満蒙開拓民の悲劇
先に「満蒙開拓平和記念館」に記したように、特に長野県民にとって満蒙開拓団の悲劇は忘却の淵に沈めてはならない。
2月25日版の「長野市民新聞」の、投書欄「せっておくらい(信州言葉で言って下さいの意)」に、松代の戸谷氏が「開拓民の悲劇後世に伝えたい」と題して以下のご意見を載せている。
『太平洋戦争中に満蒙開拓に村民を送り出すことを賢明に、そして懸命に拒み通した、旧大下条村(現阿南町)村長佐々木忠綱氏の話をラジオであらためて聞いた。当時、国策として盛んに開拓移民を募っていた。世界恐慌に続く昭和の大不況の時代でもあった。氏は現地を数週間に渡って視察し、ここは村民を幸せにする所ではないと感知したという。そのお蔭で村民200~300人の命が失われずに済んだ。
全国27万人のうち、長野県は14%以上の開拓民を送り込んだ。8万人もの人が多くは自決して命を落としている。…その遠くない時代に、誤った国策により子女赤子まで悲劇極まりない状況下で命を落としていった冷厳な事実を後世まで伝え続けなければ。』と、ある。
一昨日は2月26日。二・二六事件から80年経過した日でもあった。
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