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2011年9月20日 (火)

馬醉木創刊90周年

馬醉木(あしび)」が今年創刊90周年を迎えた。一口に90年と言っても、90年間も老化せず続くことは大変なことだ。

これに先立ち、俳誌「馬醉木」は、平成19年(2007)6月号で通巻1000号を迎えた。100020076_2馬醉木1000号記念号」の水原春郎主宰によると、
『「馬醉木」の前身「破魔弓」が佐々木綾華により創刊されたのが大正11年(1922)4月であった。秋桜子は「破魔弓」を昭和3年(1928)年7月、奈良での作、
 馬醉木咲く金堂の扉にわが触れぬ
の句に因み「馬醉木」と改題した。名実ともに秋桜子が主宰する契機となったが、同じ頃昭和医専の産婦人科教授に就任、関東大震災で消失した病院の竣工と重なり、教授と病院長と水原産婆学校長と多忙を極めた時であった。
昭和6年(1931)馬醉木10月号に秋桜子は「自然の真と文芸上の真」の一文を書き俳句革新の端緒を開いた。
それからの10年間秋桜子は次々と新しい企画を実行、激務にも関わらず気力が漲っていた。一高時代から親しんだ短歌も窪田空穂の教えを受け「万葉集」を学び、調べを叩きこまれた。
しかし戦争の暗雲は俳句の世界にも及び秋桜子にとって一番辛い時期が訪れる。用紙節減の為、次々と減頁となり「馬醉木」は表紙のない仮綴12頁となってしまう。
昭和20年(1945)4月14日夜の空襲により神田三崎町の自宅も病院も消失、八王子に移り住み、発行所は八王子の大和町に住んで居られた木津柳芽宅となり、3、4月合併号が出たが以後休刊の已むなきに至る。だが漸く12月に15頁の仮綴で復刊。21年より軌道に乗り、療養俳句、山岳俳句、田園俳句など新しい分野も広がり、気力活力共に充実の時期を迎える。(中略)。木津柳芽さんは昭和32年(1957)6月号の400号の発行を機に引退され、替って現在の西荻窪に発行所を置くことになった。』と、「馬醉木」の歴史の概要を記述している。

「馬醉木1000号記念号」発刊と併せて「馬醉木千号記念 馬醉木俳句集」(合同句集)を平成19年(2007)5月に発刊された。
Photo そして今回は、同じく誌友相互の研鑽の一助とするために「創刊九十周年記念 馬醉木俳句集」(合同句集)を平成23年(2011)年9月に発刊した。

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