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2011年7月25日 (月)

TV地上アナログ放送終了

7月24日正午を以って、TV地上アナログ放送が終了し、地上デジタル放送に完全移行した(除、東日本大震災被災地、岩手・宮城・福島3県)。

1953年、日本で初めて、TVの本放送が始まった。
しかしTVブームを起こし、今まで高嶺の花だったTV受像機が一般に普及したのは、1959年今上陛下(当時の皇太子殿下)と正田美智子さんとのご成婚の儀のあの美々しい行列を放映したのが大きな引き金になった。勿論当時はモノクロTVだった。

当時は新幹線もなく、浜松から東京へ出張した時は18時を過ぎたら一泊するのが社内の慣例だった。18時を過ぎて特急つばめで帰ったら、文句を言われた人のいたことを思い出す。今から考えると古き良き時代だった。

そんな時代に出張し、通りかかった新橋駅前の街頭TVの前は何時も黒山の人だかりだった。TVのあるレストランは何時も何処も満員だった。
それがいつの間にかTVの無い家はなく、何時しかカラーTVが当たり前の時代になった。
社会評論家の大宅壮一が一億総白痴化と言ったのは1957年頃で、その言葉を最近は殊に強く実感するようになった。放送する側の視聴率優先の経営にも問題があるが、視聴者の側にも問題がある。地上デジタル放送完全移行を契機として一考する時でもあろう。

かくして戦後60年近く続いた地上アナログ放送が24日の正午を以って終了した。終了直前のNHK総合TVは全国気象情報、続いて各地の気象情報だった。

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2011年7月20日 (水)

菅平

菅平にあの「雪形」(ゆきがた:山腹の雪の消え具合によってできる形)が出たから種を浸そうとか、種を蒔こうとか、善光寺平の、昔の農家の人達は(菅平を遠望して)よく言ったものだ。毎日大人も子供も菅平を見て育った。それだけ菅平は身近な山だ。
その菅平の「峰の原高原」の見晴らし台から、俯瞰すると長野市街が一望され、その向こうにアルプスの鹿島槍・五龍・白馬・戸隠・飯綱等の山々が連なる。訪れた日は夏霞がかかっていて、長野市街は見えたがアルプス連山は見えなかった(写真)。Img_1959 高原野菜が青々と葉を伸ばし、冬になったら賑わう幾つものスキー場が広がっている。夏季休暇には各大学の運動部員が活躍する施設等が目を引く。
昼食に、しゃれた形のレストランに入る(写真右)。今は端境期と見えてそれほど賑わっていなかったがそれでもぼつぼつお客さんがあり、料理も本当に美味しい。
Img_1952 Photo Img_1976
菅平牧場には牛の群れが草を食べながらゆっくりと移動していた。日差しがあってもその中で悠々と草を食べている。
目を転じると、木陰に牛の群れがじっと坐っている中で、数少ない馬が動き回っていたのが印象的だった。
Img_1984 木陰へ入ると涼しく高原の気が漲っている。
子供の時分から毎日見て育った山には特別な想いがあり、況して農事とのかかわりもあった山とあっては親しみも一入である。

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2011年7月18日 (月)

山の男たち

信州の山中に暮らす知人の根岸利夫氏の家には、ホールドと呼ばれる部品を組み合わして作った登攀練習用の壁がある。Img_1769 彼は欧州三大北壁のうち、アイガーを除く、マッターホルンとグランド・ジョラス北壁を登攀した日登(日本登攀者クラブ)の猛者である。今はもう登らないがそれでも普段時間があると訓練を欠かさない。此処へは良く嘗てラインホルトメスナーと並び世界最強クライマーと呼ばれた山野井夫妻や、日登の猛者たちがやってくる。
最近も山野井氏がやってきてこの壁で遊んで帰ったという。写真はその時の模様である。
1 彼が楽しんでいるのを二階から猫が見ているのが面白い。この猫はこの家のご主人に似て、登攀者宜しく垂直の階段を自由に上ったり下りたりする特技の持ち主である。
彼らは何時も体を鍛えている。8000m級の山に登る前には各地の岩場で練習し、且つ現場でも途中の高所でビバークして体を高所に慣れさせてから一挙に登る。
そのような陰の努力を知らない人が多いのではないか。

私は嘗て1960年代に海外出張の途中、モンブランへロープウェーで行こうと思いシャモニーで一泊したが翌日は風が強くロープウェーは運行中止となってしまった。その話を根岸氏にしたらあのロープウェーで標高1030mのシャモニーから一挙に3800mも上った時に高山病にやられる人が多かったと言う。若しあの時に上っていたら私は大丈夫だったかと聞かれたら自信がない。それでも今でも運行中止は残念だったと思っている。

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2011年7月10日 (日)

シャーロック・ホームズ像野外彫刻

江戸から来て、信濃追分の分去れ(わかされ)で右を取れば北国街道、左を取れば中山道となる。
その北国街道に入ると、分去れから2~300mのところに、シャーロック・ホームズの像がこんもりとした林の中にひっそりと立っている。Jpg_2  一見、場違いの感じを受けたが、像の傍に立っている、「シャーロック・ホームズを愛する有志一同」の説明文を見て納得した。
『シャーロック・ホームズは、およそ100年前に約40年にわたって英国ロンドンを中心にして活躍した不滅の名探偵です。
親友ジョン・H・ワトスンと共に住んだベイカー街221Bには、今なお世界中から事件解決依頼やファン・レターが殺到しています。このようにホームズが愛されているのは、彼の推理能力とか、犯人へのあたたかい思いやり、などだけによるのではありません。
当時、繁栄の頂点にあった大英帝国は、1880年代に転換期を迎えます。古い時代の英国紳士道を守りつつも、新しい科学への信頼を採り入れたホームズは、単なる一探偵だけではなく、正義と友愛と公平のシンボルとして今も人々の心に生きつづけているのです。
アーサー・コナン・ドイル(1859~1930)が書いたホームズ物語全60作品を翻訳家延原謙(のぶはらけん)がここ追分で全訳したのにちなんで、この地を選び、ホームズ登場100周年を記念してホームズ像野外彫刻を建てました。 1988年10月』と記されている。
Photo_3 2_3
付近はこんもりとした木々に覆われ 鳥語が降り注いでいる。
シャーロック・ホームズも、まさか遠く離れた日本のこの地に自分の像が建てられるとは予想もしなかったであろう。今もベイカー街221Bには世界各国から色々の手紙が届いているに違いない。

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