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2011年6月28日 (火)

犬山城

吟行会で犬山城へ。
国宝に指定されている城は、犬山城・松本城・彦根城・姫路城の4城でその中で最も古いのが犬山城である。

犬山城は別名「白帝城」とも呼ばれている。江戸時代の儒者・荻生徂徠李白の詩からとって命名したと伝えられている。
  『早(つと)に白帝城を発す  李白

   朝(あした)に辞す白帝 彩雲の間(かん)
   千里の江稜 一日にして還る
   両岸の猿声(えんせい)啼き住(や)まざるに
   軽舟已(すで)に過ぐ 万重(ばんちょう)の山』
Img_1880 訪れた日は終日梅雨曇りだった。天守閣入口に、内藤丈草句碑が立っている。
    涼しさを見せてやうごく城の松
天守閣の階段は段差が大きい上に急峻で手摺に縋って登る。流石に天守閣の頂から見る景は素晴らしい眺めで木曽川がゆっくりと流れているのも景に花を添える。

『犬山城は天文6年(1537)に織田信長の叔父に当る織田与次郎信康によって造られた。
戦国時代だったので、その後何代も城主が代ったが1600年の関ヶ原合戦の頃を中心に、城郭が整備された。
小牧長久手合戦(1584)の際には、豊臣秀吉は大阪から12万余の大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣を敷いた徳川家康と戦った。
江戸時代になり、尾張藩の付家老、成瀬隼人正正成が元和4年(1618)城主となってからは、成瀬家が代々受け継いで明治に至った。
明治4年(1871)9代目成瀬正肥のとき廃藩置県で廃城となり、櫓や城門など天守閣を除く建物は殆ど取り壊された。
明治24年(1891)の濃尾震災で天守閣の東南角の付櫓など、ひどく壊れたのでそれを修理する条件で再び成瀬家所有となった。
その後伊勢湾台風などでも被害を受けたが、昭和36年(1961)から40年まで4年間をかけて解体修理を行った。望楼型の独立天守で、高さは24m。
Img_1892_2 平成16年(2004)4月、財団法人犬山城白帝文庫が設立され、城の所有は個人から財団法人になった。』

天守閣から歩いて15分位の所に、その中に国宝茶室如庵」を持つ有楽苑(うらくえん)がある。
織田信長の実弟・織田有楽斎は尾張が生んだ大茶匠。その有楽斎の遺した茶室や隠居所などを、和の心たっぷりの庭園美とともに味わえるのが、ここ有楽苑。中でも茶室・如庵は国宝茶席三名席の一つに数えられ、「日本の美の極致」とも評される。

吟行では皆が同じ時に、同じ場所を歩き、同じものを見ながら、斯くも違った見方をしこんなにも違った句が出来るものかと驚く。

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