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2012年10月24日 (水)

新聞の見出し

今年のセ・リーグのクライマックス・シリーズ(CS)は面白かった。

長いペナント・リーグで、2位中日に10.5ゲーム差をつけて圧勝した巨人も、中日との直接対決は11勝10敗3分と5分の戦いだった。

そしてCSのファースト・ステージではペナント・リーグ2位の中日と、3位のヤクルトが戦い、あわやヤクルトが勝ち上がるかと思った第3戦の8回裏に思いもよらぬブランコ選手のグランド・スラムが飛び出して、熾烈な戦いを制した中日がファイナル・ステージへと進んだ。

そしてファイナル・ステージでは、熾烈な戦いを勝ち上がった中日が、その勢いをそのままに3連勝し、巨人は崖っぷちに立った。
私は巨人ファンでも、中日ファンでもないから、この戦いのTV放映は見なかった。結果はTVニュースや、翌日の新聞で知った。

そして運命の第4戦は、巨人が3-1で勝ったことをTVニュースで知り、翌日のスポーツ欄で見た。新聞のスポーツ欄では、

まづ、日経新聞の大見出しは「巨人、息吹き返す」であり、
    静岡新聞の大見出しは「巨人、意地の1勝」とあった。
読売新聞ではないから、両新聞とも公平な立場からの報道であることに間違いはない。
私はこの表現を読んで、同じ戦いを報道する見出しにも随分深さが違うものだなと感じたが、これは個人の感じで感じ方は人夫々である。

因みに、
野手部門の個人成績の欄では、
日経新聞は、打・得・安・点・振・球・犠・盗・失
静岡新聞は、打・安・点・本・打率
とある。静岡新聞の打率とは、このファイナル・シリーズに入ってからの打率にすぎない。それよりはどの選手が有効な活躍をしたかを(数字の上でも)知りたいと思うのが普通だが、それは人夫々である。

投手部門の個人成績の欄では、
日経新聞は、回・打・投・安・振・球・失・責
静岡新聞は、回・打・安・責・防御率
とある。防御率もファイナル・シリーズに入ってからの率で、1イニング投げて自責点1ならば、防御率9.00ということになる。つまらない表示と考えるかどうかは人夫々である。

日経新聞は、ペナント・リーグの報道は紙面の片隅にちまちまと書かれていたが、CSになってからは紙面1ページの40%程度を割いている。静岡新聞も同様に40%強の紙面を割いているのは同じである。

何れにしても大した話題ではないが、なんとなく新聞社の体質がそこはかとなく表れていて野球も面白かったが紙面も面白かった。出来れば他の新聞の報道も比較して読んだらもっと面白いだろう。紙面からどのように感じるか受け取るかは人夫々である。   

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2012年10月16日 (火)

藷掘り

我が家の東横の路を挟んで100坪ほどの畑がある。と言っても家々の間に挟まれた畑で、隣家の家族が季節のものを楽しみながら作っている。

今日は隣家関係の保育園児が来て、賑やかに藷を掘っていた。
Photo 割合、大きな藷が採れて園児らの楽しげな声が秋空に飛び交っていた。このような場での子供らの声を聞くのは楽しい。
我が家もおこぼれを頂いた。

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2012年10月11日 (木)

山中教授のノーベル賞受賞

京都大学の山中伸弥教授がノーベル生理学・医学賞を受賞した。最近の日本人にとって久々の朗報である。

1.最初にその偉業を思う
  学者でもないし、研究者でもない私にとっても、、「夢の再生医療を実現に近づける人工多能性幹細胞(iPS細胞)を、僅か四つの遺伝子導入で生み出した」偉業をTV等で解説されると、その業績の大きさが凡そ想像できる。
これからの研究や、医薬への応用等によって人類の受ける恩恵を思うと、とてつもなく大きな業績であり、本当に嬉しい受賞である。

2.受賞会見の挨拶
  受賞時の会見挨拶では、
  ①支えてくれたものへの感謝
日本、日の丸の支援がなければこんなに素晴らしい賞を受賞できなかった。将に日本が受賞した賞であると国への感謝、支えてくれた人たちへの感謝、家族への感謝、お母さんへのお礼を込めた報告等、総て謙虚に自分一人の賞ではないことを述べた。
ノーベル賞ではないが、世の中では兎角、自分一人でやった業績のようにまくし立てる人々の多い中で、山中教授のような発言は心にしみる。
特に一緒に苦労した高橋和利氏(京大講師)の名前を再三にわたって挙げて彼への感謝の意を表したのには胸を打たれた。

  ②受賞とその責任に就いて
これからの再生医療や創薬への利用も期待される中での責任を果たしてゆくのが、これからの課せられた責任と語っている。

3.挫折を乗り越えて
  スポーツ外科医を目指して挫折、手術が不得意で「じゃまなか君」と呼ばれた経緯もあり、「どれだけ手術が上手でも治せない病気や怪我がある。治せるのは基礎研究ではないか」と、基礎医学研究に転じ、留学から帰国後は、一時うつ状態になるなどの波乱続きの中で「人間万事塞翁が馬」を、心の支えにしてきたという。
私も自分自身の経験から、長い人生の中で一度も挫折感を味わった事がないという人が居たら、私はその人は信用できないと思っている。

4.出身校に就いて、
  山中教授の出身校は神戸大学医学部で、その後の経緯は発表されているとおりである(神戸大、臨床研修医、大阪市立大大学院、米グラッドストーン研究所、奈良先端科学技術大大学院教授、京都大教授)。
特に取り上げたいのは、実社会において殆ど業績もないのに、兎角出身校を鼻の先にぶら下げる者の多い中で、山中教授は神戸大を基礎に着実に足場を固めてきた経過を思う。
人は人生において、卑近な例では会社に対して、ひいては社会に、国に、人類に対して、どのような貢献をしたかに就いてこそ、真価を問われるべきであると考えるからである。

5.最後に、人は一人では生きられないということである
  山中教授とiPS細胞との出会い。ご自身が生まれた年に、ジョン・ガードン教授の、核移植技術を使ってのクローンカエルの実現という運命的な研究成果。そして今回の同時受賞。人生は出会いである。特に高橋和利氏との出会い等を考えると、人は一人では生きられないと改めて思う。  

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2012年10月 3日 (水)

句集「管玉」

小浜 史都女さんから頂いた、句集「管玉」を読む。

あとがきによると概略、『「管玉」は、「壺の口」「菊芽挿す」に続く第三句集であり、平成17年から24年春までの作品を収めたもの。……「管玉」は吉野ヶ里の作品から名付けたもので、幾度も吉野ヶ里に通い、中でも出土された副葬品の管玉に心が奪われた。
句作りは私の生命力となっている。自然と向き合って、多くの人と座を共有する楽しさ、また一人の時間の充足感、共に享受できる環境にあることを感謝し、これからも、もっともっと俳句を楽しみたいと思っています。』と、述べている。
Photo_3
    ひんがしにいつも天山祝箸
天山イコール天山(山脈)を連想させ、スケールの大きな句集というのが第一印象である。
    天山の風をうなじに若菜摘む
などもそれを感じさせる。

最近の俳句は目の前の日常ばかりを詠んでいる中で、自然詠の多いのも嬉しい。
    雨三日野蒜は花を伸ばしたる
    二の滝の音もきこえて一の滝
    なかんづく荒神谷の蓮の花
    島畑はみな網囲ひ茄子の花
また、

    唖蝉とおもふひとこゑ広島忌
    遠く来ていつもと違ふ鉦叩
    霊峰の隣の山に登りけり
    うららけし喃語に多きあいうえお
等は感性や意外性を感じさせて面白い。

    秋簾おろし二之町三之町
    その奥もそのまた奥も寒牡丹
    花の闇その先もまた花の闇
    うすずみの雪まつしろの雪となり
    日ごと減りけふどつと減る春の鴨
には余裕とも余韻とも亦リズム感がある。

吉野ヶ里全国俳句大会は、史都女さん中心に進められたと聞く。企画・実行力は素晴らしい。
      集落に北と南や雁渡る
      秋のこゑ外環壕の深きより
      楼観に延べあましたる鰯雲
      副葬の管玉青し虎落笛
等は吉野ヶ里を詠んだ句。

隠岐へも何度か足を運ばれたのであろう。
      蕎麦の花山ばかりなる島めぐる
      飛び火して隠岐に燃えゐる曼珠沙華
      七百の牛を放ちて大花野
      隠岐は神多き島なり留守詣で

親子の情愛も深く
      末の子も笛方にをり秋まつり
      兄のあと弟ふたりつくづくし
      機嫌よきときも淋しげ生身魂

地についた明るい句が多く
      草笛を覚えしあとの鳴らしづめ
      晩学の机にまはす木の実独楽
      元寇の海を間近に春田打

毎年6月、東北地方の那須町の遊行柳の「柳まつり全国俳句大会」が行われるが、その大会に併せて、田植え祭が行われる。写真はその時の模様である。
Photo_5 Photo_6
お聞きする所では、史都女さんの地元、佐賀の祐徳稲荷神社でも同じような形式で、田植え祭が行われている由。
      低頭にはじまる神事御田植祭
      田を祓ふ禰宜のうすべにうすごろも
      綱張りは白装束よ御田植祭
      切り幣の撒かれはじまる御田植祭

爽やかな読後感を頂いた。 

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2012年10月 2日 (火)

俳句添削

市販の俳句雑誌には殆ど「俳句添削教室」という欄が設けられていて、その道の先生方が指導されている。
これは各地各句会に於いても同様、指導者が句評と共に必要に応じてその場で添削指導する場合がある。

以下は既に俳誌にも掲載された添削俳句の中から、身近な適当な実例を拾ってみる。掲載された年代は最近のものからかなり以前のものも含む。
何れも指導先生が原句になるべく忠実に添削されているので、必ずしも先生の満足の行く添削句であるかどうかは判らない。

  原句 雲湧きしよりの旅愁や花辛夷
  添削 湧く雲に旅愁深まる花辛夷
        俳句は現在形で詠む

  原句 牧童の空近くなり下萌ゆる
  添削 牧の空高くなりたり下萌ゆる
           
反対の立場で詠んで見る

  原句 揚雲雀遠つ淡海を一望に
  添削 一望の遠つ淡海や揚雲雀
        一望にの「に」が気になる

  原句 少し濡れずぶ濡れになる水遊び
  添削 少し濡れ直ぐにずぶ濡れ水遊び
        間延びした表現は避ける

  原句 野菜市の行列長し在祭
  添削 野菜買ふ列の長さや在祭
       
関連した句は近づける

  原句 木の実降るおのが幹打つ音幽か
  添削 おのが幹打って木の実の音幽か
       
俳句的表現で詠んで見る

  原句 秋麗の天ひるがへす万国旗
  添削 万国旗秋麗の天ひるがへり
        なるべく魅力を心がける

  原句 晩稲田の刈られ暮色は裾より来
  添削 晩稲刈峡の暮色は裾より来
        刈るは不要

  原句 月を待つ万葉歌碑と海を向き
  添削 仲麻呂の万葉歌碑と月を待つ
        海を向くは不要 

以上はほんの一例であるが、何れも「物」を通して心を詠んでいることが伺える。

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