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2012年6月 5日 (火)

人と森の物語

かれこれ15,6年前、日経新聞の日曜版に、池内紀おさむの「ドイツ宝探し」という連載記事があった。ドイツの秘境とも言うべき地の紹介を、洒脱な文章で、的を絞った記事は読んでいて楽しかった。日曜版の来るのが待ち遠しかった。
池内氏はドイツ文学者でエッセイスト。

大分前に読んだ本で今も手許にある「ドイツ町から町へ(中公新書)」、「一人旅は楽し(中公新書)」なども楽しい本だ。

今回縁があって、池内紀著「人と森の物語」(集英社新書)を頂いた。
表紙を繰ると池内氏の署名と共に、ご自身が描かれたワンカットの挿絵が入っていて読む前から楽しい雰囲気が伝わってくる。
Photo_2
「あとがき」に拠ると、
『あるとき、北大名誉教授石城謙吉氏に会った。…「1973年4月が始まりだった。苫小牧演習林に新しい林長が赴任してきた」…その人の口から「都市林」という言葉を聞いた。その前から活字では知っていたが、具体的なイメージを抱いて考えてみるようになったのは、それがきっかけだった。あとから著書を読んで、先にもっと勉強しておけばよかったと大いに悔やんだ。あとあとまでも思い出すたびに、身が細る思いがした。後悔をエネルギーにして、少しづつ勉強をはじめた。』とあり、池内氏はそれから全国森行脚をした。

また前書きに言う。
『花の都パリは西にブーローニュの森、東にヴァンセンヌの森を持っている。古都ウィーンには西から北にかけて広大な「ウィーンの森」が控えている。ロンドンニューヨークミラノマドリード…。世界都市はどこも、直ぐ脇に大きな都市林をそなえている。都市生活者は建物のひしめき合った都市に生活するからこそ、より切実に広い緑のエリアが欠かせない。』

春ともなると、我が家の狭庭にも一面に緑が広がってくる。その色を見ているだけで心が和む感じがする。以前、PCを立て続けに4時間以上さわっていたら、急に目の中に稲妻が走って物が二重に見えるようになって慌てたことがあったが、その時は部屋を移って30分ほど庭の緑を見ていたら自然に治ってしまった(以降は2時間を限度にしている)。
だから、池内氏の前書きが頷ける。

本書は、
第1章・甦りの森(北海道苫小牧)、 第2章・クロマツの森(山形県庄内)、 第3章・匠の森(岩手県気仙)、 第4章・鮭をよぶ森(新潟県村上)、 第5章・華族の森(栃木県那須野が原)、 第6章・王国の森(埼玉県深谷)、 第7章・カミの森(東京都明治神宮)、 第8章・博物館の森(富山県宮崎)、 第9章・祈りの森(静岡県沼津)、 第10章・青春の森(長野県松本)、 第11章・クマグスの森(和歌山県田辺)、 第12章・庭先の森(島根県広瀬)、 第13章・銅の森(愛媛県新居浜)、 第14章・綾の森(宮崎県綾町)、 第15章・やんばるの森(沖縄県北部)
からなっている。北から南に掛けて、主だったところを紹介している。

私の身近な所では、
第9章 祈りの森 で沼津の千本松原の紹介がある。千本浜・片浜・原・田子の裏の海岸がゆるやかな湾曲を描いた所。距離にして約19km。これだけ長大な松原が続く地形も珍しい。
僧、長円が静岡巡錫の途中、この地に立ち寄り、風と波に苦しめられている人々を見て植松をすすめ、その指導によって防風林が広がり、緑豊かな土地に変わった。
若山牧水がこよなく愛し、住みつくまでになった。牧水のいう「二抱え三抱え」の古木も戦争中に松根油採取のために切られた。大正末年の伐採計画は市民の反対で立ち消えになったが、昭和の大戦争が千本松原を根こそぎにした。

もう一つは私の故郷である信州の森、
第10章 青春の森 で、岳都と称せられる松本の松本駅は、標高の点に目をつぶればヨーロッパの岳都インスブルックの駅頭に立ったときとそっくりである。
私も海外出張時インスブルックには約1週間滞在したが、今もその時の自然の美しさが目に焼きついている。
此処に旧制松本高校がある。大正10年(1921)第2代校長として大渡忠太郎が赴任してきた。当時の校長はおおかた文部省のお眼鏡にかなった能吏型の教師が選ばれたが、大渡校長は明らかに当局の意向に反していた。当時はだだっ広い空地に校舎があるだけ。校長は赴任するやいなや校長の職務の傍ら、ヒマラヤスギを植え、県の宮の跡地を丸く取り囲んだケヤキ群と結びつける。グラウンド沿いにサクラの若木を植え学園環境を整えた。植物学者でもあった大渡校長のヒマラヤスギは青春の森として今も親しまれている。

本書は、自然環境の中の森の持つ役割と、その重要性を改めて考えさせてくれる。

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コメント

木守りという風習があった事を知った時、人と木の互いに慈しみ合うかのような関係に感動し、木が集う森は人を癒やし海を育てるのだと思いました。森は国、時代を問わず、いつも人と共に寄り添い、深い交流を保ってきたのだと思います。敗戦後の経済至上主義が破壊した森は、戻って参りません。失われていく森をどうするか、という問題は、地縁的人間関係を、原発を、未来をどうするか、といった切実かつ広汎な問題を含んでいるのだと感じます。御紹介下さいました御本を読んでみたくなりました。

投稿: Paillette | 2012年6月16日 (土) 17時23分

Pailletteさま、コメント有難う御座います。
最近、世界的に異常気象が発生し、天災と言う人災の頻発の一因は、人為的な自然破壊が進んでいるのを看過できません。
天人の羽衣伝説で有名な三保の松原や、日本三大砂丘と言われた内の中田島砂丘など今は見る影もなくなっている。
安易な森の伐採もその一因と言われ、営林署などの伐採計画には地元も目を光らせる要がある。長野県根羽村の村長は、村内のブナ原生林を営林署が伐採するのを防いだお蔭で遠く愛知県からも感謝状が送られる結果となった例もある。
ブナ原生林などに行ってみると、森は人間の心も豊かにしてくれることを実感する。自然破壊を防ぐことも考えると、森との共生は、もう一度考え直す時ではないかと思います。人と森の関わりについて本書は楽しく語ってくれる。

投稿: Alps | 2012年6月18日 (月) 21時44分

深い緑の森に筆者の伸びやかな知性が寄り添っている…「人と森の物語」を読み、感じた印象でございます。社会科の副教材はウソつきだ、から始まりあながちウソつきではない、と一巡する筆者の柔軟性が、一つ一つのかけがえのない森への思いを導き出し、的確に温かく穏やかなものを読者へ伝えてくれます。私は、特に陸前高田の森の章が、心に残りました。津波が来て町が押し流されても、諦めたり、絶望したままではいけない。気仙大工の残した建築から、町をバウハウス的な復興へ繋げられないか、とする提言からは、思いつきではなく幼年期から現在迄を貫く筆者の方向性の結果、なし得たものを土台とする、共に今を生きる人々への愛情のようなものを感じました。一人の人間として生きるとは、そういう事なのかもしれません。素敵な本です。御紹介下さいまして、誠に有難うございました。

投稿: Paillette | 2012年8月23日 (木) 10時03分

旅はするものではなく、つくるもの。
旅の仕方で、その人がよくわかる。
人間は自分とかかわりのあるものにしか目を向けない。
とは、池内氏の弁。

投稿: Alps | 2012年8月28日 (火) 14時40分

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