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2012年3月10日 (土)

共産党最後の日

「忘却とは忘れ去ること」という台詞があった。人間の記憶力には限界もあるし、薄れることも忘れることもある。「共産党最後の日」は強烈な印象があるが、その時の記憶には案外朧な部分が多い。

日経新聞に「私の履歴書」という欄があり、その記事の中で、嘗て元米国防長官であったウィリアム・J・ペリー氏が、「共産党最後の日」を記録している。記憶の補完として記述する。

1991年8月19日、ソ連国営のタス通信はゴルバチョフ・ソ連大統領が「健康上の理由」で辞任したと報じた。同日付で大統領代行にはヤナーエフ副大統領が就任。ヤナーエフはソ連国内の一部地域に非常事態宣言を発令すると共に、この後の国家運営方針を定める「国家非常事態委員会」も創設した。

同じ日、英BBC放送はゴルバチョフが同日、夏季保養先の黒海・クリミアの別荘から軍のヘリコプターで近くの軍事施設に移送されたと速報。ゴルバチョフと同じく、改革派の代表格だったロシア共和国のボリス・エリツイン大統領も同日の記者会見でゴルバチョフの消息について「滞在中の別荘で拘束されている可能性がある」と述べ、政変がクーデターであるとの見方を強調していた。

3日後、ゴルバチョフは国営テレビを通じて、国家非常事態委員会に代って再び全権を掌握したことを宣言した。同日、ヤナーエフを中心とする国家非常事態委員会は機能を停止。クーデターを首謀したクリュチコフ国家保安委員会(KGB)議長、ヤゾフ国防相らは何れも失脚した。こうして世界を驚かせたソ連の政変劇は、わずか3日でその幕を下ろした。………復権から3日後の24日、ゴルバチョフは共産党書記長からの辞任を表明。これにより、ソ連共産党はロシア革命以来、70年余に及ぶ支配の歴史を終えたのである

モスクワで続けざまに起こる劇的な展開を、私は米ソ民間交流を予定していたハンガリー・ブタペストで見守っていた。(以下略)』と、ペリー氏は記録している。

因みに、以下は3月4日プーチン「返り咲」に関する毎日新聞の社説の一部。

『ロシアの次期大統領に、00~08年の2期8年にわたり大統領を務めたプーチン首相(59)の「返り咲き」が決まった。5月に就任し、「第2次プーチン政権」がスタートする。

 前途は楽観を許さない。昨年12月の下院選で不正の疑いが生じ、政権への抗議行動がロシア全土に広がった。4日の大統領選では反対勢力を結集できる候補者がおらず、約64%の票を得て当選したが、「第1次プーチン政権」の全盛期と比べれば政権基盤は盤石とは言えない。』 

今日は、我々年代にとっても忘れがちである、日露戦争の陸軍記念日である。

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コメント

拝読しながら、あの時の思いがけない展開を思い出しました。残虐非道な独裁国家であろうと、逸材を輩出し続ける国家であろうとも、どんな国家も永久に滅亡しない保証はない現実を、ソビエト社会主義共和国連邦という共産主義国家崩壊時に、見た様に思います。

歴史から学ぶ事は、人間の単純な理解力を越えた何ものかも問われる、厳しく難しい事の様に感じます。加えて記事最後の、東京大空襲があった3月10日という日が、日露戦争の陸軍記念日であったという事を、私は存じませんでした。日本人としての常識の欠落です。

私達はこれから、更に混迷の時代を生きていく事になると思います。今後も自分に補うべきもの、求めるべきものを模索しながら、Alps様の記事を拝読させて戴く事が出来れば、と思って居ります。


投稿: Paillette | 2012年3月17日 (土) 19時00分

日露戦争の陸軍記念日、という言い方はちょっと誤解を招きそうに思います。 昭和20年までは、「陸軍記念日」であったが、その理由が日露戦争の陸戦での勝利の日付けを選んだことを、若い人は恐らく知らないでしょう。

投稿: 浦島一夫 | 2012年3月17日 (土) 20時39分

Paillette様
コメント有難う御座います。
「賢者は歴史から学ぶ」と言われますが、あの日露戦争に曲がりなりにも勝った一因は、森鴎外がいち早くクラウゼヴィッツの戦争論を日本に齎したからだと言う説があります。
「変人キャズさん」の記事に「丁度100年前に幕を閉じた明治が輝いたのは、立派な政治家たちが居たから」と述べられていることと合致して興味深い。あの時、金子が居なかったら、高橋が居なかったら、小村が居なかったらと思うと、戦った相手が相手だけにぞっとします。
奉天大会戦に勝利した日を、昔は陸軍記念日としていたのだが、勝利の一因は敵将クロパトキンの性格まで読んだ情報の勝利という説もあり、後の太平洋戦争の在りかたと併せ考えると、当時の指導者の資質の高さを考えさせられます。

投稿: Alps | 2012年3月22日 (木) 11時14分

浦島一夫様
コメント有難う御座います。
昔の日露戦争に、日本海軍がバルチック艦隊に(世界の海軍戦史上からも燦然と輝く)完全勝利だったことからも海軍記念日は知られているが、日本陸軍が奉天大会戦に勝利した日を、陸軍記念日と呼んだことは忘却の彼方に忘れ去られつつある。大会戦のあと追撃したくても矢弾も尽きつつあったことも併せ考えると、陸軍記念日の影が薄いのは当然でしょうし。況して現在の若い人たちは知らないのが当然かもしれません。大体太平洋戦後の教育では日本に誇りを持たせるような教育をしていないのではないかと危惧しています。

投稿: Alps | 2012年3月22日 (木) 11時36分

Alps様と浦島一夫様のコメントを、何度も読み返しました。

私は、昨年東日本大震災、福島原発事故後既に一年が経過するにも拘わらず、被災者主体の現地復興が一向に行われる気配の無い様子を見て、教育を民族自ら手放した敗戦国とはとどのつまりこういう事になるものなのか、という誠に暗澹たる思いを抱きました。未だに根本的解決策のないまま放射能漏れが続く福島原発は、規模、回数も未知な今後の地震に耐えられようとは到底思われず、日本という国はどうなってしまうのか、日々不安は増すばかりです。

疑問を抱きながらあてには出来ない文科省や日教組の言うままに終わるのではなく、私達はもっと早い時点で自ら歴史を学び直し、年長者から直接お話を伺うべきでございました。

今、断続的ながら、少しずつ「武士道」を読んで居ります。武士道の指す武士が、身分上の武士にとどまらなかった高い民族性を持っていたかもしれない日本人を、歴史から葬ってはいけないと思います。

投稿: Paillette | 2012年3月31日 (土) 21時49分

便利さや快適さを求めて世の中のデジタル化が進むと、物事の考え方も0か1かの二者択一的思考傾向に有るのを感じます。
原発対処でもそのような議論が多く、将来の姿を描いて当面対処をどのように進めるかのプロセスが見えてこない。
これでは不安を煽るばかり。そんな現状が情けない。

歌舞伎「忠臣蔵」の判官と由良之助の、極端に省略された言葉でも通じ合えるのは、同じ想いを抱く二人だからこそのこと。そのような環境を作り出していく教育制度が欲しい。 

投稿: Alps | 2012年4月 1日 (日) 12時40分

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