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2012年4月20日 (金)

山廬行

4月初旬機会を授かり、「山廬(さんろ)」を訪れた。
山廬は山梨県東八代郡境川村(後、合併により笛吹市境川町小黒坂)にある。当日は素晴らしい好天に恵まれた。

山廬とは飯田蛇笏・龍太親子が生涯を過ごした居宅の総称で邸内は非公開となっている。
今は龍太のご子息で山廬第11代の当主である飯田秀實氏ご夫妻がお住まいになっている。
歌人である三枝昂之氏は「文芸に関わる人間にとって山廬は聖地です」と言っているように、その道の人にとっては一度は訪問したい所である。

蛇笏・龍太について概括すると、

俳句における最高賞といえば「蛇笏(だこつしょう)」。
蛇笏賞は、飯田蛇笏の功績を称え、角川書店が1967年(S42)創設したもので、毎年6月に優れた句集に授与している。

飯田蛇笏(1885(M18)4.26.~1962(S37)10.3)、別号「山廬(さんろ)」
良く知られている句に
   芋の露連山影を正しうす
   をりとりてはらりとおもきすすきかな
   くろがねの秋の風鈴鳴りにけり
等があり、1917年(T6)俳誌「雲母(うんも)」の主宰。

その子の飯田龍太(1920(T9)7.10~2007(H19)2.25)、
良く知られている句に
   いきいきと三月生る雲の奥
   一月の川一月の谷の中
   かたつむり甲斐も信濃も雨の中
等があり、「雲母」主宰を継承し、1992年(H4)蛇笏没後30年を期に「雲母900号」で廃刊した。
1  「廬」は「粗末な小さな家」という意味だが、勿論謙遜称で写真(絵葉書より)のように情緒のある銅葺き平屋建ての居宅。家の裏には大きな欅が生えている。訪れた時は欅はまだ冬木だった。

居宅の近くにある蛇笏・龍太の墓前に供華する。
山廬の広い庭には、蛇笏が愛した椿の花が咲き満ちていた。Img_2856 Img_2857

   

椿に隣り、大きなもちの木が立っている。(写真はクリックで拡大)
入口の門は石柱が左右対称に立っている。其処から玄関までは大きな飛び石がある。家の前には龍太の書斎に寄り添うように赤松が枝を伸ばしている。

Img_2906 家の入り口には井伏鱒二書の「飯田龍太」の表札が今もそのまま掛っている。

屋内は昔の雰囲気がそのまま残されていて情緒がある。

床の間の掛け軸の俳句は、その時々の季節に合わせて架け替えられる。今回は、
  満月に目をみひらいて花こぶし  龍太
だった。

山廬の裏に出ると瀬音が聞こえる。幅4~5mの狐川で、有名な龍太の句、
   一月の川一月の谷の中   龍太
は此処を詠ったものである。
山廬の外壁には昔蚕飼に使われた大きな籠などが置かれ、又龍太手作りの箒が立てかけられていて情緒がある。姫辛夷や、しで辛夷が今を盛りと咲いていた。
Img_2877 Img_2879

狐川にかかる木造の太鼓橋を渡った先が後山(ござん)でこの広大な山も飯田家の所有である。
  手が見えて父が落葉の山歩く   龍太
は此処で詠われたもの。後山を登ると広い展望が開ける。

Img_2891_2 一面の桃畑と葡萄畑が連なり、その先に八ヶ岳連峰を含めて四囲の山々や更には甲府盆地の絶景が見渡せる。
疲れた体を休める木椅子も設けられていて、周囲には野蒜も生えている。

山廬や狐川、後山を含めた一帯の景は、恰も俳句の世界の中にどっぷりとつかっているような雰囲気が漂っていて、三枝氏の言葉が実感として迫ってくる。

山廬訪問の余韻を胸に帰路に着く。

西富士道路から見る富士山には月が掛っていた。

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