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2011年6月22日 (水)

御代田(みよた)の一里塚

軽井沢町追分の「分去れ」から、中山道は国道18号線を斜めに横切って小田井宿(おたいじゅく)へと続いている。
その中間の「しなの鉄道・みよた駅」の北方に「御代田(みよた)一里塚」がある。
Img_1828 長野県教育委員会の「長野県史跡 御代田一里塚」に拠ると、
『中山道、御代田の一里塚は、軽井沢町追分一里塚の次に位置するもので、これを経て中山道は小田井宿へと至り、更には佐久市鵜縄沢の一里塚、岩村田宿へと向かう。
中山道は、江戸幕府の置かれる前年の慶長7年(1602)に整備され、寛永12年(1635)に改修されるが、本一里塚はその改修以前に構築されたものである。
本一里塚は、西塚で径13m、周囲40m、高さ5m。隣接するのは東塚で径13m、周囲40m、高さ4.5mである。
これらは、現中山道より7m離れた畑中に位置するため遺存状態も良く貴重である。
ちなみに、国道18号線の北には北国街道に沿う一里塚「馬瀬口の一里塚」が2基保存されており、町指定の史跡となっている。』

一里塚が全国的に整備されるようになったのは江戸時代である。慶長9年2月、江戸幕府は日本橋を起点として全国の街道に一里塚を設置するよう指令を出し、10年ほどで完了した。一里塚には榎などの木が植えられ、木陰で旅人が休息を取れるように配慮されていた。また現存する一里塚の多くは道の片側にのみ存在するが街道の両側に対で設置されるのが本来の姿であると言う。

本御代田の一里塚には見事な枝垂れ桜の巨木があり、春ともなれば塚を蔽って万朶の花を咲かせるだろう。
浅間山は塚の北方、指呼の間にある。訪れた日は、浅間山の嶺には雲がかかり、山の全貌を望むことが出来なかった。
昔は旅の交通手段と言えば、脚力が主体だっただけに一里塚へ寄せる旅人の想いも格別なものがあったであろう。

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