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2011年5月31日 (火)

羊も衣替

5月20日は所用の為早い朝食を摂っていた。
見るともなく見ていたTVで今日、動物園で羊の毛を刈るイヴェントがあると言っていた。実は2年前に同じ動物園で羊の毛刈りを見たことがある。

用を早々に済ませた後、動物園へ行く。イヴェントの行われる「ふれ合い広場」は入口から入って一番奥にあり結構な距離がある。園内に特別な乗り物はないので歩く以外に方法はない。

見学に幼稚園児も来ていたし、報道関係者も来ていた。10時から始まる。
前回と同様に、英国原産のサフォーク種「ベス・雌9歳」「ヒカル・雄9歳」「モカ・雌6歳」の3頭の毛を刈る。
Img_1657 写真はモカの毛刈りで4人がかりでの作業。前足、後足、首に夫々1人づつ付いて押さえ込み、1人が専用バリカンで刈り込む。緊張気味の羊もバリカンが入ると観念したのかおとなしくなり、40分ほどで1頭を刈り終える。

カットの済んだ羊は、押さえられていた手を離すと脱兎のように逃げ出す。
   刈り終へし羊脱兎のごとく去ぬ
そして後はすっきりと夏型に衣替えして気分も良さそうに他の山羊の方へ行ったりして、すっかりリラックスしたように見える。
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俳句でも「羊の毛刈る」「羊剪毛」等が晩春の季語となっている。

ふれあい広場への道を、園内を見ながら歩くと、家族ずれなどがあちこちに来ているものの昔のような賑わいがなく、これでは採算が合わないのではないかと思った。

5,6年前に北海道へ行った時に旭山動物園を見たことがある。あの時の賑わいから見るとこの動物園は全く閑散としているといってよい。旭山動物園にはお客をひきつける仕組みが工夫されていたしそれだけに動物との肌のぬくもりを感じさせる配置がなされている。

最近の若者の時間の過ごし方を見ていると動物園経営も段々難しくなっていることがうなづけるが、それだけに、ドラッカーの言う「顧客の創造」が切実な課題である事がわかる。
今日で5月も終わる。

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2011年5月13日 (金)

危機にこそ詩歌(2)

俳人の長谷川 櫂(はせがわ かい)氏は、東日本大震災当日の夜から衝動的に短歌を詠み始め、成果は「震災歌集」としていち早く刊行した。未曾有の災害に際し、詩歌の無力さをこぼす声に敢然と異を唱えると聞く。
Photo

『長谷川 櫂氏は、俳誌「古志」主宰。「季語と歳時記の会」代表。東海大学文学部文芸創作学科特任教授。朝日俳壇選者。
「切れ」と「季語」を重んじた、端正で折目正しい有季定型句を詠む、伝統派の俳人とされている。ただごと寸前の内容から美を引き出したり、禅問答のように玄妙に処理する手腕を持つ。入門書の執筆も多い。(Wikipedia)』

日経文化欄には概略次のような記事が綴られている。
『あの日の夜から短歌を作り出した。作ろうと思って作ったわけではない。自分の中からわいてきたのが短歌だった。

なぜか。あとから考えると、俳句と短歌の特色の違いが浮かんできた。短歌は575にさらに77とつく分、まず単純に多くの言葉が使えるので比較的「記録」に向いている。
俳句は要点だけを示し、後は想像してもらう詩型。どうしても伝えたい悲しみや怒りなど激しい感情をありのままに記すには短歌の方がいい。
しばらくして俳句もできるようになった。こちらはストレートな表現ではなく、いったん潜ってひねりを加えている感じがする。歴史的にも和歌が先に生まれ、俳句は後から登場した。この非常事態にあって僕自身、その歴史をなぞったのかもしれない。

甚大な被害を前に言葉の無力さを感じる文学者が少なくない。それに対して長谷川氏は、次のような歌を作った。
 天地も鬼神も歌はうごかすと貫之書きし古今集仮名序

こんな状況で俳句や短歌を作る気がしないという声も聞くが、それは詩歌が無力なのではない。そう言う人の作品が無力なだけ

俳句や短歌は風流ごとのように思われている節もある。しかし人間の文芸である以上は人生のすべてを詠めなければウソだ。と、喝破して、震災後に詠んだ歌の一部を披露している。
  ・禍(まが)つ火を奥に蔵せる原子炉を禍つ神とし人類はあり
 ・人々の嘆きみちみつるみちのくを心してゆけ桜前線
 ・復旧とはけなげな言葉さはあれど喪ひしものつひに帰らず

今回の一連の作品には、もっぱら身の回りのことを詠む近年の俳句や短歌の風潮に疑問を投げかける意図もある。政府を批判し、被災者を憂う作品には破調もいとわない激しさがある。』

本日、天気晴朗なれど風強し。

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2011年5月12日 (木)

危機にこそ詩歌

昨日は、東日本大震災発生後、満2ケ月が経った。この間、関連詩歌も多く発表されている。  

  禱(いの)るより為す術もなし梅匂ふ
これは東日本大震災の直後、遠く離れた浜松の俳人T氏が、恐らくTV等で知ったあの惨害を見ての感慨を詠ったものだろう。
  沖深く津波(ヨダ)の帰れる海の春
は、東京のK氏が同じく現地に想いを馳せて作ったに違いない。
  殉職者数知れぬまま新年度
は、八戸市のY氏の作。黒田杏子氏選の句。心が籠もる。
  

『 さくらさくらさくらさくら万の死者
は、大船渡市の桃心地氏の句。黒田杏子氏の選で日経俳壇に載ったもの。すさまじい廃墟が広がる三陸の被災地からの投句で、選者の黒田氏は「国民的鎮魂歌」と評している。

桜前線は津波にのまれた町にも達した。しかしそこには、おびただしい数の死がある……。深い悲しみを詠みながら、しんとした静けさを漂わせているのは言葉の力ゆえだろう。……
もともと、社会的な出来事にもなじみやすいのが日本の短詩型だ。大きな災害はしばしば句や歌に詠まれるが、こんどの事態は詠み手の精神をしたたかに揺さぶっていよう。切り立った言葉。魂のこもった表現。現実の重みが秀作を生む。戦争や動乱と同じように、震災はやがて、文学を突き動かしていくだろう。
   まがまがしい金の満月のぼりきて地球の裏の故国思へり
こちらは日経歌壇に載ったメキシコ市に住む神尾朱美さんの歌だ。異郷の輝ける満月に、かえって深まる日本への思い。居ても立ってもいられぬ気持ちが作品になったのかもしれない。災厄の前で人は言葉を失う。それでも、言葉にはなお力がある。』は、日経・春秋氏の弁。

被災者への励ましの句も多々。俳誌「俳句」より任意抜粋。
  祈りとは心のことば花の下           稲畑汀子
  さくら咲け瓦礫の底の死者のため      矢島渚男
  みちのくの花のさかりを思ふべし       橋本榮治
  負けるまじ大地の芽吹きうたがはず     谷中隆子
  みちのくの同胞(はらから)にこそ花盈ちよ  奥坂まや
  北めざす燕に祈り託したし           片山由美子
  芦芽(あしかび)のごとくふたたび国興れ   長谷川櫂
『この悲惨な現実を俳句で受け止めることが出来るのか。もしあなたが無力感に負けてそれをやめるなら、それは俳句が無力なのではなく、あなたの俳句が無力であるということです。大震災は俳人一人一人の試練でもある。』(櫂)

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2011年5月 8日 (日)

佐鳴湖畔

浜松市に佐鳴湖のあることは前に述べた。
小さな湖ながら歌人、俳人、画家等が訪れ、又湖に接する入野の文学者である竹村広蔭が近江八景に因んで佐鳴八景と称して、夫々を短歌で紹介したのも良く知られるところながら、世の中の変遷と共に変貌を遂げつつあることも事実である。

湖畔の東岸での蘆刈りも情緒に富んでいる。湖畔開発と言うこともあって東岸と西岸の景も情緒もがらりと変わる。

写真は東岸の一景で蘆が芽吹き、遊歩道は未舗装部分が多く、自然の景をそのままに温存していてゆったりとした気分を味わうことが出来る。歩いている人も三々五々である。(写真は何れもクリックで拡大します)
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且つ、「小鳥の森」と称して一年を通して渡り鳥を含めて多くの種類の鳥がやって来る。丁度今頃は空を蔽う大樹から鳥語がひっきりなしに降ってくる。

一方西岸は、佐鳴湖公園と称して道も施設も整備され、親子連れや恋人同士の散策の場所になっていて、常時賑わっている。
道も舗装され車が通れるようになっている。駐車場も各地点に設けられ、又湖畔を巡る公園の一段上にも更なる舗装道路が完備され散策できる。
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湖を見渡す場所に作られた東屋めく建屋には、団欒する人や釣りを楽しむ人、それに子供らが掛けている椅子にはユーモアの滲んだ文字も見える。
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湖尻には漕艇場もあって、地元の高校や大学の漕艇部が練習をしている光景がいつも見られる。此処には皇太子時代の現陛下がお見えになった時の記念碑も立っている。

その西岸に張り付いて、静岡県で一番低い山と言われる、標高32㍍の根川山がある。入口には、登山道入口と一人前の標識が立っている。

知人に白馬村で山小屋を営んでいる山男がいる。他の山小屋群へ行く通路の大半は舗装されたのに、彼の山小屋を含む山小屋群への通路だけは未舗装のまま。舗装するとその道を境に生態系が乱れることを彼は知り尽くしていて、頑なに舗装化に反対しているからで、自然保護に対しての執念のようなものを感じる。

同じことが佐鳴湖でも言えるのではないか。徒に便利さと楽しみのために、これ以上開発の名において自然破壊を進めないことを切に望む。

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2011年5月 3日 (火)

車内放送

5月1日13時から、長野駅前の会場で身内の会合を持った。
開始時刻を13時と決めたのは、名古屋駅発10時の中央西線特急が、長野駅へ12時53分に着くので、それに合わせて開始時刻を決めた。

名古屋駅を定刻10時に発車した電車が木曽福島駅を出てから間もなく、「只今、篠ノ井線は強風の為運転を見合わせています。」と車内放送があった。乗客の間に動揺が走ったが、比較的冷静だった。
木曽福島駅の次の停車駅は塩尻駅。そこで車掌の交代がある。

電車は松本駅を定刻に発車した後、「強風の為列車は西条駅に停車します」と車内放送があり、同駅に停車した。

ところがそれから先、風の状態や、普通電車の運休状態や、私たちの特急も何時になったら出発できるのやら全く車内放送がない。勿論電車の安全運転の必要であることは十分理解している心算だ。しかし車掌に聞きたくても、車内はさほど混んでもいないのに、全く廻って来ないので聞くことが出来ない。要はつんぼ桟敷に置かれたままだった。

或いは車掌にも情報が正確に齎されていなかったのかも知れないが、それならそれでその状況を適宜、乗客に知らせるべきではなかったか。

西条駅停車15分くらいした頃、電車のドアを開け運休で同駅にいた人たちを収容した後、発車し麻績駅を通過するまでノロノロ運転で走る。その間もその状況説明もなく、車掌は矢張り廻っても来ない。

電車は、麻績駅を通過してから本来の特急電車になったが、それに就いても車内放送がない。
長野駅に着く寸前になって「遅れて申し訳ありませんでした」の一言あっただけ。結果的には30分以上の遅れとなった。
民有化されても、まだまだお役所的な雰囲気が抜けきらないのだろうか。

因に翌日の信濃毎日新聞によると
「日本海東北東に進む低気圧に南から空気が流れ込んだ影響で、1日の県内は各地で強い風が吹いた。長野地方気象台は同日、県内全域に強風注意報を出した。同気象台によると、最大瞬間風速は松本で18.8㍍、長野で16.2㍍。注意報は同夜、解除した。
JR篠ノ井線は午前11時18分頃、東筑摩郡坂北村の西条駅の風速計が規制値を超えたため、西条ー坂北間で上下の特急と普通列車計5本が運転を見合わせ、最大で約50分の遅れが出た。」とある。

余談ながら翌日の長野地方の黄砂は酷く、周囲の山々は全く見えなかった。

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2011年5月 2日 (月)

遠江引佐細江の澪標

万葉集にも詠われた「引佐細江(いなさほそえ)の澪標(みおつくし)」のレプリカは、浜名湖北岸に位置する静岡県引佐郡細江町にある。平成の大合併で今は、浜松市北区細江町になったが、その浜名湖の一角に件の澪標が立っている。
日本最古の海路標識として、今から1000余年前に建てられたものと言われる。

澪標とは水脈(みお)の串の意で、通行する船に通りやすい深い水脈を知らせる為に立てられた杭。歌で多く「身を尽し」にかけて使われる。

写真はその澪標で東名高速浜名湖大橋を遠く背にして立っている。Img_1459

 遠江(とほつあふみ)引佐細江の みをつくし
   吾
(あれ)を頼めて あさましものを(巻14-3429 作者未詳)

遠江の引佐細江の みをつくし。
 澪標のように私をあてにさせておいて、やがて疎ましくするのでしょう。(ネットより)

静岡県立中央図書館所蔵貴重書の「万葉集遠江歌考(とうとうみうたこう)」について、次のように紹介されている。

『浜松市出身の江戸時代の国学者、賀茂真淵(元禄10(1697)年~明和6(1769)年)は、江戸に移って田安家に仕える前、寛保2(1742)年、真淵46歳の年に「万葉集遠江歌考」を著した。万葉集中、遠江で詠まれた歌や、遠江出身の防人の歌、東歌などについて注解、考証してある。

地名が詠み込んである歌として、「引馬野ににほふ榛原(はぎはら)入り乱り衣にほはせ旅のしるしに」(巻1)、「あら玉のきべの林に汝を立ててゆきかつましし寝(い)を先立たね」(巻14)、「遠江引佐細江の澪標吾を頼めてあさましものを」(巻14)などがある。

この執筆の18年後、真淵は代表的著作である『万葉考』を著す。「万葉集遠江歌考」には、後に通ずる精緻な考証の中にもはつらつとした雰囲気がうかがえる。』

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