折鶴
浜松市の奥山に臨済宗大本山方広寺がある。
遠州地方を中心に末寺170寺を持つ臨済宗方広寺派の拠点である。
此処で毎年9月に「奥山方広寺観月の夕べ俳句大会」が開催され今年で6回目になる。このところ「天為」の有馬朗人主宰の講演があり、今年も「中国からきた季語」と題する講演があった。その講演が終ると暫時休憩があってその後俳句大会に移る。
休憩時間中に「白魚火」の仁尾正文主宰が、私の句友であるT君を探していると聞いた。暫くして戻って来たT君にその旨を伝えた。彼は直ぐにそちらへ行き、ややあって戻って来た。
話の内容を聞いてみたら、彼の投句した、
折鶴の折り目の尖る原爆忌
が、「椎」の九鬼あきゑ主宰の特選に入っていて、九鬼主宰がその作者に会いたいと仁尾主宰に伝えたのが事の次第。
彼の話では、九鬼主宰が、この作品の作者をご自身の眼で確認したかっただけではないかと思ったので、前に宮島へ行く途中、広島の原爆ドームへ寄ったこと、その後も2回ほど原爆忌に合わせて広島へ行ったことなど2,3分立ち話を交わしたという。
私は、「九鬼主宰は自分が採った句に就いて、その作者の意図に就いて少し聞きたかったのではないか」とT君に言った。
T君は、「そうかも知れないが短時間だからどこまで句意に付いて話が出来るかな」と言ったあと、「そうかもしれないな、せめて折鶴の表情から享ける印象、特に折り目の表現と原爆忌との関係に就いて多少の意見を交わすべきだったかな」と言った。
本論から少し外れるが、
本来、鶴はめでたいものとされ、鶴の折り方にもめでたい鶴を際立たせる折り方がある。しかし千羽鶴に使われる鶴の折り方が一般的には知られていて、特に広島の原爆被災者である一女性が必死になって千羽鶴を折った事から平和のシンボルにもなっている。
余談だが私の旧友Y君(国立大名誉教授)から聞いた「ドイツ降伏後の広島原爆投下の前に、ハイゼンベルグからの仁科氏宛(他に嵯峨根氏宛も)の手紙が、米軍機により広島に投下された。」という事実を反芻する。若しその時点で日本が降伏していたらこんな悲劇は起こらなかったであろうというのは、当時の情勢を知らない者の言で、玉音放送を奪ってまでも本土決戦を叫んでいた先鋭激情軍人群のいたことを思うと身の毛がよだつ。
本論に戻るが、
原爆から享けるイメージの刺々しさを、折鶴の折り目に託して、T君はこの句を作ったという。
この鶴は悲しみとも祈りとも受け取られる鶴に思える。少なくとも翼を広げて大空に羽ばたく鶴ではない。
この句は取り合わせの俳句であるが、折鶴と原爆忌は近いのではないかと言う意見も出そうだが、私は適当な距離で、実感を伴うと感じている。
俳句は一旦発表されると作者の手元を離れて一人歩きする。
九鬼あきゑ主宰の講評に就いて、「私が意図していた内容より折り目の表現を含めて、遥かに深く掘り下げて解釈して下さったことに感謝したい」と、T君は語っていた。
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