女のきつぷ(神谷美恵子)
NHKラジオ第2放送で毎日曜日朝、「こころをよむ」シリーズが放送されている。
4月から6月までは、森まゆみ氏の「女のきつぷ(気風)」で、樋口一葉、与謝野晶子、宇野千代から始まって、全13回講座で5月27日は第9回、「神谷美恵子」に就いての講座だった。
この「女のきっぷ」を取り上げた趣旨を、まゆみ氏は概要次のように述べている。
『今まで近来の女性というと、門地と受けた教育、その人の業績、成功したかどうか、美人かどうか、華麗なる恋愛遍歴などに焦点が当てられてきたように思う。
そして「炎のように」「自分らしく」生きることの肯定のあとには「品格」に注目が集まったりした。
しかし品格と言うとどうしても上品、下品のように階級社会の価値観が持ち込まれる。……見せかけだけで、自分をさらけ出さない、慇懃無礼なあの山の手文化には、下町育ちのわたしはどうも馴染めない。これはまさに門地と学歴の社会だから。
そうじゃないところに素晴らしい生き方の人はいる。……ぎりぎりのところで人を助け、人を励ます。そんな女の人に共感する。云々』と、ある。
神谷美恵子と出会ったのは、ある時ふと立ち寄った書店に、みすず書房コーナーがあり、小難しい名の本が並ぶ中に、「生きがいについて」と題する本があり、その著者が神谷美恵子だった。立ち読みをしているうちに何か共感するものがあり、迷わず買った。1972年12月20日第19刷とあり、買ったのは本の裏表紙に1973年10月30日と記入してあるから今から約40年前になる。(写真はみすず書房刊「神谷美恵子著作集1.生きがいについて」より引用)
それで知ったことだが、彼女の父上は、前田多門。文部大臣まで勤めた人。私が「大日本育英会」の育英資金を受けて進学出来たのは、終戦前年で、当時の大日本育英会会長が前田多門。今でもその資金を受けられたことに感謝している。
序に彼女の兄君は前田陽一で有名な仏文学者。NHKラジオのフランス語講座を担当していたのを記憶している。
その神谷美恵子は津田英学塾を出ながら、ある経緯があって東京女子医専に学び、彼女の半生をハンセン病患者のために捧げた。
岩波文庫に島崎敏樹著「生き甲斐」と言う本(記憶に間違いがなければ)があるが、彼女も医専時代に島崎敏樹と出会って精神科に興味を持ったのも一因ではないかと思う。
父上の勤務の関係もあり、幼時フランスに住んでいた時期があったので、長じても彼女は物を考える時にはフランス語で考えると、著書の中に記している。
私の家の近くに「聖隷エデンの園」という施設があり彼女も暫く其処にいたことがあると聞く。又、これも風のうわさだが、皇太子妃美智子様(現、皇后陛下)が皇室に入られてから種々のことで、美恵子とお話があったとも聞く。
1982年7月に娘から、神谷美恵子著「こころの旅」という本を送ってきた。私が「生きがいについて」を読んでいることは知らない筈なのに親子とも何か神谷美恵子に就いて同じような想いを抱いたのかもしれない。
神谷美恵子はこの多忙の中で、著作集13冊をまとめ、その他多くの翻訳本が岩波書店やみすず書房から出版されている。
1979年に65歳で急逝した彼女を、天はもっと生かして欲しかったとしみじみ思う。
森まゆみ氏の、神谷美恵子論を聞きながら色々のことを想った。
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