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2012年7月31日 (火)

栗林・今井顕彰碑

敗戦日が近づいてきた。先の戦争を知らぬ世代が増えてくる中で、生命を賭して平和のために戦った武人の居たことを顕彰することは意義深い。

先に記した妖しき運命(さだめに述べた人間・栗林忠道と今井武夫を顕彰する碑が2012/04/16竣工した。
二人の母校である旧制長野中学校の「顕彰する会」が主体的に活動した結果で、写真はその竣工記念誌である。
Photo 碑の右半分は栗林忠道、左半分は今井武夫の略歴と事績を記している。

栗林忠道、1891年7月7日現長野市松代町西条に生まれ、長野中学(現長野高校)を経て、騎兵科を選び陸士・陸大に進み、米国、カナダ等での留学・勤務を経て。1943年東京師団長に任じられる(中将)。これより先、中国戦線泥沼化からの脱却の道として、軍の中枢が対米開戦に動きだしていた頃、栗林は巨大な軍事力をもつ米国との不戦を軍内部で進言し続けたが容れられず、44年6月国土防衛最前線の小笠原兵団長を命じられ、軍中枢は本土決戦体制を視野に、極秘に松代大本営地下造営工事に着手した
栗林は、同年7月サイパン島が攻略されるや、直ちに対米講和を上申したが握りつぶされる中で、自ら食事の階級差をなくすなど陣頭に立って戦闘を指揮し(註:硫黄島)、3ケ月余に亘る圧倒的物量攻撃の下で、味方を上回る人的損害を敵に与えつつ、「不戦の主張むなしく、多くの将兵と家族を犠牲にせざるを得ない悲しみ」を詠んだ、下記訣別辞世を打電し、1945年3月26日、2万余の将兵と死力を尽くし果てた(大将)。享年54歳。御霊よ、故山に帰りて安かれと祈る。

  国の為 重き努めを果たし得で
     矢弾盡き果て 散るぞ悲しき

                   栗林 忠道

左半分には、今井武夫の記事が刻まれている。

今井武夫、1898年2月23日現長野市北長池に生まれ、長野中学(現長野高校)を経て、歩兵科を選び陸士・陸大に進み、その間、朝鮮での訓練、朝満国境の警備、シベリア出兵、参謀本部員として満州事変を体験し、その後中国留学によって軍内きっての中国通となる。
1937年7月7日、盧溝橋事件が起こるや、北京大使館付武官補佐官(少佐)として、強硬派から刺されるのも覚悟して、中国要人との信頼関係を基に、即刻、現地停戦協定を締結したが、軍中央の拡大方針転換によって、その協定は即時に破棄され、中国戦線は泥沼化した。その後も、榮職参謀本部支那課長を自ら辞しての対中和平工作等も軍中枢に阻まれた。この句(註:下記)は戦後、戦争反省の著作に専念した今井が、あの「妖しき運命とは何だったのか」、万感の想いを込めて詠んだものである。
太平洋戦争ではフィリピン戦線「パターン死の行進」で理不尽な命令に抗して米比の捕虜約千名を釈放(大佐)、敗戦後は中国将軍との信頼関係で、邦人・軍人の早期安全引揚げに尽力した(少将)。1982年6月12日没、享年84歳、御霊よ、安らかにと祈る。

 銃音の妖しき運命(さだめ)合歓(ねむ)の花
                     
今井武夫

八月六日、九日は原爆投下、そして十五日は敗戦日。過ぎたこととして忘却の彼方へ埋没してはならない。
今、改めて顕彰碑の意義を考える。

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