2017年12月 5日 (火)

返り花

俳人協会・俳句文学館発行の12月俳句カレンダーに鷹羽狩行氏の俳句が掲載されている。大瀬俄風氏の解説文がある。

 人の世に花を絶やさず返り花  鷹羽狩行

29121_2 『掲句について、作者は「(この句の返り花は)神の配慮というか、使命感をもってというか、むしろ誇らしげではありませんか」と、自著『俳句の秘法』の中で評されている。返り花を、小さく、寂しげなものと見るのではない。確かな意志を持ってそこに存在しているという新しいとらえ方をされている。しかも、説得力がある。

 ひるがえって思うに、私たちには、その返り花の姿が見えているだろうか。いや違う。そもそも私たちは、返り花を見ようとしているだろうか。コートの襟を立てて、視線を地面に落とし、せわしなく歩いている者に見えているはずがない。

 掲句が発表された平成7年には、年が改まってすぐ阪神・淡路大震災が起こり、2カ月後の地下鉄サリン事件で多くの被害者が出た。
 この返り花が咲いたのはそんな時だったのだ。私たちはじっと返り花を見つめて、その断固とした意志をしっかりと受け止めなければならない。(大瀨 俄風)』

 

この句は私にとっても忘れられない名句として、返り花が見られる季節にはきっと思い出す。

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2017年10月16日 (月)

落葉松黄葉

俳人協会・俳句文学館発行の10月俳句カレンダーに根岸善雄氏の俳句が掲載されている。ほんだゆき氏の解説が添えられている。

  月明に炎立つ落葉松黄葉かな 根岸善雄

2910_21_2 『絵画でも観ているような美しさに、息を呑むほどだ。
 
 落葉松黄葉は作者の詩世界を高揚させる。一糸の乱れもない完璧把握に落葉松黄葉の幻想的な光景が蘇る。掲句も愛憐の情を芯に秘めつつ画布に載せるような染筆で成されていて、読者の心を離さない。

 不用な景を削り去って表現簡潔。それだけに一層月明の落葉松が際立って美しい。
 

 一句を成すということは表現技術というより、その人の奥の奥にある生き方そのものである。 いのちとも繫がるもので作品からそんな声が聴こえてくる。
 

 行雲流水の心で一点の執着もなく俳句を詠んで行きたいと作者は吐露されている。
 

 俳句は「師系の文学」と言われる。水原秋櫻子一筋に研鑽を積まれた作者の美意識は、さらなる深淵へと誘われている。(ほんだゆき) 』

(註:「炎立つ」は「ほたつ」と読む)


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2017年9月 9日 (土)

活字函

 俳人協会・俳句文学館発行の俳句カレンダー9月号に木村里風子氏の俳句が載っている。
八染藍子氏の解説がある。

蟋蟀の跳ぶ名刺屋の活字函  木村里風子

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『一読してまず注目したのが「活字函」。

 これはすでに遠い過去のものになった活版印刷に用いられたもの。これを扱う名刺屋の店内には「蟋蟀」が跳ねているという。

 それだけで時代背景がおよそ分かるが、終戦で兵役を解かれ、間もなく、原爆で焦土と化した広島へ帰還したという作者の経歴に照らすと、情況が一層明らかになる。

 即ち、名刺屋の窓越しに、復興の緒についたばかりの焼野原が拡がっている。その景は当時十五、六歳だった私も記憶している。

 人生の再出発に当たり、名刺屋に足を運んだ若き日の作者の希望と不安が交錯した心境。それを象徴的に示す「活字函」。それに配する「蟋蟀」という季語の斡旋が実に見事である。

 広島の平和祈念の最も魁というべき作品として、胸に深く刻んでおきたい。(八染 藍子)』

 一読して「活字箱」と「時代背景」に惹かれた。


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2017年6月10日 (土)

椎の花

俳人協会・俳句文学館発行、平成29年6月の俳句カレンダーに星野恒彦氏の句が載せられている。杉浦功一氏の解説がある。

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抜け来る杜に一礼椎の花  星野恒彦

 『森の中で椎の花は見えない。青白く湿った匂いからそれが咲いていると知る。そして森を出て振り返ったとき、樹冠の上に雲のように白く咲く花を改めて目にするのだ。
 
 「杜」の字は神社の森を表すので、「一礼」はその奥に鎮座する神への挨拶。椎は古代から鎮守の森として守られた自然林を成す樹種の一つだ。
 
 作者によれば、この句は明治神宮での印象に基づくという。明治神宮は実は自然林ではなく、それに近づけて育成された人工林である。確かにこの句の「抜け来る」に古代的信仰は感じない。
 
 古代人は神に深々と祈った後、森から畏まりつつまかり出ただろう。つまりここに詠まれたのは現代の都市生活の習慣である。ただしその「一礼」も今後いつまで残るだろうか。これは失われゆく習慣の記録かもしれない。(杉浦 功一) 』

 私の故郷は長野市に編入された昔の村だった。

 産土神社は犀川神社といって、文字通り犀川を前にした田園地帯であったが今は、長野市の住宅地帯になってしまったので、様相は一変してしまった。
 しかし特に秋の収穫時期が済んだ頃の神社の秋の大祭には、古式床しい神楽が出て、伝統を厳しく踏襲した獅子舞と祭笛、そして芸術的な花火が奉納され大勢の人達がお参りする。

 私たちの年代の人たちは今も産土神社崇拝の念は忘れない。

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2017年1月22日 (日)

海坂創刊850号記念号

俳誌「海坂(うなさか)」が創刊850号を迎えた。
Photo_2 本ブログでも過去に、

海坂創刊750号記念号
海坂創刊800号記念号

を紹介したが今回は更に850号の紹介となる。
由来に就いては上記750号、800号に詳しいが、更に850号までの経緯を書き加えている。
本850号に就いては『海坂に帆をー「海坂」850号を祝って』と題して、松平和久氏の一文がある。文中の一部を引用する。

『850号、気の遠くなるような話である。
昭和25年創刊当時の「海坂」を10冊ほど見た。20~28ページの薄い冊子。選者や筆頭同人らの句を除くと、活字は8ポ・7ポ・6ポである。しかしその小さなものは無限のエネルギーを蔵していて、「海坂」は今を迎えた。すぐれた指導者がいて、労を惜しまぬ幹部がいて、なによりも俳句の好きな人々がそれを囲んでいたにせよ、850号、気の遠くなるような話である。ただただ祝意を示すのみ。云々』とある。

当然のことながら、海坂850号を迎えてと題して鈴木裕之主宰・久留米脩二主宰の挨拶があり、加えて
「魅惑の俳人羽公と瓜人(鈴木裕之主宰)」
「遠州の俳人展・加藤雪腸師と百合山羽公師(和田孝子筆頭同人)」
「海坂と藤沢周平(鈴木裕之主宰)」の特集記事があり、加えて800号と同じく
誌友の「随想」欄には前回を上回る多数の誌友から「海坂に寄せる想い」が綴られていて圧巻である。

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2016年9月30日 (金)

原人句碑

浜名湖の最北端に猪鼻湖と呼ばれる、猪鼻瀬戸によって区切られた湖がある。その北岸一帯は三ケ日町と呼ばれる地帯でその中に只木地区と呼ばれる地区がある。

『その只木地区の採石場で、昭和33年秋に赤土の中から多くの獣骨化石が発見されて、専門家の鑑定結果、洪積世のものであると云う判定が為された。
そして又、三ケ日高校に保管されていた人類の腰骨数片なども見つけられた。

以来重なる調査結果、人骨発見は日本の旧石器文化の確認となったばかりでなく、当時の日本人の生活状況等を解明する貴重な資料ともなり学会に与えた影響、貢献は大なるものがあった。(俳誌「海坂」より)』

爾来色々の経緯があって、この場所に、俳誌「海坂」の主宰であり蛇笏賞作家である百合山羽公氏(百合山氏は同じく蛇笏賞作家の相生垣瓜人氏と海坂の共同主宰だった)の句碑が建てられた。「原人句碑」と呼ばれる。

原人の歯牙凍蝶となりにけり 羽公

A_2原人の歯牙が凍蝶となったという幻想がここに案内された時の荒涼とした印象から生まれた。(俳人協会刊 百合山羽公集より)』

と句碑の傍らの説明書に記されている。

又、句碑に就いて浜松市の説明書きには、
『この碑は平成5年3月に三ヶ日町教育委員会(当時)により只木遺跡内に設置されたものです。
只木遺跡で発見された「三ケ日人骨」は、調査当時(昭和34~36年)の分析技術では洪積世(更新世)と判断されましたが、後年、分析技術・機器の進歩により、縄文時代早期のものであると結論付けられました。
三ケ日人骨の時代観は変りましたが、私たちの祖先の記録がこの地に刻まれていたことに変りはありません。
発掘調査や遺跡の保存・活用のために尽力されてきた地元を始め、多くのかたがたに感謝すると共に、郷土の歴史・誇りとして、後世に語り継いでいきます。平成26年12月 浜松市』と記されている。

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2016年8月 2日 (火)

花火

俳人協会・俳句文学館発行、平成28年8月のカレンダーに、俳誌「馬醉木」名誉主宰である水原春郎氏の俳句が掲載されている。清水節子氏の解説文がある。

 天上に君あり地には大花火  水原春郎

2808_11_2   『「自註 ・水原春郎集」に所収。平成16年作。

「伊豆高原の花火大会。榮之君が元気の時はいつも一緒で楽しかった。天上から見ているに違いない」と作者の言葉が添えられている。「天上の君」は「馬醉木」德田千鶴子主宰のご夫君である。

 「天上に君あり」と言い切った勁い措辞には、作者の「天上の君」への深い思いが溢れている。
 「天上から見ているに違いない」と述べておられる作者は、花火の打ち揚がる瞬間、天上へ呼び掛けておられるのかもしれない。

 大空に開く花火を見上げておられる作者の胸臆には、「天上の君」と一緒に過ごした遠い日が去来しているのであろう。

 「天上に君あり」の心情的な表情に対し、「地には大花火」の大胆な結びが印象的で、心を惹かれる一句である。(清水 節子) 』


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2016年6月29日 (水)

俳句に託して

 俳人協会・俳句文学館発行、平成28年6月号の俳句カレンダーに千田一路氏の俳句が掲載されている。野上智惠子氏の解説文がある。

一呼吸しての返事や柚子の花  千田一路

 『平成20年の作。
 この句と出合ったとき、「あゝ、事に当たるときは、このような心掛けが肝要なのだ」と今さらにして思ったことであった。

 句の主眼は「一呼吸」。何事においてもおろそかにしない作者の誠実さと責任感。冷静、沈着な一面が計らずも表現されたといえよう。
 大切な取引も、電話やメール1本で片付ける昨今、一呼吸置いての返答は千金の重みがある。 秒単位の僅かな時間、思考を纏めて結論を下す微妙な間の取り方を衒いなく詠み上げ、瞠目させられる。

 掲句、膝を正し、返答を待つ人物の緊張した面持ちが浮かぶ。折しも庭先の柚子の花の清々しい香が、開け放した座敷まで流れ込み、対峙する2人を和ませるかのよう。
 清楚で地味な柚子の小花に、快諾の兆しが窺われる。第5句集『自在』に所収。(野上智恵子) 』

今年も半年が過ぎようとしている。折しも参議院議員選挙戦が熱を帯びてきつつある。
責任を伴わない権利主張ばかりが目に付く昨今の風潮の中において、このような一呼吸してからの返事をするくらいの責任感のある政治家が出てくることを望んでいる。

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2016年1月29日 (金)

唐寺

俳人協会・俳句文学館発行、平成28年1月号の俳句カレンダーに有馬朗人氏の俳句が掲載されている。宮田カイ子氏の解説文がある。

     唐寺の紅を濃くして初茜  有馬朗人
  
28011_2 『長崎で有名な出島や唐人屋敷が出来るまでは交流が盛んで、6人に1人が中国人だったという。
 興福寺は元和6(1620)年に創建された我が国最古の黄檗禅寺で、隠元豆で有名な隠元禅師は同寺の三代目。山門は朱色に塗られ、扁額は隠元禅師の手によるもの。
 私たちが子供の頃は、「アカデラ」と呼んで遊んでいた。境内には媽祖堂や鐘鼓楼などがあり、重要文化財としての威容を見せている。また斎藤茂吉の歌碑、有馬朗人、森澄雄の句碑が建っている。
 掲句は元日の朝の茜色に染まった朱の山門が、より紅を濃くして威厳を保ちつつ淑気を醸しているというものである。
 中国では慶びの色は朱色である。元宵祭では街全体がランタンで埋まり中華街も賑わう。
 朗人師も何回か来崎され、あちこちご案内させて頂いたが、その度に観照の深さと詩的直観に富む根源的な瑞々しい句を詠まれた。
 この句も、かつて中国にお住まいになったことのある、師ならではの唐寺を詠まれている。
 因みに興福寺の句碑は〈長崎の坂動き出す三日かな〉(平成11年)である。(宮田カイ子) 』

このような歴史的建造物やその歴史、そして有馬朗人氏の俳句もはじめて知った。

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2015年4月 9日 (木)

葱坊主

俳人協会・俳句文学館発行、平成27年4月のカレンダーに大石悦子氏のユニークな一句が掲載されている。

 先生の名を言うてみよ葱坊主  大石悦子

河野美保子氏の解説がある。
『作者は高校入学後に俳句を始められた、と聞いている。そして石田波郷を師と仰ぎ、その「鶴」一筋に励んでこられた。
 昨年上梓の自註にも、「波郷門を名乗る誇らしさ。師系を尊ぶ俳句の世界ならではのことだが、そこに意義づけをしなくてはと思う」と記している。この最後の一節こそ著者の一番告げたい思いではないだろうか。
 この句に葱坊主の季語を選ばれたことに感銘した。葱坊主は何方もご存知の通り、晩春、畑の隅などでよく見かけるが、特に目を引くものでもない。それでも葱坊主は真すぐ立っている。この句の葱坊主は、ご自分の分身かと思う。
 常に波郷門というプライドを胸に、努力し励んでこられた姿勢こそ尊いと思う。謙虚な、そして力強いのが大石悦子さんなのだ。(河野美保子) 』

因みに、平成26年4月の同カレンダーに、今瀬氏の

 先生の話を聞けよ葱坊主  今瀬一博

がある。俳句はたった17文字での表現であるから類想の出るのは良くあることだが、これは愉快な句である。

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