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2013年4月17日 (水)

両陛下「あんずの里」ご訪問

新聞報道によれば、
『天皇、皇后両陛下は15日、初めての私的旅行として長野県をご訪問、同県千曲市の「あんずの里スケッチパーク」などを観光された。
パーク内のあんずの花は例年より早くピークが過ぎてまばらだったが、穏やかな晴天に恵まれ、両陛下は木々の間を散策された。』
『これまで両陛下の私的な地方訪問は御用邸で過ごすケースが多かったが、宮内庁は「今年80歳を迎えられることもあり、美しい風景や名産品を見て回るという新しい形での旅行をしてもらう」としている。』
と報じている。

長野県の「あんずの名所」と言えば、、現長野市安茂里と現千曲市の2ケ所が有名で花の季節になると、一村が杏の花に埋れ、全国から画家や観光客がやってきたものである。

しかし安茂里は長野市のベッドタウン化して、杏の花が殆ど見られなくなり、森の杏だけが杏の名所となった。

森の杏の里が、何時から「あんずの里スケッチパーク」と呼ばれるようになったのか知らないが、私の郷里に近い場所でもあり、訪れたこともあるので、今度両陛下がご訪問されたと聞いて懐かしく思い出している。

参考までに近くに、科野(しなの)のクニ・森将軍塚古墳がある。

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2013年4月11日 (木)

ヤマハレディースオープン葛城

ゴルフをやらなくなって早10年以上経つ。
ゴルフのTV放映も最近は余り関心が無い。

しかし一つだけ例外がある。嘗て私のホームコ-スの一つだった葛城ゴルフ倶楽部が、毎年4月上旬に行う「ヤマハレディースオープン葛城である。
今年も4月4,5,6,7の4日間熱戦が行われた。しかし私は現地に行く元気はないので、専ら新聞のスポーツ欄と最終日のTV放映によって経過を知った。

何事も、舞台で踊る人とそれを支える舞台裏の人とが居る。
特にゴルフ競技の舞台裏を支える人たちの、気象条件収集・フェアウェーやグリーンの整備・バンカーの整備やラフの草丈・スタート時間の設定やスタート方法の決定・進行速度と対応・選手やマスコミとの対応・表彰を含めた行事の設定・それにギャラリーたちの誘導等々骨身を削るような神経と体力を使う。そんな舞台裏に支えられて競技は行われる。

今年もそんな中で進められたが、特に6,7日は強風に見舞われ、選手も大変だったが舞台裏も大変だったようだ。当日朝の我が家の気圧計は、6日は990hp、7日は982hpを指していた。これは台風並みである。

葛城ゴルフには山名コースと宇刈コースの二つがあり、特に山名コースは難コースと言われ、女子選手で、今年も4日間を通してアンダーパーを出したのは上位16人だけだった。

7日のTV放映を見て、あの強風の中をさすがプロだなと感心させられた。風で曲げられる球道、前に降った雨で固くなったバンカー、グリーンの上には強風で飛んでくる木の葉がパットの線上にまで散り、選手は丹念に拾い上げるがまごまごすると又飛んでくると言う悪条件の中での戦いだった。

結果は昨年7月のプロテストに合格したルーキーの比嘉真美子(19)がプレーオフで大江香織テレサ・ルー(台湾)を下しツアー初優勝、優勝賞金1800万円を獲得した。
比嘉は首位と5打差の12位からスタート、70で回り、この日70の大江、71のルーと通算284(4アンダー)で並んだ。プレーオフは18番ホールで行われたが1ホール目では決着がつかず、2ホール目で比嘉がバーディを奪い2人を退けたが、文字通り死闘を演じた名勝負だった。

プレーオフを戦う前に比嘉は、『昨秋の富士通女子で、優勝争いを意識して普段なら刻まないホールで刻む「守り」の姿勢で失敗した経験から、「今日は絶対に自分を曲げない」と、心に誓ってプレーをした』と比嘉は語った。

日経新聞によると、6位に終った横峯さくらが、『厳しいコンディションの中、2日続けて1ウェーという競技運営に納得がいかない様子で「自然との闘いはわかるけど、(アウト、インスタートの)2ウェーにするとか配慮があってもいいような」と口をとがらせた』と書いている。当日の気象条件もあり、競技運営に就いても色々意見はあろうが、彼女の将来の為にも考えさせられた。

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2013年4月 5日 (金)

句集「船籍」

島田愃平著、句集「船籍」を頂いた。句集名の「船籍」は、

   船籍は遠き紀の国鰹揚ぐ 愃平

による。掲句は平成10年、御前崎市に於いて行われた白魚火(しらをび)全国俳句大会に於いて、時の荒木古川主宰の特選1位に輝いた句と聞く。
Photo_2島田愃平氏から紹介された本が2冊ある。何れも聖隷事業団に関与する本でその内の一冊は、長谷川保著「夜もひるのように輝く」である。
全国的にも知られている聖隷病院の創立者である長谷川氏とは私は数回会っているが、長谷川氏の人格に影響された人は少なくない筈だ。この書はそれを端的に表している。

もう一冊は、その聖隷福祉事業団の源流を掘り下げて纏めた本で、蝦名賢造著「聖隷福祉事業団の源流~浜松バンドの人々」と題する590頁を越す大冊である。
Photo_3 その中で島田氏の果たした役割りは極めて大きい。
蝦名氏が「実は、島田愃平氏との出会いと協力がなかったなら本書は誕生していなかった。島田氏の全面的な、献身的な協力によって、本書は八年の歳月をかけて取り纏められるに至ったのである。云々」と記されている。

私は、島田氏に「これは蝦名氏との共著でも良かったのではないか」と言った。彼は「実は蝦名氏からもそんな話があったが、あれで良かったんです。」とあっさり答えたものだが、その辺のいきさつに就いては、奥様の「島田愃平のこと」と題するあとがきに詳しい。

彼は若くして結核を患ったが、持ち前の芯の強さから克服してきた。清瀬病院での出会いとなった、俳人の古賀まり子氏とは生涯の俳句仲間となる。

私は彼と話がよく合った。俳句に纏わる話が中心になるが、奈良や京都の話になると、「古寺巡礼(和辻哲郎著)」にも及び時間の経つのも忘れて話し込んだものである。

前置きが少し長くなった。
句集の序文では、白魚火誌の仁尾正文主宰が愃平氏の一面を記している。

句集は、「序、カトレア、条幅、新豆腐、桜鯛、島田愃平のこと、あとがき」の順に纏められ、「序」は仁尾主宰が、「島田愃平のこと」と「あとがき」は、島田氏の奥様が書かれている。

写生が忠実にかつ綿密にしかも判りやすい。
   はるかなる山の裾まで青田かな
   カトレアを置きし出窓や湖光る
   床の間の軸は一文字夏座敷
   尾びれまでマリンブルーの熱帯魚
等、気負いもなくすんなりと詠み上げている。
   船籍は遠き紀の国鰹揚ぐ
   三尺寝傍らに置くヘルメット
   句碑除幕終へて迎へし万愚節
   残されし時は少なし根深汁
   義朝の墓の木太刀や涅槃西風
義朝の句は、私とN氏とを加えた同行3人での吟行句。行こうか、そうだね位の話でまとまって、JRと名鉄を乗り継いで知多半島の先端まで出かけ、帰りには浜松駅前のフォルテ(今は遠鉄デパートになっている)で3人だけの句会をしたのが懐かしい。
食べ物の句が出たら愃平句だと言われるほど、食物通だった。グルメの愃平だった。
   今朝摘みし花をほぐして菊膾
   朝市や新沢庵をつまみ食ひ
   匂ひだけ嗅がせてくれし茸売り
   名物の牛タンのせし麦の飯
   一箸は醤油もつけず新豆腐
毎月一回、席題句会を行っている。席題句会とは、句会で指名された人が、その場で季語二つほど適当に提案し、句会参加者はその季語でその場で即興的に作句するもので、一箸は…の句はその時に作られた秀句である。
ご家族特に書道をよくされる奥様を詠んだ句には愛情が溢れている。
   入口に餅花飾る書道展
   遠出して祝婚の日のかぶら蒸
   条幅を書きゐる妻や汗光る
   病む妻へ麦茶届けを日課とす
   金目鯛子らに招かれ伊豆の旅
傍らから見ると何処にあのような精力的な動きが出来るのだろうかと思わせる海外旅行があり、宗教がらみの敬虔な祈りの海外旅行も多かったようにお見受けする。
   長江を下る勤労感謝の日
は長江がダム建設で様相が一変する前にとの想いから
   僅かなるワインに酔ひし白夜かな
   マッターホルン雪渓の上に月のあり
健康には当然気をつけて
   いつもなら午睡の時間夏期講座
   朝夕の腹式呼吸鰯雲
   座敷にも風の道ある昼寝かな
   古稀までを生ききし不思議犬ふぐり
   一合は吾には致死量冷し酒
   わが薄き胸にはりつく雪蛍

平明に単純に判りやすくしかも切々と胸に訴えかけて来る句集である。
遺句集になってしまったのが切ない。

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