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2011年12月23日 (金)

俳句「新年詠」

角川学芸出版から出ている俳誌「俳句」の1月号には、毎年「新年詠」に就いて特集が組まれている。昨日の夕方届いた2012年1月号にも例年のように特集が組まれている。
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本来ならじっくりと味わうべきだが、取り敢えず表面づらだけ読み過ごした。そのなかで、何かひっかかった句を取り上げる。後刻又、精読したら別稿で書く心算だ。

新年詠の、「初句会にこの一句」の欄で、辻恵美子氏が『作句の心構えとして、日常にあっては旅にあるごとく心を奮い、旅にあっては日常のごとく心を鎮めるのがよいわけで、新年詠は、新年らしく作らないのがいいといえる。』として例句を挙げている。
これは同誌10月号に、橋本榮治氏が「吟行の心構え」の中で『徒に美しい風景ばかりに目を向けず、其処に生涯住み着くことになったらどうだろうか、と考えてみることだ。つまり、他郷を故郷のごとく、逆に又故郷にあっては、時に他郷のおもいをこめて四時見慣れた風景を改めて見直してみることである。』と言っていたのに符合する。

   正月やいろはに散りて庭すずめ   鷹羽狩行
   数の子を埋蔵金のごとく出す     鷹羽狩行
   賀状書くことなくなりていくとせぞ   鷹羽狩行
   あきらかに過ぎし日重ね去年今年  稲畑汀子
   古日記あの時か我が関ヶ原      有馬明人
       この句を読んで胸が熱くなった、私にも同じ想いがある。
   したためし一字にはかに初昔     有馬明人
   初稽古身体髪膚祖(おや)に受け   深見けん二
   神よりも釈迦なつかしむ竜の玉    神蔵器
   露の世に生れて逢ひし雪女      真鍋呉夫
   手毬つく日露の役はよく弾み      八田木枯
   円空の道はせを道恵方道      黒田杏子
   行間に心溢れて初便         千原叡子
   鏡餅昔電話は玄関に         小川軽舟
 今ではどの家庭にも電話があるし、携帯電話も普及しているが、掲句の時代は、電話を持っている家庭は少なく、そして決まって玄関に置いてあった。今から考えると可笑しなことだが、私の家の電話も引いた当時は玄関に置いてあった。今のように長電話することも無く用件だけを手際よく話して済ませたからそんな場所でも良かったのだろう。懐かしさを想い起してくれる句である。
   その人のことには触れず年忘れ   片山由美子 
   みちのくや上りつめたる後の月    大峯あきら

冒頭述べたように、字面を追って読み進めなぞった句で、自分の生きてきた経歴、生きてきた時代背景をフィルターとして抜書きしたもので他意はない。
昨日は冬至。今日から昼の時間が長くなる。

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2011年12月17日 (土)

聖者は痩せて

俳人協会・俳句文学館発行、平成23年12月俳句カレンダーに鷹羽狩行氏の一句が掲載されている。
(狩行氏は、蛇笏賞受賞作家であり、現在、俳誌「狩」を主宰し、俳人協会会長・日本文芸家協会理事の要職にもある。)

 昔より聖者は痩せて枯芭蕉 鷹羽狩行

2312_2 俳誌「白魚火(しらをび)」主宰である仁尾正文氏の鑑賞文がある。

『平成7年12月号の「俳句研究」で「今年の秀句ベスト5」の特集があり私はこの「枯芭蕉」を鑑賞した。出典は「俳壇」1月号だから、平成6年作。この句は狩行氏の句集「十一面」に収録され、帯の自選11句にも抄出されている。
 枯れさらばえた芭蕉が従容と立っている。作者はこの景に聖者の姿を重ねた。「徒然草」第49段に登場の心戒という聖は居住も定めず、風雲に身を任せ、痩せてくろずんでいたという。 生活を極限まで簡素化し、心の中に豊かさを求めた良寛、西行、芭蕉の清貧の系譜を思い、強く共感した。
 平成7年刊の「鷹羽狩行の世界」は534ページ、174名が執筆しているが「枯芭蕉」の句に触れたものはなかった。
 俳人協会創立50周年の掉尾の12月のカレンダーに、鷹羽会長がこの句を揮毫された。
 氏の傘寿記念に出した「山河」は、既刊の句集1万句を333句に絞った超厳選で、「自選こそ創作」と言わしめた中に「枯芭蕉」の句があり、感銘を深くした。(仁尾 正文)』

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