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2013年2月 1日 (金)

青春時代の軌跡

このところ随分本を処分した。しかし処分しきれない本も多数ある。

処分しきれなかった本の中には、頁を折り曲げたり、傍線を引いたり、感想を書き込んだりした本があり、今読んでもあの時代にはこんなことに共鳴していたのか、こんなことに感動していたのかと、読み返して懐かしさを覚える本がある。青春時代の軌跡を省みる感がある。
同じ本は今だって本屋に頼めばいくらも手に入る本があるが、手垢のついたあの書き込んだり、折り曲げたりした本こそ欲しい本だ

そんな本の中に今も心に残りながら手許にない、青春時代の軌跡の一端を感じさせて呉れる本がある。
倉田百三著「愛と認識との出発」、原口統三著「二十歳のエチュード」の2冊。
何時、誰に貸したのか覚えがない。しかし返して頂いた記憶もないし、現に手元にもない。

その中の原口統三著二十歳のエチュード」は、岩波文庫で、本屋に頼んでも絶版になっていて手に入らない。図書館にもないという。手に入らないと思うと無性にもう一度読んでみたいと思った。あの当時の傍線も書き込みも無い本が手に入ったとしても、案外青春時代に感じたことと現在の感じとは違っているかもしれない。兎に角もう一度読んでみたいと思ったが諦めていた。

Wikipediaに拠ると、『原口統三の遺著となった「二十歳のエチュード」は、夭折した詩人の書として人気を集め、30年以上に亘って版を重ねた。文芸評論家で原口の後輩に当たる高橋英夫は「戦後詩は原口統三を発見するところから歩みをはじめた」と高く評価し、彼の自殺については唐木順三の自殺について」(1950年)でも扱われている。また生前親交のあった清岡卓行は「海の瞳」で原口を描いている。

一方で、評論家の中村光夫は「文学が人生におよぼす害悪の一例」として批判している。また原口の周辺にいた学生らを「自殺教唆者達」と非難する声もあったという。』とある。

ところが諦めていたその本が手に入った。勿論書き込みも傍線もないまっさらな本だ。アマゾンの小型タブの中の「本」の欄に載っている。しかも¥0で購入できる。
早速手に入れたが、昔の傍線や書き込みがないから、推測に過ぎないが矢張り昔読んだ時の感想とは大部違っているように思う。

Wikipediaの文中にある、唐木順三著「自殺について」は昭和25年(1950)頃発売された弘文堂刊の「アテネ文庫(絶版)」に収められている。
「きけわだつみのこえ」「藤村操」「芥川龍之介」等々12編の内の一編で、本書の前書きには安楽死論と自殺等に就いての考察が書かれている。

想いの籠もった本は安易に他人へ貸すのは考え物だ。自分が想っていることと他人の想うこととは必ずしも一致しないからだ。
年寄りの本への郷愁の一端である。

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コメント

今、この年齢になって、体力的にかなりの無理をしながらたまった本を整理して居るのと、全く記憶にないのだが行方不明になってしまった本を口惜しく思うのと、こうしたことは私だけではないのだな、と思いながら読ませて貰いました。

投稿: Y.K. | 2013年2月 2日 (土) 02時26分

本や資料の整理は、埃と体力勝負のようなところがあって、意外と重労働ですね。

職を退いたら、今までの経験を踏まえて専門的な本を書きたいと思い、それなりに資料も集めていたが、趣味の方に時間をとられて本の方は諦めました。その資料が又整理の対象となっているのも皮肉なものです。

本屋の店頭に昔読んだ本や習った本などがあると青春時代への郷愁じみたものを感じます。

投稿: alps | 2013年2月 2日 (土) 10時37分

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