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2015年6月21日 (日)

満蒙開拓平和記念館

先の戦時中、時の国策に沿い歓呼の声に送られて多くの若者や家族ぐるみ、夢を追って満州へ送り込まれた。
しかし突然のソ連侵攻と共に、本来は王道楽土となる筈であった土地が戦場と化し悲惨な結末を迎えた。
その名も満蒙開拓義勇軍・満蒙開拓団と呼ばれる国策移民団の悲しい歴史がある。

特に長野県からの犠牲は突出していた。それだけ当時の長野県は貧しかったのかも。
今その歴史を風化させてはならじと、2年前に飯田市近くの阿智村駒場に「満蒙開拓平和記念館」が設立された。
Jpg_2  今回、同館紹介の書である「満蒙開拓平和記念館」が発刊された(註、2015年4月25日発行)。写真(記念館提供)は同館。

同書に、館長のご挨拶が記載されている。その一部を記載する。

『満州移民の史実を風化させることなく後世に伝える拠点として当「満蒙開拓平和記念館」が、民間運営ながらも概ね順調に2周年を迎えることができましたこと、これまでの多くの皆様方からのご支援の賜物と厚く御礼申し上げます。
折しも、今年は戦後70年にあたります。元開拓団、中国帰国者の証言、体験談も益々貴重なものとなり、更なる伝承力の向上が問われる中、ここに待望の図録発刊の運びとなりました。
 “20町歩の地主になれる”
 “満州は日本の生命線”
夢を抱いて渉った新天地「満州」でしたが、1945年8月9日、突然のソ連侵攻で戦場と化し、開拓団の人たちは広野を逃げ惑い、難民収容所でも飢えと寒さで大勢なくなりました。また、帰還が叶わず残留孤児や残留婦人となった人たちも少なくありません。

日中双方に多くの犠牲を生んだ悲劇、「満蒙開拓」とは一体何だったのか。戦争に導かれていく道筋を学び、人々の体験に耳を傾け、皆様と一緒に考えていきたいと思います。
(以下略)』

私たち「遠州信濃会」の有志が過日、同館を訪問した。ボランティアの方が1時間以上の時間を割いて説明下さった。

未だ戦後の終っていない方達のいるのを忘れてはならない。

見終わって
  ・国家とは一体何か
  ・指導者の資質とは何か
に就いて深く考えさせられ、同館を辞した。

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