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2011年2月28日 (月)

映画「カサブランカ」

久しぶりに、マイケル・カーティス監督(ハンガリー映画界出身)の映画「カサブランカ」を見た。
嘗ての名画といわれる、この映画の愛好者は多い。
「カサブランカ」は昭和17年(1942)の作で、第二次世界大戦が始まったのが昭和14年(1939)、日本が米英と開戦したのが昭和16年(1941)だからその翌年の作品になる。

この映画のストーリーは大方ご存知のとおり、フランス領の北アフリカのモロッコの首都カサブランカが舞台。
ドイツに降伏したフランスのヴィシー政権によって統治されているモロッコのカサブランカにも既にドイツ軍が居る。ここにはドイツに占領されたヨーロッパの各地からアメリカに亡命したいと思う人たちが、中立国のポルトガルのリスボン経由でアメリカに行ける機会を狙ってみな必死だったが、ただ特別許可証がなければ出国できない。

その亡命希望者の中に、チェッコスロバキア人のラズロという重要人物が居て、その妻である美人のイルザという役がイングリッド・バーグマン
この町のカフェにリックという男が居てそれを演じるのが、ハンフリー・ポガート。その店に偶然ラズロとイルザがやってくる。リックは吃驚する。実はイルザは嘗てリックがパリに居た時、熱烈に愛し合った仲だった。
ストーリー自体はありふれたものだが、しかしリックの酒場でドイツの将校たちが傍若無人に「ラインの誇り」を合唱すると、ラズロがバンドに「ラ・マルセエーズ」を演奏してくれないかと頼む。バンドがリックの顔を見る。リックは無言で頷く。両者が声を張り上げて歌い競いあうという場面は、戦争に負けても心までは支配されないぞとの心意気を示す。
結末はご存知、ラズロとイルザが間一髪で脱出するところで終わるが、そのラスト・シーンは感動的である。

主演のイングリッド・バーグマンを見たいためにこの映画を再再度にわたって見たとも言える。彼女は大正4年(1915)、スウェーデンのストックホルム生まれ。ハリウッドで一躍注目されるようになったのは「カサブランカ」。新進スターとして確固たる人気と堅実な演技力の持ち主としてその地位を確保した。「誰が為に鐘は鳴る」「白い恐怖」「ガス燈」等でも好演したがなんといっても「カサブランカ」はひとつの時代の精神の記念碑のような名作になった。

以後、「戦火のかなた」のロベルト・ロッセリーニ監督への傾倒がきっかけでハリウッドから追放されたような状態になるが、昭和31年(1956)の「追想」でハリウッドへのカムバックを果した。

しかし矢張りバーグマンの記憶は「カサブランカ」をおいてない。そのために人は「カサブランカ」を飽きずに見、見るたびにあの美貌と理知的な容貌のイングリッド・バーグマンに溜息をつく。(文中、佐藤忠男氏の文を一部引用した)
今日で2月も終わる。

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2011年2月15日 (火)

トランジスターラジオ

今時、トランジスターラジオなどと言うと黴の生えた感じになるが、まさしくその黴の生えた様なラジオが、今まで我が家でれっきとして使われてきた。先に電子手帳を書いた時も、「なんと物持ちの良い人」とコメントを入れていただいた経緯もあるが、今度のラジオはもっと年代物だから、電子手帳よりもっと物持ちが良い代物だ。

商品名は、「Hitachi 3Band Transistor Radio」とあり、品番はWH-817とある。AM、SW1,Sw2の3バンドで(当時はFMはまだ普及されていなかったし、SWが相当幅を効かしていた時代でもあった)、この数十年間は専ら家内の手遊びのお相手として愛用され現在に至っている。
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写真上左は皮のケースをまとったものでこの状態で聞いている。右はケースを外した本体である。
3 又、上の写真はその内部の構造を撮ったもの。

サイズは、幅20cm、高さ12cm、厚さ5cmで、重さはケース無しで1.3kg、ケース付きで1.4kgと中々この種の製品としては重厚感がある。

購入したのは昭和36年(1961)5月頃。丁度半世紀を経て今まで健在で、兎に角音質が良く、音楽番組も比較的聞ける製品でもあった。何回か落としたことがあったがびくともしなかった。最近では1日5~6時間ぐらいは使っていた筈で、そう考えると使用時間の累計は相当な時間になるに相違ない。それにも拘わらず故障は殆どなく多少ガリオームが出た程度である。使用方法は大きさや重さの関係もあって机上に置いて使うことが多かった筈であるが、それにしても結果的には、設計技術や生産技術上の耐久テストの実証をした結果にもなる。
但し経営方針との関係で現在の経営とのマッチングと言う点では議論があるかもしれないが基本的には信頼性の実証結果になったと思う。

しかし矢張りこの2,3日、回路のどこかの接触不良か時々音が途切れたりするようになった。ラジオは聞きながら出来る仕事もあるので、TVとは違った効用があるので、主な部屋には置いてある。

それにしてもこんな製品が今時あるという事を知って貰いたい。そして良心的経営と商品技術との関係にも思いを致したいものと思って取り上げた次第である。

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2011年2月11日 (金)

いつも追われ

西国第32番札所・観音正寺の「参道ことわざのみち」の中の、
11番に「楽しい人生の中には必ず苦しい時代の経験が生きている」という諺があり、
24番に「最も幸福な人はいつも行動している人である」という諺が載っている。
偶々或る俳句の記事に次のような記事が載っていた。「参道ことわざのみち」とも関連して味わった。
   

 『 いつも追はれ今はたはたを野路に追ふ  福田蓼汀

 「いつも追はれ」というのは、一生仕事に追いまくられて来た人の感慨であろう。会社の仕事でも作家や校正でも、所詮時間との勝負になるからだ。定年退職して、やっと野原で「はたはた」(バッタ)を追っている。句には登場しないが、お孫さんと一緒かも知れない。余生の感慨がほのぼのと伝わってくる。

福田蓼汀は明治38年(1905年) 生まれ。昭和15年「ホトトギス」同人。昭和23年「山花」を創刊主宰。山を深く愛し多くの山岳俳句を生み、主宰誌名も山に因んだ。

ところが皮肉にもその山が蓼汀に不幸をもたらす。次男善明が岡部浩子とともに奥黒部で鉄砲水に流されて遭難死する。同僚三菱商事山岳部の必死の捜索にもかかわらず、遺体すら発見できなかった。昭和44年10月黒部東沢出会で行われた慰霊祭で、蓼汀は91句の慰霊句を詠んだ。こうでもする以外に為すすべが無かったのであろう。その冒頭句。
   秋雲一片遺されし父何を為さん 』

   

 『 夾竹桃河は疲れを溜めて流れ       有働 亨

 春に較べると夏は花が少ない。万物暑さに疲れ、河さえも疲れを溜めて流れている。しかし印度原産の常緑灌木である夾竹桃は、河の両岸を埋め尽くして真っ赤に咲き続ける。河の疲れというのは無論作者の主観だが、夾竹桃の旺盛さを際だたせる効果を生んでいる。俳句はいうまでもなく五・七・五を定型とするが、この句は六・七・六と詩形を崩していて、それが暑さに疲れた気分をうまく伝えている。

 有働亨は大正9年(1920)熊本生まれ。京大馬酔木会で水内鬼灯に学び、のち水原秋桜子に師事し、「馬酔木」同人となる。昭和46年(1971)から10年間俳人協会理事を勤めた。』

人の世の中で誰にとっても、ただ一つ公平なものは1日24時間の持ち時間である。
その時間を、いつも追っているか追われているかも、河も疲れを溜めていると見るのも、年代や地位や業種や能力、それに性格にも依って人夫々であろうが、我々の年代になってみると、特に実感として伝わってくる。ただ「忙」は心を失うということを表している文字でもあるので心すべきことでもある。
今日は2月11日。建国記念日。観音正寺の諺のうち、11番が目に留まった所から思いを述べた。

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2011年2月 4日 (金)

美しい文章と挿絵の本

偶然の出会いが、素晴らしい出会いに発展した一例を或る出会い続、或る出会い再度、或る出会いに既に書いた。

その太田さんから「歳を重ね体力が弱ったら晩年は汽車の旅でもしようかと言っていたのが現実になりました」との一文が添えられて「稚内・津軽・木曽路に枕崎」と題する感動的な一冊の本を送って頂いた。

B5版の本は開くと、左側に文章、右側に(文章に書かれた)絵がワンセットになっていて見ても読んでも楽しい本だ。

日本各地のローカル線を主体に列車の旅物語だが、これだけの旅の出来るということは添えられた一文とは裏腹に活動的な旅を続けているということを感じる。その文章は単なる客観写生だけではなく、それを通して切々とした想いを綴っているのが素晴らしい。その写生の絵が又美しい。写真はその本の表紙である。Img_1141  信州出身の私は、まづこの表紙が中央線須原駅とあることに親近感を覚え、又自分でも乗った経験のある鉄道や懐かしい駅も幾つかあり、当時の記憶が蘇り懐かしさが蘇って来る。

 それにしても太田さんの文章は「物が心を食う時代」に対しての警告を率直に表現されていることに共感を持てる。何でこんなに心を打つ文章なのだろうか。矢張り私にも共鳴する弦が心の中にあるからだろう。ただ私が訴えたいことが見事に表現されているのが嬉しい。

 

内容は北は北海道最北端の稚内から、南は本州最南端の指宿枕崎線の西大山駅を始め各地のローカル線を紹介している。

例えば北海道の留萌線。私のおぼろげな記憶を辿ってみると、昭和54年(1979)の夏、当時私は遣る瀬無い気持ちを抱いて一人北海道の旅に出たことがある。その途次、稚内に行った時のこと、羽幌から船で焼尻島で一泊して翌日天売島を船で外からオロロン鳥を見て羽幌に戻り、其処から羽幌線で宗谷本線の幌延に出て其処から稚内に出たように記憶している。しかし今はその羽幌線も廃線になってしまった。8月の夏真最中だったのに早くも秋の気配を感じたことを覚えている。

「残っているから尚寂しい旧炭鉱平岸」と題する旧炭鉱平岸駅の描写には世の中の栄枯盛衰の一端を現している。荒涼とした廃駅の冬を想像するとうら悲しい。

     廃線の朽ちし駅舎や冬銀河  

 

本州最南端の西大山駅の絵と文は、私が平成15年(2003)11月、その地を訪れた時の風景と想いを髣髴と感じさせてくれる。

      最果ての無人の駅や返り花  

 

 本書にある私の知らなかったり乗ったこともない鉄道は、平凡社大百科事典の日本地図を片手に首っ引きで追ってみたが結構楽しい。スイッチバックの駅、1ケ所に3種の異なった軌道ゲージが集まっている所があると聞いて吃驚した。

 

 岩村駅の近くには、岩村城や「女城主」と名のつく地酒もあり、古い町並みと共に懐かしい。

 

 近代化の波が、古きよきものを次第に破壊してゆくのは、西欧の世界遺産を見るにつけ、日本の文化遺産をもっと考える時期ではないかと切に思う。

  

太田さんの旅の記録を読んで感じるのは、矢張り尽きない好奇心・相応の体力・それに行動力といった要素が兼ね備わっていることが基本で且つ、確とした思想の上に積み重ねられた文章であることを確信する。

今日は立春、これから又旅の季節になる。益々お元気で旅されんことを

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