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2014年5月 1日 (木)

環境という壁

環境という壁

NHKの朝ドラ「花子とアン」が放映されている。

「赤毛のアン」などの英米児童文学の日本語訳版などの著者として知られる村岡花子の半生を描いた伝記作品である。

1893年、山梨県甲府の貧しい家に生まれた、はな(吉高由里子)は幼い時から家の手伝いに明け暮れていたが彼女が7歳の頃、父吉平(伊原剛志)から貰った絵本に興味を持ち、父に導かれて尋常小学校に通い始める。彼女の聡明さを感じた父は、彼女を東京のミッションスクール・修和女学校へ編入学させようと動き出すが、家族や周囲の反対にあって諦めざるを得なかった。しかし、はなの本を愛する気持が3年の年月を経て母ふじ(室井滋)や祖父周造(石橋蓮司)を動かし編入学を果たす。話はそんな所から始まる。

 此処で「環境という壁」に就いて思う。

 はなの時代の就学状況は随分厳しかったであろうが、昭和も戦前までは所謂旧制教育制度の時代で、義務教育は尋常小学校まで。一村から中学校(旧制)へ行ける人はせいぜい3,4人くらい、それもそれなりの才能があり且つ、ある程度の財力のある人に限られていた。

                    

しかしそれ以上に感じるのは「環境という厚い壁」であった。

因みに兄二人が(旧制)高校から大学へ進んだ家庭に育った私の友人がいる。彼の家庭環境からすると、彼が中学へ進むのは当前であり何の壁もなかったであろう。

しかしそのような恵まれた家庭とは違って貧しい家にあっては、子供に優れた才能があっても親に其の気がなければ「進学」は考えられなかった。つまり環境の壁は厚かった。子供もそれが判っているだけに敢えて言い出せなかった。

 

それを思うと、ドラマの中の話とは言え、はなの父は偉かった。子供の才能を見出しただけでなく、其の才能を伸ばすべく、自から行動を起し進学させたたことは当時としては画期的な出来事であった筈だ。

 

 昔の先生の中には所謂聖職と言う名に相応しい先生がいた。教え子の才能を伸ばすために親や家族を熱心に説き伏せた先生、そのような先生との出会いによって進学への道が開け人生までも変った人の実例を私は知っている。その熱意を思うと昔の先生は偉かったと思う。

 今の先生は昔とは違った状況下で、大変な重圧の中でのお仕事と聞いているが、目的は昔も今も変らないであろう。

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コメント

はじめまして。長野市に住んでいる者です。山寺常山について調べていて、こちらに辿り着きました。以前「山寺常山の許へ後妻として嫁いだのが私の父方の祖父の妹であり、…」と書かれていましたが、私が調べた本では、常山の妻は鎮子と言う名で明治3年6月に56歳で亡くなっています。この時、常山は63歳です。その後再婚したのかどうか分かりませんが、年齢的には考えられませんね。すると、鎮子さんは後妻だったということでしょうか?ちなみに鎮子さんは北沢蘭がくという人の次女で長男は正忠といいます。何かご存知のことがあればおしえていただきたいのですが。

投稿: 川中島 | 2014年5月 6日 (火) 18時34分

川中島様 コメント有難う御座います。
私の生家と山寺常山との関係は、小ブログ(2006/5、2008/7)記載の通りで、この辺の事情を良く知っているのは生家を継いだ私の父や兄です。
しかし両人とも既に故人になっています。今にして思えばお説のような事ぐらいは聞いておきたかったと思っています。
ご返事にならない事をお詫び申し上げます。

投稿: Alps | 2014年5月 9日 (金) 09時02分

ご返事ありがとうございます。 郷土史を調べていますと、時々意外なところに山寺常山の名を見つけます。けっこう人望もあった奉行のようですね。いつか常山の功績をまとめて、松代の山寺常山邸で発表したいと思っています。

投稿: 川中島 | 2014年5月11日 (日) 23時16分

昔の教師に見出された昔の生徒とは、真実、有用な逸材であったのではないでしょうか。
人々や社会の為に貢献出来る実力と人格を兼ね備えたそのような方々が、敗戦後の昭和の時代の良心を守ったのではないか、と感じます。
めまぐるしく物事が移り変わり身動き出来ないうちに、今年も半分終わってしまいそうだと思いながら、拝見した記事にこの度も、時代は変わっても変わってはならないものを考えさせられました。


投稿: Paillette | 2014年6月 3日 (火) 13時14分

Paillette様、お久しぶりです。そしてコメント有難う御座います。
洗濯板で洗濯をしていた母の時代に、突如現在の洗濯機が出現したら、どんなに洗濯機へ感謝したであろうか。
所謂、昔の三種の神器があるのが当たり前の世の中に生まれたら、それを有り難がる気持はさらさらであろう。
学校へ行きたくても行けなかった時代、そして今は大学へ行くのが当たり前の世の中、うたた感慨無量です。その間に世の中がどれほど良くなったであろうか。
色々考えている内に2014年も半分過ぎようとしている。Paillette様どうかご自愛下さいますように。

投稿: Alps | 2014年6月10日 (火) 16時04分

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