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2011年1月14日 (金)

天浜線の旅

昨年末には東北新幹線が全通した。そして今年は九州新幹線が全通する。
新幹線は早く目的地に到着する為の手段で、偶々富士山が見えれば、ひとしきり富士山を眺めることはあってもその他の車窓の風景を楽しむことは余りない。

しかしローカル線各駅停車の列車に乗る場合は、乗っていること自体が目的である。終点に早く到着することが目的ではない。
偶々同好の士の集いがあって天浜線に乗った。

天竜浜名湖線(てんりゅうはまなこせん)は、静岡県掛川市の掛川駅から浜松市天竜区の天竜二俣駅を経て、湖西市の新所原駅に至る天竜浜名湖鉄道が運営する鉄道路線。略して天浜線(てんはません)と呼ばれる。
JR東海道本線から分岐して内陸部に入り、浜名湖の北岸を巡って再び東海道本線に合流しており、掛川 - 豊橋間の北回りバイパス線ともなっている。
本来は、掛川から遠江二俣、三河大野を経て岐阜県東濃地方の大井(現在の恵那)に至る鉄道として計画されたが、軍事上の要請から(浜名湖付近で海岸線を通る東海道本線が、敵軍の攻撃により不通になった際のバイパスとするため)、終点を新所原に変更して建設された。路線距離(営業キロ)は67.7Km、起終点駅を含めて38駅(Wipedia)』

最近は、何かというと新幹線か、L特急に乗ることが多く、今度のように、乗るために各駅停車の車に乗るのは何年振りかになる。Img_1015 目的が目的だけに天浜線だけに通用する周遊券を買い、JR浜松駅から、新所原駅で下車し、天浜線始発駅の同駅から終点の掛川駅まで、周囲の風景や乗降客との会話を楽しみながら走る。所要時間は2時間。終点の掛川駅で下車し、掛川の町を歩き、掛川城の天守閣に上り、掛川城御殿内を見学する。
Img_1063 Img_1061

掛川城は山内一豊の居城として有名だが、城主の変遷は一編の歴史書にもなる(写真左は天守閣、右は掛川城御殿)。
現在の天守閣は平成6年(1994)に再建されたもので、原型を忠実に再現した。
天守閣への登城路の石の階段も、天守閣内部の階段も段差が大きく、手摺に縋って上った。
隣接する掛川城御殿は現存する数少ない城郭御殿で、昭和55年(1980)國の重要文化財に指定された。

再び天浜線の掛川駅から乗車して、行きとは逆コースで西鹿島駅で降りる。途中の天竜二俣駅には、今では殆ど見られなくなった転車台と、扇形車庫がある。
Photo 昔、SLが走っていた当時、SLの進行方向を転換するために造られたもので、直径18m。現在は電動で回転するが建設当時は手動で回転させていたという。写真後部に見える扇形車庫と共に平成10年(1998)、國の登録有形文化財に指定された。

西鹿島駅で、遠州鉄道の電車に乗り替えて浜松に戻る。この電車に乗るのも久しぶりだ。

今度の旅は、同好の士の集いの一環として実現したものだが、出かけてみると、結構、旅情が湧くし土地の文化のかけらを垣間見ることも出来て楽しかった。それに遠くまで出かけてということでもなく、極く近場の旅ともあって、気張らず無理せず安価に出来て、何かとせかせかした世の中だけにこんな旅があっても良いと思った。

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2011年1月 4日 (火)

年頭所感

年頭に当たり、思い出す好きな詩がある。

サムエル・ウルマン(Samuel Ullman)の詩の中の一つに「青春」と題する詩がある。

一見、単純、無邪気とも言えるエロスの世界にも映るのだが、ウルマンの他の詩を読んでみると、彼の心にも深いタナトスのひだがあったことを感じる。だからこの詩は、人々の心を捉え、人々に勇気を与えてくれる。

以下に、松永安左エ門訳と伝えられる「青春」の詩の抜粋を紹介する。

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ(Youth is not a time of life;it is a state of mind.)。
逞しき意志、優れた創造力、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない
理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。(中略)

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。』

「青春」は、我々の胸奥に深く秘められ、適切な言葉とならない想いを歌い上げ、いつか夢に見たが言い得ない感情を揺さぶる。

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