテリウム、中はオルガネット(手前の人が弾いている携帯用パイプオルガン風の楽器)、右はフィーデルの一種で、それにリコーダーを加えた楽器と 声楽によって演奏された。(写真はいづれもクリックで拡大します)

演奏は守谷敦の鳴らすスモール・ベルの音から始まって、1時間15分間、途中休憩も無く続けられた。宗教曲とあって、終始荘厳な響きと心地よいハーモニーを場内に響かせ、数百人の聴衆も聴きほれた。
会場は節電ということもあったのか比較的暑く、休憩なしの1時間15分は演奏者も大変だったろう。

それにしても限られた日時の内に、夫々の演奏者が、これだけの曲を理解し、合わせ、そして一糸乱れない演奏をして聴衆を魅了させたのに感動した。

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2011年9月21日 (水)

再び、出発(たびだち)の歌

昨夜(9/20)夕食後のひと時、偶々NHK・TVのスイッチを入れたら、懐かしい歌声が飛び出してきた。
聞いた瞬間に、上條恒彦の「出発(たびだち)の歌」と判った。私にとってはY社時代の懐かしい思い出の一齣である。
放映は、「歌謡チャリティーコンサート:神戸から歌で復興のエール」と題するコンサートだった。その番組の最後をこの歌で締めくくったが、丁度それを聞くことが出来た。作曲は「六文銭」の小室 等、作詞は及川恒平で歌詞は、

 乾いた空を 見上げているのは誰だ
 おまえの目に 焼き付いたものは化石の街
 愛のかたちが壊れた時に
 残されたものは出発の歌
 さあ今 銀河の向こうに
 飛んで行け

 乾いた空を 見上げているのは誰だ
 おまえの耳を ふさがせたものは時計の森
 自由な日々が失われた時に
 残されたものは出発の歌
 さあ今 銀河の向こうに
 飛んで行け

 さあ今 宇宙に
 さあ今 未来に
 さあ今 宇宙に
 さあ今 未来に
 飛んで行け

上條恒彦は1971年、グループ「六文銭」と共演した『出発(たびだち)の歌』で、三重県合歓の郷で開催された「ポピュラーソング・フェステバル'71」のグランプリを受賞。次いで11月、第2回世界歌謡祭でグランプリ・歌唱賞を受賞した。

世界歌謡祭での当時を思い起すと当然のことながら、あれから40年の歳月を刻んで居る。しかしそれにもかかわらず上條恒彦の声量もさほど落ちては居ないし、容貌も当時を思い出させるに充分で40年前の、あの日本武道館での懐かしい世界歌謡祭の興奮が髣髴と蘇った。

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2009年3月 5日 (木)

出発(たびだち)の歌

雛祭り3日の夜8時から、NHK・TV 「歌謡コンサート、ああ人生・旅立ちの歌」 が放映され、その中で、上条恒彦小室等が 「出発(たびだち)の歌」 を歌うと聞いて迷わず見た。
あれからもう40年近くなる。あれからとは、ヤマハが 「世界歌謡祭」 を始めた年からのこと。

世界歌謡祭とは、ヤマハ音楽振興会が主催し、大阪万博が開催された1970年から1989年まで計20回、毎年秋頃に日本武道館の大ホールで開催された歌謡曲のコンテスト。1970年に東京国際歌謡音楽祭として開始され、翌年からは世界歌謡祭に改称された。
テレビは、フジTVと日本TV。ラジオは、ニッポン放送でそれぞれ放送した。

各国の予選を通過して来た各歌手の熱演は、あの広い会場を圧倒した。そして、第1回のグランプリは、イスラエルの 「ヘドバ と ダビデ」 が歌った 「ナオミの夢」。グランプリ受賞時の会場の興奮は今も鮮明に残っている。

以後、この歌謡祭は歌謡界登竜門の観を呈し、グランプリ獲得者は一気に有名になった。
今も記憶に残る曲は、「ナオミの夢」、マルチーヌ・クレマンソー(フランス)の 「ただ愛に生きるだけ」、カプリコーン(イギリス)の 「恋のフィーリング」、小坂明子の 「あなた」、中島みゆきの 「時代」、それに 「出発の歌」 等々。

上条恒彦と六文銭 の 「出発(たびだち)の歌」が「グランプリ・歌唱賞」を獲得したのは、第2回(1971年)歌謡祭。

そして今度の放映。
これだけの歳月が流れているのに、上条恒彦と小室等の歌は往時と、さ程変らぬ声量と迫力があった。そしてあの時の会場の雰囲気と興奮を思い出した。

人は自分の体験に照らして聞き、歌い、読み、書き、詠い、感じるもの。そのような想いを深くした。

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2008年2月18日 (月)

池宮正信「ラグタイムの夕べ」(2)

例年12月に行われる「池宮正信ラグタイムの夕べ」が、今回は2月に入ってから浜松市のヤマハ・ホールで行われた。ホールはこじんまりとしたライブなホールでこのようなコンサートには向いている。

ラグタイム(ragtime)は、19世紀末から20世紀初頭にかけ、アメリカで流行した音楽のジャンル。
19世紀、ミズーリ地方の黒人ミュージシャンが黒人音楽(ブルース)を基本に独自の演奏法を編み出し、これが従来のクラシック音楽のリズムとは違う「遅い」リズムと思われたことから「ragged-time」略して「ragtime」と呼ばれるようになった。
リズム的特長としては「シンコペーション」と呼ばれるリズム構成が主体で、従来のクラシック音楽とは異なる印象を与える(Wikipediaより)。』

前回のコンサートと同様に一部はクラシックで、シューマンとラフマニノフからだったが二部が本番のラグタイム。
1曲目とその成り立ちや聴き所を簡単に解説しては演奏するので判りやすいし、聴衆も一緒に拍手する場所の設定をしたりするので、奏者・客席が一体になって楽しみ、場がいっぺんに盛り上がる。写真は曲と曲の間での解説場面で、くだけた姿が一層雰囲気を和らげる。

アメリカ在住が長いので、彼の話す日本語にたくまずして、時々おかしなアクセントが入ったり乱れたりする場面があったりしてそれが却ってユーモラスで場の雰囲気を和ませる。

曲目は、
 藁の中の七面鳥のラグ (アメリカ民謡)
 あの酔わせるメンデルスゾーンのメロディー(アーヴィン バーリン)
 ロシア風のラグ (ジョージ コブ)
 エリーゼのためのラグ (ベートーベン)
 オデオン(ブラジルタンゴ) (エルネスト ナザレス)
 ………
等々で1910年代のものからあって歴史的経過を思わせる雰囲気もある。
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演奏終了後はサイン入りのCDの販売もある。写真はサイン中の池宮氏で楽しい会話を楽しみながらのサイン会で、彼の明るい雰囲気が演奏から引き続いて此処にある。

数年前までは、浜松在住の彼のお婆ちゃんとその家族の為に、客席の一番前に席を用意して聴いて頂くのが常で、彼の口からおばあちゃんの紹介をし、演奏後に客から頂いた花束を、頂いた客にお礼と承諾を得て、おばあちゃんに捧げるのが常だった。
しかしそのおばあちゃんは今は亡くなってしまい、その風景を知っている人たちからはその情景を思い浮かべながらの花束贈呈の雰囲気を感じ取っている。

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2005年12月19日 (月)

池宮正信「ラグタイムの夕べ」

楽しみの一つは、毎年、年が押し詰まった頃に聴く、池宮正信「ラグタイムの夕べ」である。今年も先日そのコンサートがあった。

ラグタイムは、19世紀の後半、リンカーン大統領の奴隷開放宣言で自由になった黒人たちはその喜びを音楽に表現し、これがラグタイムの始まりとなった。そして段々盛んになってきたマーチ(白人の音楽)のリズムとそのヨーロッパの音楽の和音や構造を土台に、彼等のアフリカ的シンコペーションの入ったメロディーが一体となり1890年代にラグタイムが完成した。彼等の作り出した魔力のように美しいシンコペーションのリズムは白人たちを魅了し、瞬く間に全米に広がった。19世紀後半から20世紀初頭にかけての生き生きとした時代のポジティブなエネルギーと笑い声の中から生まれた音楽がラグタイムで、ジャズが流行する前に出来上がっていたアメリカのオリジナルポピュラー音楽である。

今年のコンサートは、予め軽食を摂った後、そのテーブルで聴くという、くだけた雰囲気の中で行われ例年の通り楽しいコンサートになった。ライブな会場でヤマハ・ピアノが美しい音を奏でていた。

第一部は通常のクラッシク・ピアノ曲であるが、第二部がラグタイムとなる。その中でも圧巻はなんと言っても、スコット・ジョブリンのラグで聴衆も時には手拍子を入れる等、演奏者と聴衆が一体となる楽しいコンサートになる。当日のジョブリンの曲目は、オリジナルラグ(1894年頃)、ジ・エンタテイナー(1902)、ラグタイム ダンス(1906)、パイナップル ラグ(1905)、ベテーナ(ラグタイム・ワルツ1905)、リアル スロー ドラッグ(「オペラ ツリモニシア」より)、マグネチック ラグ(1914)等で本当に楽しかった。

おまけが付いた。同じ゙テーブルに姉妹と思われる美人が居た。声をかけてみたら、矢張り姉妹で、姉のほうは、テレビ埼玉の人気アシスタント、妹はチームジャビッツの主要メンバーとして活躍中との事で、このコンサートを聴きたくて、態々東京から出てきたと言う。楽しい曲を美人と一緒に聴くことが出来て一層楽しいコンサートになった。

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2005年11月26日 (土)

浜松からピアノが姿を消す

ヤマハ、河合楽器両社の創業の地で世界一のピアノ生産地として知られる浜松市から、二大メーカーのピアノ工場が姿を消す。

ヤマハは現在浜松市に在るグランド・ピアノ生産工場を2011年までに掛川工場(アップライト・ピアノ生産工場)に集約すると発表した。ヤマハは1980年代にはアップライト・ピアノを月間1万8千台、グランド・ピアノを2千台生産していた。従って両者合わせて年間24万台の生産だった。今は、グランドが年間1万6千台、アップライトを年間2万5千台の生産にとどまっている。(河合楽器は2007年度までに浜松市舞阪町のピアノ生産工場を磐田市竜洋工場に移転すると言う。)

此れで浜松市にあった両社のピアノ生産工場は、浜松市から姿を消す事になった。時代の推移と言ってしまえば其れまでの事。ちょっぴり淋しい気がする。

時恰も符号するように、この間の九州旅行中に、アフリカン・サファリと湯布院の中間にある岩下コレクションで大正初期のヤマハ・ピアノと足踏みオルガンを見たのも何かの因縁だろうか。感無量で見つめてきた。

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大正初期のヤマハ・ピアノ と 足踏みオルガン

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