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2012年1月14日 (土)

潔癖さ貫いた硬骨漢

露の世に、芥のような人が群れる中、潔癖さを貫いた硬骨漢、城山三郎の生き方や著書は、多大な感動と、鬱勃たる勇気と、爽やかな読後感を与えてくれる。
日経新聞に「忘れがたき文士たち」と題する連載記事がある。その中に、城山三郎が取り上げられていた。

城山三郎は伝記文学で有名だが、彼は言う。(同記事から一部引用する)
『司馬遼太郎さんは「街道をゆく」を書いたが、伝記文学は「人間をゆく」ことだと思う。自分とは別の人生、男のロマンを追体験できる。人間は一度しか生きられないが、何人もの人生を生きられる。それが伝記文学の魅力ですね。』

事実、『「落日燃ゆ」は、昭和天皇を守る為に進んで罪を被り、東京裁判で民間人として唯一死刑になった広田弘毅を、
男子の本懐」は昭和初期に右翼の凶弾に倒れた浜口雄幸と井上準之助を、
粗にして野だが卑ではない」は勲一等を固辞した石田禮助を、
官僚たちの夏」は通産官僚、佐橋滋が国家のために、時の総理を痛烈に批判した事実が記されている。』

『城山三郎自身も潔癖だった。少年時代に軍神杉本五郎中佐の「大義」を読んで愛国少年となり「お国のために尽くそう」と敗戦の3ケ月前に海軍特別幹部練習生に志願入隊した。17歳だった。しかし憧れの帝国海軍は大義の世界とは異なり腐敗していた。早朝から夜更けまで、こん棒で殴られ、悪夢の日々を過ごした。
敗戦後、指導者たちは豹変して民主主義を唱え始めた。「軍隊で堕落した組織にいじめられ、敗戦でそれまで信じてきた忠君愛国の思想が間違いだったとされ、国家から二重に裏切られた。個人がどんなに頑張ろうとも指導者が方向を間違えると国は滅びる。つらい戦争の体験だけは遺して置きたいと思った。』
そして指導者に厳しい眼を向けるようになった。

日経新聞に「私の履歴書」の記事がある。城山三郎も掲載される予定になっていたが、執筆途中、高熱を発して緊急入院し、記事の半分を書いたところで他界したのは返す返すも残念だ。
未完の絶筆「私の履歴書」は「文芸春秋」に掲載されて「嬉しうて、そして……」(文春文庫)に収録されたと聞く。
「私の履歴書」は、『城山自身の文学の原点である戦争体験について多くの筆を費やしている。国民が十分な知識を得られないままに無謀な戦争に突入したこと、「水中特攻隊」など信じられないような兵器が編み出され、青年たちを次々と死なせようとしたこと……。「腹が立つより、悲しくなる」と書いていた。』

かくいう我々も、戦争が勃発した時、純粋に、強いて言えば根拠も無いまま、日本は必ず勝つと信じて疑わなかった。
戦時中、理工系学徒として兵役延期になっていた我々は、学徒動員はされたものの、軍隊生活も、軍隊の内部事情も、戦争体験も無く終戦を迎えた。そして後から彼我の戦力比較や、戦略比較を知ったが、それはあくまで戦後のこと。

潔癖さを貫いた硬骨漢、城山三郎の生き方に学ぶことは、これからの日本のあり方に就いて考える一助になることは間違いない。

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