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2011年5月13日 (金)

危機にこそ詩歌(2)

俳人の長谷川 櫂(はせがわ かい)氏は、東日本大震災当日の夜から衝動的に短歌を詠み始め、成果は「震災歌集」としていち早く刊行した。未曾有の災害に際し、詩歌の無力さをこぼす声に敢然と異を唱えると聞く。
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『長谷川 櫂氏は、俳誌「古志」主宰。「季語と歳時記の会」代表。東海大学文学部文芸創作学科特任教授。朝日俳壇選者。
「切れ」と「季語」を重んじた、端正で折目正しい有季定型句を詠む、伝統派の俳人とされている。ただごと寸前の内容から美を引き出したり、禅問答のように玄妙に処理する手腕を持つ。入門書の執筆も多い。(Wikipedia)』

日経文化欄には概略次のような記事が綴られている。
『あの日の夜から短歌を作り出した。作ろうと思って作ったわけではない。自分の中からわいてきたのが短歌だった。

なぜか。あとから考えると、俳句と短歌の特色の違いが浮かんできた。短歌は575にさらに77とつく分、まず単純に多くの言葉が使えるので比較的「記録」に向いている。
俳句は要点だけを示し、後は想像してもらう詩型。どうしても伝えたい悲しみや怒りなど激しい感情をありのままに記すには短歌の方がいい。
しばらくして俳句もできるようになった。こちらはストレートな表現ではなく、いったん潜ってひねりを加えている感じがする。歴史的にも和歌が先に生まれ、俳句は後から登場した。この非常事態にあって僕自身、その歴史をなぞったのかもしれない。

甚大な被害を前に言葉の無力さを感じる文学者が少なくない。それに対して長谷川氏は、次のような歌を作った。
 天地も鬼神も歌はうごかすと貫之書きし古今集仮名序

こんな状況で俳句や短歌を作る気がしないという声も聞くが、それは詩歌が無力なのではない。そう言う人の作品が無力なだけ

俳句や短歌は風流ごとのように思われている節もある。しかし人間の文芸である以上は人生のすべてを詠めなければウソだ。と、喝破して、震災後に詠んだ歌の一部を披露している。
  ・禍(まが)つ火を奥に蔵せる原子炉を禍つ神とし人類はあり
 ・人々の嘆きみちみつるみちのくを心してゆけ桜前線
 ・復旧とはけなげな言葉さはあれど喪ひしものつひに帰らず

今回の一連の作品には、もっぱら身の回りのことを詠む近年の俳句や短歌の風潮に疑問を投げかける意図もある。政府を批判し、被災者を憂う作品には破調もいとわない激しさがある。』

本日、天気晴朗なれど風強し。

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