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2012年8月31日 (金)

雀蜂の巣

数日前、庭木の手入れと消毒に来ていた庭屋が声を上げた。
庭隅の山茶(さざんか)の根元から少し上の、幹の枝分かれした部分に、径10㎝ほどの雀蜂の巣があるという。
余り雨の降らない時には庭木に水をやっているが、そんな庭隅にあるのは判らなかった。

そう言えば、5,6年前、庭の梅の木に梅がびっしりなっていたので、私が取っていたら足長蜂にちくっとやられた。葉の陰に小さな巣があったのが判らなかったし、まさかそんな所に巣があるとも思っていなかった。直ぐに近所の医院で手当てを受けたあと、巣を取り除いて以後事なきを得た。

然し雀蜂となると危険が伴うのでそう簡単には行かない。庭屋は一旦家に帰って完全装備してやってきて難なく巣を取り除いてくれた。
雀蜂の巣は木材を噛んで練り、大きい幾段にも重なった巣を作り、周りを球形の壁で覆う(これを露蜂房~ろほうぼうといって薬用にすると聞く)。
俗に熊蜂(くまんばち)とも呼ばれる。庭屋も最近ではこれほど大きな巣を見た事がないと言って、近所の人たちにも見せて廻った。

いずれにしても早く見つけ除去してくれて良かった。定期的に庭屋が消毒しているので滅多なことはないが、最近では珍しいことだ。

今日で八月も終る。

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2012年8月29日 (水)

法師蝉

今朝7時半ころ、我が家の庭で急に法師蝉が鳴いた。「つくつくほうし」と3回、それを3度繰り返して、後はそれっきり。例年より10日ほど遅れて鳴いたらしい。
(7月に山へ行った時、蜩が「かなかなかな」と鳴き通していた。我が家の近辺では蜩は聞いたことがないし、「みんみん」は去年一度聞いただけ。)

法師蝉は、鳴き声の面白さと、秋鳴く点に、かえってあるさびしさが感じられそれが法師蝉の名にも込められているようである。
   
   法師蝉しみじみ耳のうしろかな    川端 茅舎
   尽く尽くと何急かすなる法師蝉    文鋏夫佐恵
   鳴き終るときの確かに法師蝉     稲畑 汀子
   つくつくし母よ小さくなるばかり     柴崎左田男
   父母なくて何ぞ故郷やつくつくし    池田 弥寿
   また微熱つくつく法師もう黙れ     川端 茅舎
   法師蝉海へ放ちしこゑをさむ      山口 誓子
   島山や鳴きつくさんと法師蝉      清崎 敏郎
   法師蝉疲るるばかり読みふけり    星野 立子    

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2012年8月21日 (火)

無言館、第二展示館

今年の夏も又猛暑だった。未だ残暑は続いている。
八月十五日も暑かった。そのなかを子供たちと再々度、無言館を訪れた。親には親の、子には子の想いが有ってよい。
Photo 外観は何も変わっていない。ただ周囲の木々が一層大きくなったことぐらい。
Photo_4 Photo_5

迂闊だったが2005年6月、無言館前の戦没画学生慰霊碑「記憶のパレット」(写真左)の真ん中のほぼ三分の一に当たる部分に、何者かが大量の赤ペンキをぶちまけるという事件があった。
色々の経緯があったが、2008年開館した第二展示館「傷ついた画布のドーム」前の「絵筆の碑」(写真右)の碑面に復元されている。(写真はクリックで拡大します)

Photo_7写真は第二展示館「傷ついた画布のドーム」である。
Jpg_2 ドームの館内は本館とほぼ同面積、そこに開館以後収集された画学生60余名の遺作が並ぶ。

天井には約360点におよぶ画学生の美校時代の習作、下絵、デッサン が貼り込まれ、館のリピーター達は「戦没画学生のプラネタリウム」と呼ぶ。

天井から降り注ぐ画学生たちの「生きること」、「描くこと」への執着の眩しさ。

戦後67年を経て、今も少しも色褪せぬ彼らの生命の星座を振り仰いで、ただ心揺さぶられる。

一つの歴史を忘却の淵に沈めるのは耐え難い。

過去は時さえ経てば、風化しやがて消えてゆくなどとはもっての他。これほど鮮明に刻み込まれ生きているものかと改めて思い知らされもしたが、そこには若い身空で散っていった者たちの叫び声だけでなく、其れを人夫々に受け止め、自らの心のつかえを吐き出す吐息と、過去への鎮魂の祈りが館内一杯に渦を巻いているような、そんな幻想にいっとき酔いしれた。

8月14,15,16日の3日間、「記憶のパレット」の前に「千本の絵筆」の供養台を設け、画学生の冥福を祈っている。私たちも絵筆をささげ、戦没画学生への鎮魂の意を表してきた。

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