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2012年3月 4日 (日)

「遠州のしなの」に想う

 

遠州地方には信州を始め各県人会があるが、その中で我々の遠州信濃会は毎年、「遠州のしなの」を発行して会員相互の親睦と交流をはかってきたのは特筆すべきことである。
31_3 時の流れとはいえ第三十二号を以って廃刊するのは、真に淋しいことである。今、改めて歴代の役員各位のご努力と会員各位のご協力に感謝致したい。


廃刊にあたり一、二の話題を提供し有形無形の立場から、ふるさと信州を偲んでみたい。

  
  第一話 歴史的遺構に寄せる想い

地名や景観には、歴史やその影を負っている所が多い。平成の大合併や、目先の便利さのみで、それらをいとも簡単に払拭し、忘却の淵に沈めるのは耐え難い。過去は時さえ経てば風化し、やがて消え行くなどとはもっての他。

そんな想いに駆られて「北国街道海野宿」を訪ねた。宿場に平行して千曲川が流ている。

「日本の道百選」の一つに選ばれた北国街道は、北陸地方へ向かう街道の総称で、江戸時代は参勤交代や佐渡の金の輸送路として賑わう一方、善光寺詣の道としても栄えた。         

北国街道を挟み、「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている海野宿は、小諸と上田の中間に位置し、寛永二年(一六二五)頃に成立されたと伝えられる。宿場東端に白鳥神社があり、其の前を流れる千曲川の白鳥河原は、治承五年(一一八一)木曽義仲の挙兵地として知られる。

街道のほぼ中央には用水が流れている。宿場の東西には桝形が置かれ、その間約六町(六五〇m)の長さになる。宿場時代の建物は多くが旅籠屋で出梁造りや海野格子と呼ばれる二階の出格子が今も景観を添えている。明治期以降は養蚕業で榮え、その富により建築された建物は宿場の風格を受け継ぎ江戸時代のものと調和して現在の町並みを形成している。海野格子に加うるに、卯建・気抜き屋根・戸毎の屋号、六文銭の真田紋を配した藍暖簾・立行灯、用水路に影を落とす並木は美しい。歴史民俗資料館に見る箱膳や養蚕具には子供時代の記憶が蘇り、街道から望見する浅間の煙と共に胸が熱くなる。

 第二話「水車小屋のウィル」の話(出会いに就いて)

 

 旧友から感動的なメールが送られてきた。

「今までに経験したことの無い、始めての形の出会いが有りました。現実にはお目にかかっていない方との心の出会いの話です。

ことの発端は、ある日週刊誌を眺めていて『明治人の教養(竹田篤司著)』と言う文庫本の書評を目にした事です。一寸気になる話がある様なので購入して読みました。その中に、西田幾多郎博士がスティーブンソンの短編小説『水車小屋のウィル』を読んで大層感動し、たった一日でこれを読み上げ、ウィルの生き方を『余が理想の人なり』と言ったという話がありました。
「水車小屋のウィル」は、平原と星・牧師の娘マージョリー・死の三部からなっている。
本書は、無限への憧憬を抱いた少年の一代記で、私も学生時代に読んで感動しました。そんな経緯もあって再読することにしたが、今頃読み返したら恐らく馬鹿馬鹿しいと幻滅を感ずるのではないかと心配したが、やはり深い感銘を覚え、心和む思いにひたることが出来たのは幸せだった。」と記されていた。

私も早速、「明治人の教養」と、有吉新吾氏の訳になる「水車小屋のウィル」があるのを知って手当てし、数日で読み上げ、訳者の「あとがき」にも感銘を受けたと言って、そのコピーを旧友へ送った。

それに応えて彼から「私は有吉氏の訳本の存在を始めて知りました。更に訳者の『あとがき』を読んで西田博士の他にも同様な感動を持った方の存在を知って大層嬉しく思いました。」と返信されてきた。

人は夫々に生きてきた時代、生きてきた環境等から夫々に、ふるさとを思う。
「水車小屋のウィル」という短編小説にからむ、この様な時空を超えた感動的な出会いは、旧友との学生時代の信州を髣髴と思い出させてくれる。

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コメント

●1960年代に偶々訪れたロスアンゼルスで現地在住の人達の壮大な盆踊りを見て、感動した記憶がある。 浜松在住の人達の「遠州のしなの」に寄せた投稿文のいくつかを読んで、それと同様な感動を覚えたことがある。 信州に現住する人よりも明確に意識された信州人の意識をそこに見た気がした。 その「遠州のしなの」が廃刊されるのは実に寂しい。
●有吉信吾氏の名前は現代の日本人の多くは知らないと思うが、昭和20年代前半の国難ともいうべき、多数の死傷者まで出した大事件の一方の当事者が全然別の顔を持っていたことを、私も知らなかった。 現世の御縁とは誠に不可思議なもので、あのような人物と御縁が生じるだけでも考え難いことなのに、有吉氏が人生のの最後の瞬間に、逢ったこともない私の名前と関心を知ってにこりとされたとご息女から伺って、現在でも私はその時の気持ちを表現できない。 これも元を辿れば、「遠州のしなの」から生じた出来事だった。

● 老齢のため記憶が出てこないのだが、五木ひろしが上手に表現していた言葉があったはずだが、「廃刊」するということは、歴史的になくなることではないので、あれが刊行されていたいた時の世話人、寄稿者、すべての気持ちは永遠に生き続けるモノだと思っています。

投稿: 浦島一夫 | 2012年3月 5日 (月) 06時26分

浦島コメントにある五木寛之の言葉は、『過去の中に、自分の忘れてきた大事なものを見出すのです』、に違いないと思います。 私のブログの2008年5月に「昭和の青春」という文章がありますが、そこに引用してあります。
きっと、ロスアンゼルスに住み着いた日本人たちもそのような思いで、日本では見られないほど盛大な盆おどりをやるのでしょうね。

投稿: 二人のピアニスト | 2012年3月 5日 (月) 18時10分

浦島さん、二人のピアニストさん、夫々の想いをお寄せ頂き有難う御座います。
所謂、団塊の世代以降の年代の人たちは、我々の年代とは、生き方も価値観も違ってきているので、単なる親睦会的な組織や、趣味的な組織の年齢構成は次第に老齢化し、中には組織そのものが解消するものも多々有るのが現状です。
「遠州のしなの」も30年続いてきましたが、その趨勢に押されて廃刊となり、代って新聞紙的なパンフに代ることになりますが、寂寥感があります。
今、読み返してみても「過去の中に自分の忘れてきた大事なものを見出す」を実感しています。

投稿: Alps | 2012年3月 6日 (火) 15時27分

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