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2012年3月14日 (水)

旧奥山線、曳馬野駅

我が家の近くに旧奥山線の曳馬野(ひくまの)駅の跡がある。

Img_2667_4  曳馬野駅の由来書に拠ると『大正3年(1914)11月30日沿線住民の大きな期待を受けて浜松軽便鉄道が元城~金指間に初開通した頃には、曳馬野駅はまだ設置されていない。蒸気機関車の煙突の形が植物のらっきょうに似ていることから「ラッキョ軽便」の愛称で人々に親しまれ、三方原台地の広大な原野をひたすら走りぬける「ラッキョ軽便」は沿線の風物詩的存在となった。

大正4年(1915)4月24日浜松鉄道に社名変更。大正12年(1923)4月15日板屋町~奥山間の25.7kmが全通した。

昭和14年(1939)、現在の浜松工業高校(東方約1km)一帯が飛行連隊の爆撃演習場だった頃、第97部隊の創設を機に同年4月3日ここに軍用駅「廠舎口(しょうしゃぐち)停留場」が新設。翌年9月「曳馬野駅」に改称した。昭和20年(1945)6月18日の浜松大空襲では、浜松市街地方面の浜松鉄道施設は甚大な被害を受けたが、曳馬野駅は幸いにも戦火を免れた。

昭和22年(1947)5月1日遠州鉄道に合併。昭和25年(1950)4月26日東田町~曳馬野間8.3kmに軌間762mmのまま電化。翌年8月曳馬野~奥山間17.5kmに蒸気機関車を廃止しディーゼル動車に転換した。曳馬野駅は全線で一、二を争う広い構内に駅員・乗務員らにより電車とディーゼル動車の中継駅として多くの乗客で賑わった、
しかしモータリゼーションの著しい進展に抗しきれず、昭和38年(1963)5月1日奥山~気賀口間廃止。翌年11月1日(東京オリンピック東京大会終了後)気賀口~遠鉄浜松間廃止。50年の歴史に幕を閉じた(平成14年(2002)11月1日)』と記されている。

曳馬野駅跡地は今はスーパーになっていて毎日多くの人で賑わっている。
その軌道敷跡は道路として活用され、その一部は木蓮通りと呼ばれ卒業期には見事な白木蓮の花を咲かせる。

今、浜松もご多分に漏れず車が溢れている。市の中心地に出るのに(バスの運転手にもよるが)、バス停の予定時刻は全く当てにならない。

今、この線が残っていたら(経営努力が必要なことは当然だが)、恐らく時間正確に運行される鉄道の価値や、運行頻度それに第3セクターの天浜線との連結等を考えると、沿線住民の利便性は勿論のこと、市中心街の発展にも寄与したであろうことを思うと、将来を見据えた対処の重要性をつくづく感じる。

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