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2012年4月12日 (木)

「きたまど」第33集

 S誌の旭川全国大会閉会後、帰浜を1日延ばし、翌日(200372日)旭岳山麓散策の一日を楽しんだ。

そこで出会ったのが、偶々同じ考えで旭岳を訪れた、同じS誌所属のT女史だった。もしあの大会後、夫々そのまま帰宅していたら(大会のどこかで会っていたにしても)単なるすれ違いに終わったに違いない。考えてみれば出会いとは不思議なもの。

あれから9年近くの歳月が経った今、こうしてお互いの情報を交換し合えるのは不思議なご縁である。

9年という歳月は夫々の想いの籠もった重い9年だったに違いない。そして合同句集「きたまど第33集を迎えた。年一回の発行だから33年の歳月を経たことになる。会員各位と奉仕者の努力は大変なものだろう。

小松 義春氏の巻頭エッセイ「句の切れ味寸見」は大変参考になった。実例を引いて解説しているから良く判るし納得できる。例えば、

梅東風狼煙詰所の暗のぞく 

は日頃多く用いられている切れ字であり、

   山鳩みればまはりに雪がふる

に置き換えてみるとの場合のように呼びかけて共感を求め合うという密なる連絡がたたれてしまう等々判りやすい。

高井 利夫氏の落ち葉尽して」は物に託して心象を詠っているのに感動した。読みなおし味わいなおした。

  残り火の一つ燻り野焼き果つ

  陪塚の孤影野に置き春惜しむ

等、景を詠いながら滲み出る心象を詠っていて興味深い。

毎号、質の高い投句を拝見しているが、生活感や人生観の滲んだ寸言も興味深い。

33_3  ①俳句に関する意見や感想

所属結社との作風のずれや温度差を句会を通して感じたこと

第二芸術論により惹起させられた俳句の真髄の再発見

俳句との出会いによる観察眼の変化

兼題に苦労しながら句友と研鑽しあったこと

湯豆腐のような句は美味しそうに

深耕するほどに俳句とは何かと思い悩みながら深みを増してゆくこと

句作と選句の難しさを改めて実感していること

東日本大震災への想い

歴史に学びながらいつの間にか人間の弱さを露呈する教訓

銀杏の実を拾う人の影が見えなくなった寂しさ悔しさ

希望を持つ限り生きる力が湧く話

旅吟

子規の句に勇気付けられ藤村を回想して美濃から信州へ

正倉院展に絡む歴史を追って

魅惑の北欧の旅の印象

自然詠

庭先の赤い実にまで想いを寄せるようになった

牛農家との交流の實体験や自然愛の再認識

面白い話題

海鼠(なまこ)の面白い保身術に絡む話

自選の難しさ

選句の難しさ過酷さの実感

健康と俳句

健康が基本。満足もせず後悔もせず、来し方を振り返りつつ「きたまど」を去る淋しさ。

「絶筆となるやも知れぬ日記買ふ」は切ない。

人間誰だって生死は宿命。希望ある限り人は老いない(サムエル・ウルマン)。

宇賀神 尚雄氏のあとがき」に『北窓句会は、2310月に毎月の例会が400回目を迎えました。大変な偉業であると思っています。』とあるが、この種の句集で30年余も続いているのは稀有のこと。会員各位の熱意と努力に敬意を表したい。

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