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2014年9月 1日 (月)

足元を見つめ直して

自分たちの住んでいる町や村、又は其の近傍のことは大概知っている心算だが、改めて聞かれると案外知らないことがある。

最近浜松市舞阪町で吟行したが、家から近くの舞阪町であるのに、始めて舞阪町にある史跡等に就いて色々のことを知った。

  舞阪から遠州灘を見はるかすと、今切口には大橋が架けられ海と湖を仕切っている。

 

 

 漁船が活発に出入りする舞阪漁港、そして漁港に張り付いて糶場(せりば)がある。長靴を履いた業者が「せり札」を入れて糶が始まる。

Img_5276 漁港を挟んで反対側の岸を少し北側に行くと史跡「北雁木」がある。『浜名湖今切渡しの舞坂宿側の渡船場跡で明暦3年(1657)から寛文元年(1661)にかけて構築された。雁木とは階段状になっている船着場の事を言う』。

狭い旧街道沿いに舞坂宿脇本陣がある。『脇本陣は大名・幕府役人等が本陣で宿泊休憩できない時に利用され た施設で、普段は一般の旅籠屋として使われた。建物は主屋・繋ぎ棟・書院棟で構 成され間口5間・奥行15間あった。現在書院棟一棟が残されており、旧東海道宿駅の中では唯一の脇本陣として貴重な建物である』。

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『舞阪には往還道路沿いに三つの西町常夜灯がある。文化6年西町は大火に遇い宿の大半が焼けた。当時火伏せの山、秋葉信仰の高まりとともに人々の願いによって文化10(1813)にこの常夜灯が建立された。其の世話は現在も西町の人たちに引き継がれている』。


往還から少し入った所に水産・漁業の守り神である岐佐神社がある。其の神垣には多くの船主が船の安全操業を願って持船の船名が刻み込まれている。

     

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またその神域には赤猪石(あかいし)が祀られ『大国主命が兄たちの企みによって焼けた大石で大火傷したが、岐佐神社の御祭神に依って一命をとりとめ雄々しい姿に蘇った。出雲神話と岐佐神社はこのようなかかわりがあり此処に赤猪石が祀られている』。

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少し離れて一里塚跡がある。『天保年間の宿村大概帳には舞坂宿は江戸より6716町に位置しており、この一里塚は左右の木立共松と書かれている』。現在は「一里塚跡」の碑を石で囲み、付近には松その他が植えられていて往時を偲ばせている。

その他、見付石垣宝珠院養泉寺や少し離れて舞阪灯台がある。

舞阪町を例に足元を見つめ直してみたが、意外に町中に歴史が渦巻いているのを感じ、今まで知らずに通っていた往還も息づいているのを感じる。(文中『』内は、市または町の由緒書より引用した)

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