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2010年12月30日 (木)

年末雑感

あと一日で2010年も暮れる。

思えば昨年は、大方の期待を担って新政権が誕生した。マニフェストに期待する向きもあったがそれ以上に、今までの政治に嫌気を差した国民が新たな政権に期待し改革を望んだからだ。
しかし、正体見たり枯れ尾花。国家観も、理念もなく、財源もないのに、小手先人気取りのばら撒き政策。税収を上回る国債発行。付けはみな我々の子や孫に廻る。
こんな政治家を選んだ国民にも責任の一端がある。

例を引くまでもないが、例えば、今年の6月から児童手当が支給された。貰った人に、街頭でインタビューしているのを聞いて腹が立った。曰く、「旅行に行きます」「お食事に行きます」「貯金します」等々。
我々の血税(敢えて血税という)を、そんなことに使われる筋合はない。その一方で託児所の不足や、保育士の不足で悲鳴を上げている現実。
児童手当などのばら撒きを止めて、こんな方面に集中的に使ったほうが余程少子化対策に貢献すると思うのだが。因みに一軒で子供二人、中学までマニフェスト通りに実施されたら、1000数百万円が支給されることになる。
国家百年の計に少子化対策の必要なことは承知しているものの、基本的理念や具現化の道筋が全く見えない。
その上、義務教育でもないのに高校無償化。それも日本人の高校以外までも。

このような政策は、「乏しきを憂えず、等しからざるを憂える」と言う観点からしても、不公平感はれっきとしている。
仕分け作業を懸命にやっているのは好感が持てるが、それで、ばら撒き政策をまかなえると考えた甘さにはあきれる。

沖縄問題に見るように、出来もしないことで期待だけ持たせ、挙句の果ては日米関係まで損ね、外交手腕を見透かされたように、尖閣問題や、メドベージェフが大面で北方四島の一つ国後島に堂々と出かけただけでなく、北方四島はロシアの領土などと、ほざいているのに今の政府は為す術がない。

Photo_4 我々が学生時代に、学生間でひそかに「昭和維新の歌」が歌われた。多分に危険思想が入っているのでお奨めできないが、その中の一節は今の世の中にも通用するものがあるのは皮肉なことだ。

そんな中で、小惑星イトカワから探査機「はやぶさ」を、懸命な努力によって帰還させた快挙。
ノーベル化学賞を、根岸英一、鈴木章両氏が受賞したことは朗報である。

来る2011年は「卯年」。この快挙・朗報の延長線上にあることを期待したい。

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2010年12月29日 (水)

水鳥

俳人協会・俳句文学館発行の12月俳句カレンダーに、深見けん二氏の句が掲載されている。小圷健水氏の解説がある。

  水鳥の水をつかんで翔び上り  深見けん二

水面を飛び立つときの水鳥の姿が鮮明に詠まれている。特に離れる瞬間の水鳥の脚と水との関わり「つかんで」が絶妙であり、水の騒めきや飛び上がった脚の先から滴る水滴がスローモーションの映像を見るようにはっきりと見える。
 水鳥には、鴨、雁、鳰、鴛鴦、白鳥、鴎など種々いるが、この句を読んだときなぜか鴨だと思った。それはかつて作者が、河川や湖沼に出掛けて集中的に鴨の句を作っていたことを知っていたからかもしれない。
 この句の鑑賞のため湖に立った。鴨は飛んだり着水したりしていたが、近くの鴨が飛び立つのを見るのはなかなか困難であった。とそのうち目の前の鴨が飛び立った。「ばしゃっ」と水音を立てたかと思うと、脚を縮めて飛んで行ってしまった。一瞬である。とても「水をつかんで」などと見入ることはできなかった。
 正に、じっくりと腰を下ろして見つめ入る作者ならではの写生句である。自註に「一人、三宝寺池に行き、鴨を永く見ていた...」とある。句集『水影』所収。(小圷健水)

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