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2010年11月23日 (火)

トヨタ博物館

11月18日、Y社のG会の秋季旅行でトヨタ博物館ほか2ケ所の秋を楽しんだ。

トヨタ博物館は、名古屋市近郊の愛知県愛知郡長久手町にある自動車に関する博物館で1989年(H1年)に、トヨタ自動車(株)創立50周年記念事業の一環として建設された。

資料に拠ると、『本博物館は、トヨタ自動車の運営であるが、ガソリン自動車誕生から約100年間の自動車の歴史をテーマに、トヨタ車だけでなく19世紀末から20世紀にかけて製造された各国、各メーカーの自動車が体系的に展示されている。第二次世界大戦後に製造された外国車は、スペースの関係で原則として常設展示されていないが、特別展の場合は展示されることもある。』

展示されている車は100余台、何れの車にも興味は尽きないが以下、数例を挙げる。(写真は何れもクリックで拡大します)
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上の写真左から、
・1886年、ベンツ パテント モトールヴァーゲンのレプリカ。ガソリン自動車第1号と言われる三輪車。棒ハンドルで前輪を操向し、時速15Kmが可能だった。
・1897年、オールズモビル カーブドダッシュ。
・1902年、キャデラック モデルA。精密技術の権威ヘンリー・M・リーランドが設立したキャデラック社の最初の製品。部品の精度が高く互換性があり当時としては画期的だった。
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上の写真左から、
・1936年、トヨダAA型のレプリカ。1936年に発表されたトヨタ初の乗用車。写真の車は、トヨタ自動車(株)の創立50周年を機に当時の図面をもとに、エンジンまで含めて当時の姿に復元されたもの。
・1964年、トヨペット コロナ RT40型。技術レベルを一気に国際水準まで高めた意欲作。開通直後の名神高速で10万キロ連続走行を行うなどハイウェイ時代をイメージする販売戦略を展開して成功した。
・1963年、ダットサン ブルーバードP312型。ダットサンの堅牢さに加えて、多くの新技術とエレガントなスタイルを採用。世界初の女性仕様車など充実したラインナップで小型市場を席巻した。
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上の写真左から、
・1968年、トヨタ2000GT MF10型。当時の技術の粋を集め、ヤマハ発動機(株)の協力を得て開発された高性能スポーツカー。発表に先駆けて行われた連続高速耐久走行で、3つの世界記録と13の国際記録を樹立した。
・1963年、ダットサン フェアレディーSP310型。ブルーバードのシャシーにセドリック1500ccエンジンを搭載した国産初の量産スポーツカー。第1回日本グランプリでは欧州製スポーツカーを下して優勝した。
・1969年、マツダ コスモスポーツL10B型。日本発のロータリエンジン車。世界では本家のNSUに次ぐ2番目。未来的なスタイル。レシプロエンジンの2リッタークラスを凌ぐ高出力で注目された。

展示車を見ていると各社の歴史が髣髴と浮かんでくる。
BC戦争などといわれたブルーバードとコロナの熾烈な企業競争。
世界で始めてロータリーエンジン技術を確立したマツダの生産技術力。
オートバイ メーカーながら、トヨタ2000GTによって、4輪自動車への進出がいつでも可能であることを示した、ヤマハ発動機の技術力。
未来自動車の姿を先取りした予想自動車模型。
今では全く姿を消した観音開きドアー車、 等々。

リーマン ショック以来、自動車業界も過去の実績だけを誇示する状態ではなくなってきた上に、電気自動車の出現等々の技術革新が進行してきて予断の許されない状況下にあるが、それにしても、これほどの博物館を持つトヨタ自動車(株)の力を改めて垣間見る思いがする。

技術者にとって興味は尽きないが、再度訪問する機会を持ちたい。

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2010年11月21日 (日)

錦秋の京都

お寺さんからのお誘いがあって15日、急遽京都へ。同行9人。

修学旅行生や観光客で込み始めた京都市中を抜け、嵐山の渡月橋を左に見ながら、「湯豆腐」を主体とした昼食をとる。元々美味しい湯豆腐が京都と言う場所を得て、格別な味わいがある。
嵐山・高雄パークウェーを上る。京都は今、市中を含め何処も紅葉が進んでいて美しい。将に錦秋だ。そしてそんな京都を見るのも始めてだ。Photo 写真はパークウェーから見はるかす京都市中と前方左に一際高い比叡山が望見できる。
Photo_2 道を変えて、保津峡展望台から保津川を望む。何処から見ても紅葉真っ盛りだ。市中に比べると観光客も少なくゆっくりと語らいながら景観を楽しむことが出来た。

京都市中へ下る道の辺には北山杉が見事に手入れされていて情緒を添えている。

ねね様や時雨亭で有名な高台寺周辺の「ねねの道」を散策する頃には大分足も疲れてきた。こんな時は甘いものが欲しくなる。一人で来たらまづ入らないだろうと思う「ぜんざい」主体の小料理屋へ入る。飛び石伝いに玄関へ。石蕗の花と実南天の植え込みが綺麗だった。入口には「おこしやす」と書かれた雪洞が置かれていて京都の雰囲気が更に深まる。
疲れた身にぜんざいは美味しかった。
Photo_3 Photo_4
ねねの道には名物の観光用の人力車が客を乗せ説明しながらゆっくり走っている。数年前に銀閣寺周辺で乗ったことがあるが、今回は女の車夫のいるのに驚いた。考えて見れば女性進出の傾向は此の世界にもでてきたのかなと思ったりもしたが、なんとなく割り切れない感じを持った。(写真はクリックで拡大します)

付近には観光用かも知れないが、だらりの帯の舞妓さんも散見され京都に来ていることを実感した。
此処には戦争の影などは全くないし、表面的には平和な世相そのものだった。

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2010年11月11日 (木)

浅間サンライン

小諸の虚子庵へ行くために、上田菅平ICから小諸ICへ出たが、帰りは時間的余裕もあったので別な道を通ってみようと思った。
偶々昼食に入った店の女性店員にそのことを尋ねた。

彼女は「お客さんそれなら絶対、浅間サンラインがお奨めです」と言って其処へ出る道筋まで丁寧に教えてくれた。
彼女の薦めた道は、上田方面へ向かう広い道路が3本併設されていて、高さで言うと一番下を国道18号が、その上を上信越自動車道(来た時に通った高速路)、そしてその上を浅間サンラインが通っていて、薦めてくれたのはその浅間サンラインだった。躊躇なくそれに決めた。

殆ど雲もない上天気だったので素晴らしい眺望だった。浅間山が右後方の直きそばに見えるし、更に右手には高峰山や湯の丸山も手に取るように見える。近辺の山々も丁度紅葉真っ盛りとあって信州の山の景色は素晴らしい。
下方には小諸や途中通過の東御の市街が見下ろせる。信号機も少ないので快適にドライブ出来るし、道を挟んで林檎が真っ赤に熟れて綺麗だ。
走った時間は比較的短時間だったが、確かに女店員が薦めてくれたことが判った。

この道は、後で調べてみたら、浅間山麓広域農道と言って、長野県北佐久郡軽井沢町追分から上田市住吉までの27.3kmを結ぶ広域農道であることを知った。
浅間サンラインの愛称で知られており、道路地図にもこちらの愛称で書かれていることが多いと言う。

資料に依ると『その名の通り浅間山に沿うようにして走る。小諸市・東御市などの市街地よりも一段高い高原地帯を走っており、その眺望の良さは特筆に値する。また市街地を走り常時混雑している国道18号よりも信号が少ない快適な道路である。
但し冬季の降雪時はスリップ事故が起こりやすいので注意する必要がある。
また、街灯があまりないので夜間は真っ暗になるが、国道18号沿いの市街地の夜景もきれいである。
広域農道ではあるが、上田市付近は沿道沿いにスーパー、商店、自動車・オートバイ関係販売店、パチンコ店などが建ち並び、幹線道路と変わらない光景の区間もある。』と、記されている。

農道とは、農村地域において農業の用に供するために設けられた道路の総称。」といわれるが、この浅間サンラインが農道だと言われても違和感がある。

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2010年11月10日 (水)

虚子庵

所用を兼ねて一週間ほど信州へ行ってきた。
小諸は坂の多い街である。小諸駅に張り付いて懐古園がある。此処はいつも訪れる人があり、今頃は丁度紅葉の真っ盛りで美しい。
表通りから一歩奥に入った所には田園風景が開け、その中に「与良・俳句のまちエリア」と地元では呼んでいる北国街道沿いの地区がある。その中に「虚子庵」があり隣接して「市立小諸高濱虚子記念館」がある。
Img_0747 写真は虚子庵虚子旧居)で飛び石伝いに中へ入れる。入口には投句箱があり又、虚子が愛した紫苑(しおん)が咲き残って風に揺れていた。8畳と6畳の2部屋があり、身幅ほどの廊下があり、外とは硝子戸で仕切られている。硝子は明治の硝子で表面に僅かな凹凸があるので硝子戸を通して見る外景は歪んで見える。

『高濱虚子は昭和19年9月、折から激しさを増してきた戦火を避けて小諸に疎開、昭和22年10月まで足掛け4年をこの家で暮らした。虚子は「小諸雑記」にその様子をまとめ「小諸百句」を生んだ。
明治7年愛媛県松山市に生まれた虚子は、明治27年同郷の先輩である正岡子規を頼って上京、明治43年から没年までは鎌倉に住んだ。
その間にあって小諸時代は、温暖の地に生まれ暮らした虚子に山国の厳しくも美しい風土を知らしめ、虚子文学を幅広いものへと育んだ。(入口の案内文概要)』

近隣一体を「虚子の散歩道」と呼んで、その周辺には虚子の句碑がいくつかあるが、特に虚子庵の入口に、紫苑に囲まれて立つ「人々に更に紫苑に名残あり」は印象的である。そのほか、
   柴を負ひそれにしめじの篭をさげ
   風花に山家住ひも早三年
   秋晴の浅間仰ぎて主客あり
   立科に春の雲今うごき居り
等の句碑が立っている。

隣接する記念館には虚子文学研究に資するため、作品や資料を保存している。中の圧巻は虚子筆の「六曲一双句屏風」で一月から十二月までの句が表装されていて見事である。
他には、短冊・色紙・扁額・掛け軸・原稿・画帳・絵画・写真等々が収められていて、俳人は良く訪れる場所と聞いている。 

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2010年11月 9日 (火)

柊(ひいらぎ)

俳人協会・俳句文学館発行、平成22年11月の俳句カレンダーに片山由美子氏の一句が掲載されている。津川絵理子氏の解説がある。221111

柊の花のましろき香とおもふ  
                             片山 由美子


『 とても良い香がする。同じモクセイ科でも金木犀のような強い芳香ではなく、傍を通ったときにそれと分かるくらいの幽さだが、冬の澄みきった空気の中に凛とした存在感を放っている。
 その白い花は小さく目立たないものなので、先に香に気付いたのかもしれない。柊の花の香と思った瞬間、脳裏に白い色が閃いたという、匂と色彩の結びつきが面白い句だが、あの香を例えて「白」とは言い得て妙だと思う。もしもこれが他の白い花だったなら、全く別の印象を受けただろう。
 さらに、「ましろき」と平仮名で書くことによって、漢字表記の「真白き」には無い視覚的な柔らかさを感じ取ることができる。清楚な花の姿は勿論のこと、そこはかとない寂しさを含んだ初冬の空気も伝えているのである。そして、下五「おもふ」の、一呼吸置いたかのように静かな切れが、落ち着いた雰囲気を醸し出している。平明でさりげないが、行き届いた表現が光る一句である。(津川絵理子)』(俳句文学館紙所載)

柊は、山中に自生もするが、庭木や生垣として又、鬼門除けなどとしても植えられる。ぎざぎざで光沢のある濃緑の葉がこの木の特徴だが、初冬の頃に咲く白い小さな四弁の花に気がつくことは稀で、ひそやかな香りによって花を知ることが多い。

俳人の感性は流石にそれを見逃さない。

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2010年11月 1日 (月)

或る書店を訪ねて

過日、ある会合があって長野市へ行った。

偶々小雨模様ながら多少の時間的余裕があったので、善光寺にお参りした。善光寺に近く、嘗てなじみだった「西沢書店」が今どのようになっているか気になって、バス待ち時間内に寄ってみた。

長野市には昔、西沢書店以外に当時としては大きな書店が二つあった。
今は駅前に平安堂という大きな書店があり広い延べ面積の中に豊富な書物を並べていて、地便もあって常時多勢の人が入っている。

それだけに西沢書店のことが気になっていた。
同書店は昔のままの広さで、入口には中年の女性が店番を兼ね、客も4,5人がいるだけでひっそりとしていた(他の二店は今は消えてしまって跡形もない)。
並べられている書物の内容も昔とはがらりと変わって、専門書等は殆どなく、かつてのイメージはないが、逆にこの書店だから買えるというローカルカラーの 本が沢山あったのは救いだった。
1 その中に「信濃路 俳句の旅」(藤岡筑邨編著、ほおずき書籍)があった。

綺麗な写真がいたるところに挿入され、古い歴史と素晴らしい風物に恵まれた信州にかかわる354句を厳選して解説が加えられている。

藤岡氏によると、『古来から多くの文人墨客が信州を訪れている。
殊に自然とかかわりの深い俳句では、松尾芭蕉をはじめおびただしい数の俳人たちが、信州に来て作品を作っている。
信州は、近世では小林一茶・加舎白雄・大島蓼太などを、また近代になってからは臼田亜浪・栗生純夫・相馬遷子などの俳人を輩出し、これらの人によっても沢山の作品が詠まれている。
そんなわけで信州を詠んだ俳句はたいへんな数にのぼる。今回は信州全般にわたることと、自然・生活・行事など様々な句を収めるように努めた。また、著名な俳人ばかいでなく、信州を生活の基盤にしている人たちの作品もできるだけ沢山載せた。云々。』と、ある。

藤岡氏も言うように、信州の旅に携行して旅情を更に深めたり、吟行の参考にするなりの楽しみ方もあるが、何より信州の雰囲気にどっぷりつかり楽しむ本だ。

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