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2010年10月27日 (水)

みんなで上れば

今年の四月は瀬戸大橋を渡って、高松へ出る四国巡拝コースで、第一番札所の霊山寺から、第十七番札所の井戸寺まで17ケ寺を巡拝した。

そして今回は鳴門渦潮を眺めながら、神戸淡路鳴門自動車道を通り徳島から高知へ出るコースで、第十八番札所の恩山寺から第三十一番札所の竹林寺まで14ケ寺を巡拝した。

Sa 淡路SA(写真)から見る『明石海峡大橋(あかしかいきょうおおはし)は、神戸市垂水区東舞子町と淡路市岩屋とを結ぶ、明石海峡を横断して架けられた世界最長の吊橋で、全長3,911m、中央支間1991m。明石海峡大橋の主塔の高さは海面上298.3mであり、国内では東京スカイツリー(634.0m ※2012年竣工時の高さ)、東京タワー(333.0m)に次ぎ、横浜ランドマークタワー(296.3m、海抜は300mで同じ高さとなる)を超える高さの構造物である。1998年(平成10年)4月5日に供用が開始された。建設費は約5,000億円。(Wikipedia)』(写真は何れもクリックで拡大します)

寺に石の階段はつき物だが、特に神峯寺(こうのみねじ)は急坂で知られる難所で、岩崎弥太郎の母は幕末の頃、弥太郎の開運を祈願してこの急坂を上ったと云う。
Photo

最近では自動車道が開通したとは言え、乗車したバスでは途中までしか行けず、其処からは業者専用の小型マイクロバスに分乗し、業者のガイド附きで上れる所まで行き、降車してから歩く。

坂を上り詰めた所から、石の階段のつづら折れとなる。
足腰の弱くなった老人が一人で来たら、その景に辟易して上るのを躊躇うのは間違いない。
Photo_3 しかしみんなで上れば互いに励ましあって何とか上ってしまうから不思議だ。
要はまだ上る気力・体力が残っていると言うことだ。

それに最近では手摺のついた石段が増えたので、足腰が弱くても手摺に縋って自分の体を引き上げて行くので何とか上りきることも出来る。

又お互いに弱い者に手を貸しながら上ってゆくのも微笑ましい風景で、同行二人の実践でもある。

そんな苦労をして上りきりお参り出来た後、足下の絶景を望んだ時の気持ちは又格別で、矢張り来て良かったなあと感じる瞬間。楽は苦の後から附いて来るもの。

Img_0659 Img_0655_3

土佐二十九番札所の国分寺の参道の辺には柿が熟れていた。正岡子規を思い出す。又、同三十番札所の善楽寺の境内では、児童らが思い思いの位置でお堂をスケッチしていた。

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2010年10月22日 (金)

鳴門渦潮

四国88ケ所巡りの企画に就いては瀬戸大橋にも書いたが、第2回目の巡拝は10月11,12,13日に実施された。

今回は浜松から長躯バスを使い、明石海峡・淡路島・鳴門海峡を通る神戸淡路鳴門自動車道経由、徳島へ出るルートでの旅。

その内、淡路島と四国を結ぶ『大鳴門橋(おおなるときょう)は、兵庫県南あわじ市福良丙 (淡路島門崎)と徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦(大毛島孫崎)間の鳴門海峡両端を結ぶ吊橋で、1985年6月8日に開通した。
橋長は1,629m、中央径間は876m、幅は25m、主塔の高さは144.3m。橋は上下2層式となっており、上部は片側3車線の道路(現在は計6車線の内、中央4車線を使用)、下部は将来的に鉄道 (四国新幹線)を通すことが出来る構造となっている。(Wikipedia)』

効率よく廻る為になるべく寺の固まっている所を重点的に廻る。今回は徳島県の徳島市・阿南市・美南町と高知市中心に巡拝した。
総走行距離は約1550Km。且つ、お寺と言えば階段や坂道がついて廻るので老人にとっては楽な旅ではない。

幸い天候に恵まれ途中の景も楽しめたが、鳴門海峡の渦潮は見逃せない景。
淡路島と四国の間の鳴門海峡は、大小無数の岩礁が散在しており、潮の流れが速いので、潮の干満によっていたるところに潮の渦が発生する。特に旧暦の3月3日前後の大潮の頃が見ごろなので、「観潮」「渦潮」と言えば俳句では春の季語になっている。

写真の白く見えるところがバスの中から写した渦潮で、時刻は14時20分頃。後から調べた所では、今年10月11日の鳴門海峡の干潮時刻は14時30分(大潮)とあるので、丁度良い時刻に渦潮の片鱗を見たことになる。Photo    観潮の中に入りゆく舳を向けて   山口誓子
   渦見すや神の逆鉾操るか      大橋敦子
   観潮船傾ぎて大き渦へ寄る     吉田さち子
このような渦潮を一跨ぎにする架橋技術の発展には目を見張るものがある。

今回の巡拝の中に太龍寺(たいりゅうじ)があるが、昔は麓から歩いて上った所を今は標高602mの頂上まで100人乗りのゴンドラを吊るしたロープウェーが運行されている。Photo

麓に蛇行して見えるのは那賀川。
Photo_2 左の写真は、ゴンドラの中から下方を見たものだが粒々に見えるものは、林立する樹齢数百年の老杉の鉾で見事な景を呈している。(写真は何れもクリックで拡大します)

寺々の多くは高い山頂に造られているが、昔は今のような立派な道もなく、建設用機械もない時にどのようにして建築資材を運搬し、どのように建設したのかと思うと、大架橋と云い、大伽藍や宝塔と云い、現在の技術と共に往時の技術に興味をひかれる。

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2010年10月20日 (水)

ご縁

人との出会いについては、ある出会い何かのご縁にも書いたが、偶然と言えば偶然、ご縁といえばご縁だが、その意義は大きい。

S誌の全国大会(於、浜松)で、遠方から参会され、偶然隣り合わせた本来、縁もゆかりも無いKさん何故か会話が弾み、彼女の起伏に富んだ生き方に感銘した。
たった一度の偶然の出会いが、時空を越えて心に響きあう会話になるとは思いもよらぬ事だった。

いつも思うのだが「出会い」とは不思議なもの。特に或る人との出会いによって、恰も鉄道のポイントを切り替えるように、自分の人生が変わった例を、見たり聞いたりしたことがある。
ノーベル賞受賞者の履歴を見ても、或る師や先輩・同僚等との出会いがその後の人生を決定付け、それがノーベル賞に繋がったという例を聞いている。

今度の出会いも考えて見れば、懇親会で偶々席順を決める籤をひいたら偶々Kさんと隣り合わせになっただけのこと。若しあの時、別な籤をひいていたら、お互い全く知らぬ同士のまま、声を交わすこともなく分かれていたに違いない。改めてご縁と云うものを感じる。

人には自分の力で切り開いて行けるものと、自分の力ではどうにもならない、宿命と言うか運命と言うか、兎に角目に見えない大きな力が働いているのを改めて感じる。

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2010年10月10日 (日)

裏方

10月3、4、5の三日間、S誌の全国俳句大会が浜松駅前の「ホテル・クラウンパレス浜松」で行われた。
この種の大会運営には必ず裏方の努力がある。裏方の仕事は、成功して当たり前、失敗したらその責めを問われかねない。

人生の裏も表も見続けてきた人々は裏方の努力を看過しない。そのような想いから、今度の大会の裏方を覗いて見た。
大会の裏方の役割は、受付案内、司会進行、写真、句稿作成、披講代返等の各係に分かれていて、各パート何れも大変な気遣いと神経を使っていることがわかる。

その内、特に大変なのは句稿作成でその現場を覗いて見た
この係の問題は、初日・2日目と各一人3句づつ(夫々1句づつ短冊に書いて)出句、各日600句(2日間に1200句)にも及ぶ出句を、大会運営スケジュールの中に組み込まれた極く限られた時間内に、誤りなく一覧表に仕上げなければならない。そして各日とも、まづ選者用句稿として選者数分だけコピーをして遅滞なく届け、続いて出席者全員用句稿として夫々全員分コピーして配らなければならない。

出句はボツボツと出ながら、出句締め切り近くになると洪水のようにまとまって出句される。それを手際よく約20名が夫々の分担に応じて処理し、チェックし結果的にはA3用紙で(表紙まで入れて)約10枚分にまとめ、それを夫々人数分だけコピーして、上記のように配布しなければならない。これは神経と体力を使う大変な作業である。
特に2日目は吟行が終わると出句締め切りとなるので、一度にどっと出てくる句を捌く現場は、さながら戦場のような景となる。

この種の作業を正確に手際よく進めている統括指揮者は女性のSさん。てきぱきと見ていて気持ち良い。なるほどこのような人が居て、スムースに作業が進んでいるのだなと実感した。

現場には大型コピー機3台とパソコンとプリンター各2台が持ち込まれ、また句稿整理作成する為の大型作業台が並べられ、夫々の持分に従って整然と作業が進められている。

この種の作業は一般出席者には全く目につかない別室で行われているのだが、このような人たちの懸命な努力があってこそ大会は成功するのだと言うことを、改めて目の当たりにして感動した。

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