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2011年6月21日 (火)

分去れ(わかされ)の道標

信濃追分(現、軽井沢町大字追分)に「分去れ(わかされ)の道標」がある。

江戸からの道が、旧北国街道と中山道とに分岐する所である。(現在は更に浅間サンラインが直ぐ近くに通じている。)
分岐点の頂点に当る三角点から奥へ、道祖神・道標・森羅亭万象歌碑・常夜灯・史跡表示・地蔵尊等が並び、ほんの一角ではあるが詩情豊かな場所である。訪れた6月中旬は新樹の中にあった。

軽井沢町教育委員会と軽井沢町文化財審議委員会の名で「分去れの道標」について解説文が立っている。
『(右、従是北国街道  左、従是中山道)
中山道と北国街道の分岐点に位置する「分去れ」は、今も賑わったありし日の面影をとどめている。
右は北国街道姨捨の「田毎の月」で知られる更科へ。左は中山道で京都へ、そこから桜の名所奈良吉野山へ向かうという意味である。』
Img_1809  「道標」の正面には「東 二世安楽 追分町」、右側面は「従是北国街道」左側面は「従是中山道」、そして裏面には「西于時延宝七己未年(1679)三月○日」と彫られ、ここにある石塔などでは最古のものと思われる(以下、碑文の良く読めぬところは一部ネット情報から引用した)。

更にその奥に、同じく「史跡追分宿の分去れ」についての解説文が立っている。
『中山道と北国街道の分岐点である
 「さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを追分の宿」
とうたわれているように、此処を右すれば北国街道の名所の更科や越後路に、左すれば桜の名所吉野や関西方面に分かれたところである。此処に幾多の旅人や様々な感慨をこめて左右に袂を分かったことであろう。
安置された石仏、石碑、石燈籠等に昔がしのばれる。』
Img_1804 Img_18031jpg
地蔵尊の台石には、
「さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを 追分の宿」
と刻まれている。
台石には更に西面に妙義、江戸、日光など関東への道のり、南面には伊勢、京都その先に金毘羅への道程150里半が刻まれている。北面は善光寺、戸隠山、高田と北国街道沿いの土地、その先の金沢へと里程が記されている。


 「森羅亭万象の歌碑」には、
  「世の中は ありのままにそ霰ふる かしましとだに 心とめねば」と彫られている。森羅亭万象は、江戸時代中期の博物学者・戯作者で有名な平賀源内の門人で狂歌師・桂木甫燦のことといわれている。

歌碑の奥には常夜灯がある。中山道の常夜灯の中でも屈指のもので、寛政元年(1789)春に建立され、台石には「町内安全」「是より左伊勢」などと大きく彫られている。

中山道は分去れから国道18号線を斜めに横切って小田井宿(おたいじゅく)へと続いている。 

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コメント

岐阜に遊び、中軽井沢を訪ねる、羨ましい限り、岐阜いかがでしたか?
 今度の句会作品を楽しみにしています。
岐阜には芭蕉の句碑が市内のあちこちにあるそうですね。何処をどう切り取り作品にされるのか、信州の句とともにたのしみです。
               尚童

投稿: 尚童 | 2011年6月21日 (火) 14時00分

若い人たちと歩くのは中々大変です。犬山城もつられて天守閣に登ったものの、帰った翌日は太腿が張ってしまって1日中じっとしていた始末。
景色と情緒のあるところとは別でしょうね。

投稿: Alps | 2011年6月23日 (木) 07時48分

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