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2012年11月24日 (土)

ノーベル賞授賞式関連

12月10日、山中教授のノーベル賞授賞式がストックホルムで行われる。それに関して以下の記事が静岡新聞22日の夕刊に載った。

『田中真紀子文部科学相は22日の閣議後記者会見で、山中伸弥京都大学教授に医学・生理学賞が授与されるノーベル賞の授賞式(12月10日、スウェーデン・ストックホルム)に出席しない意向を明らかにした。
ノーベル賞で日本人受賞者が出た場合には、文科相が授賞式に出席するのが通例。田中文科相は「(山中教授夫妻からは)自宅に電話もよくいただいている。(授賞式出席は)光栄なことだが、風邪も引きそうだし、個人的に話ができればそれをもって最大の光栄だと思っているので参りません」と述べた。』

記事からする田中真紀子の行動の裏に何かあるのかどうかは知る由もないが、風邪も引きそうだしなどの見え透いた言動には、多分に違和感を感じる。

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2012年11月12日 (月)

海坂創刊800号記念号

俳誌「海坂(うなさか)」が創刊800号を迎えた

百合山羽公(ゆりやまうこう)、相生垣瓜人(あいおいがきかじん)両蛇笏賞作家を主宰として創刊されたのは昭和21年(詳しくは瓜人は昭和22年から)、当時は戦後間もなくの混乱の中での発行で誌名も「あやめ」だったが、昭和25年から現在の「海坂」となった。
多くの俳誌が消えて行く中で、海坂は「海坂創刊750号記念号」を経て今回、創刊以来66年余月を経て800号を迎えることになった。
800 冒頭に、羽公・瓜人アルバムが掲載されている。
800_2 松平和久氏による、戦後間もない頃、古書店で見つけた、『孔版姉妹句集発見始末、百合山羽公「故園句抄」、相生垣瓜人「句集秋扇帖」』の当時の写真入での紹介は出色である。

井上康明氏による、名句集鑑賞として、百合山羽公「寒雁」、相生垣瓜人「明治草」両蛇笏賞受賞句集の紹介と抽出句の紹介がある。

和田孝子氏の「あやめのさむらいたち」と題する、あやめ発足当時の懐かしい写真も当時の状況説明文と共に掲載されている。

第4回「みなづき賞」の記録と、対象になった「羽公・瓜人全句集」を含めて「羽公・瓜人を語る夕べ」の座談会記録も、句碑巡りの記事と併せて楽しく興味深い。

特に今回は、「随想」が50ペーシに渉り、現在の海坂会員の内の100人から寄せられていて圧巻である。殆どは、俳句を始めた動機、海坂を選んだ由来、藤沢周平と海坂、句会の思い出、等々で占められているが中に2,3編少し違った観点からの随想が含まれていて興味深い。その内の一編を紹介する。

人生は出会いである。…私は第一線を退いた時は七十歳を優に過ぎていた。「俳句との出会い」はその直後である。充実した後半の人生を送る為に、最適な選択だったと今でも思っている。
私は現役時代によく海外出張をした。海外から見る日本には、明確な四季、美しい自然、そして清冽な水がある。惜しむらくは、その時代に俳句を知らなかったことである。
良く引き合いに出されるが「氷が溶けたら何になる」との設問に「水になる」と答えるのが常識的だが「春になる」との答えには柔軟な発想と飛躍がある。私の今までの思考方法からは意表をついた発想で、そのような新鮮な発想の出来る感性を羨ましく思う。その感性を欲しいと思う。
晩学の俳句であるが、入ってみると学び甲斐がある。人生に潤いを与えてくれる。生来不器用な私にとって、安易な道ではないが力の続く限り努力して行きたいと思っている。
伝統ある「海坂」が創刊八〇〇号を迎える。先人達のご努力に感謝しつつ、八〇〇号との出会いにも感謝している。

海坂創刊800号までの歩み」の記録は微に入り細に入って、良く此処まで記録されていたものと感心する。組織の動き、人の動き、世の中の動きや人生の機微に渉る記述は、800号までの足取りが手に取るように追跡できて、後世に伝える貴重な記録誌となるであろう。

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