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2010年7月20日 (火)

井伊谷宮と秋桜子句碑

浜松市の一角に井伊谷宮がある。井伊谷宮(いいのやぐう)に就いては、井伊谷宮と龍潭寺に既に書いたことがある。その中で既述のように井伊谷宮には、後醍醐天皇の第四皇子である宗良親王が祀られていて、社殿の背後に宗良親王のご陵墓がある。神紋の李花紋は、歌人としても有名であった宗良親王の歌集の題名に因むものである。

この井伊谷宮の神域に、俳人として有名な、水原秋桜子の句碑が立っている。
過日、秋桜子のご子息である水原春郎馬醉木主宰奥様、それにお孫さんである徳田千鶴子副主宰が、龍潭寺(井伊谷宮に隣接し現在外装修復中)や、井伊谷宮それに宗良親王のご陵墓にも参拝され、秋桜子句碑にも親しく対面される機会があった。

ご陵墓は遠く京都に向かって静かに立っている。鶯の声が杜に響いていた。写真はそのご陵墓である。
Img_02221

水原秋桜子の句碑は、井伊谷宮の社殿の傍らに立っている。守石の苔は歳月を偲ばせ、折りしも万緑の真つ只中にあった。

Img_01881      水無月の落葉とどめず神います   秋桜子
そばに「句碑建立の由来」が記されている。
『水無月(みなづき)は6月の別名で、6月頃の落葉は楠・樫・椎・桜・杉等、秋の紅葉とは違って照り渡る初夏の陽光を浴びて、降りしきる様に落ち、掃いても掃いても後から後から落ちるのが通常であります。
そのような激しい落葉なのに、さすがは神社の境内だから清々しく清掃されていて、玉砂利の上には一枚の落葉も見られない。
その清々しさの中に水原秋桜子先生は神々を見出したのでした。
水原秋桜子先生は、宮内庁に勤め侍医として宮中に奉仕せられた。一方「馬醉木」主宰として近代俳句の提唱者として、大きな功績を残した文化人でもありました。
昭和48年、当宮再興の始めに参拝された折の御前詠であります。』と、記されている。

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2010年7月 2日 (金)

第44回蛇笏賞

第44回蛇笏賞の受賞者が発表された。受賞者は真鍋呉夫くれお)氏。受賞対象は、句集「月魄(つきしろ)」。

蛇笏賞は俳句界に於ける最高の賞と言われ、最近の受賞者は著名俳人が多かった。
今年の受賞者は、戦中派として、青春を国家と運命を共にしてきた感のある同氏。句にも切々とその想いが詠われていて、特に我々世代にとっては共感を呼ぶ。

俳誌「俳句」の6月号に受賞の発表があり、7月号にその関連記事が掲載されている。主として同誌からその内容を探る。

真鍋呉夫氏の略歴。大正9年(1920)福岡県生まれ。
昭和14年(1939)、矢山哲治・阿川弘之・那1 珂太郎・島尾敏雄等と同人誌「こをろ」を創刊。同16年(1941)、文化学院に入学、佐藤春夫の声咳に接し、遺書のつもりで句集「花火」を刊行。同17年(1942)、応召。佐賀の関沖の無人島に駐屯。戦艦大和の出撃を見送る。同20年(1945)、復員。
同24年(1949)、上京。文筆活動に入る。
平成4年(1992)、句集「雪女」により、第30回藤村記念歴程賞および第44回読売文学賞を受賞。同14年(2002)、「真鍋呉夫句集」を刊行。同22年(2010)、句集「月魄(つきしろ)」により第44回蛇笏賞を受賞、現在に至る。

受賞の言葉から一部を引用する。
「…谷川雁は世界の現在の惨状に対抗して『連帯すれば、孤立しても仕方がない』と言って死んだが、私は『常人の一人一人が「さびしさをあるじ」としなければ真の連帯は生まれない』と考えている。又、アイデンティティは『自己同一性』と訳すだけではなく、『相補的同一性』と訳すべきだと中村雄二郎は言う。即ち、私が『俳句は反戦でも非戦でもなく、不戦なのである』と信じる所以である」と述べている。

句集「月魄」より、適当に抜粋する。
          露草
   初夢は死ぬなと泣きしところまで
   船蟲の水より淡き影を曳き
   死者あまた卯波より現れ上陸す
   残されし日をかく生きむ寒昴
          釘隠
   約束の蛍になって来たと言ふ
   骨箱に詰めこまれゐし怒涛かな
   襤褸市の隅で月光賣ってをり
          白桃
   我はなほ屍衛兵望の夜も
   寒月光澄むといへども檻の中
      鐵帽に軍靴をはけりどの骨も
      (ノモンハン事件より60年後の遺骨収集)
          青鷺
   月光の沁みしが燻る焚火かな
   姿見にはいってゆきし螢かな
   蚤しらみ生者に移る月夜かな
          湧水
   去年今年海底の兵光りだす

他に、
   青き夜の猫がころがす蝸牛
   轟沈のあとはことなき月夜かな
   月魄や出入りはげしきけものみち
何れも戦中派の哀歓をひしひしと感じさせる俳句である。

間もなく八月が来る。
   八月は六日九日十五日  作者不詳

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2010年7月 1日 (木)

茅の輪

1年の折り返し点に当たる6月30日には、各地の神社で名越(なごし)の祓いが行われ、茅の輪が鳥居や社殿の前につくられる。

6月30日午前中に浜松市北区引佐町の井伊谷宮に行った時に、直径約2.5mの茅の輪がつくられていて、そう言えば今日は夏越の祓いの日だったなと気がついた。、午後は「名越の大祓い」が営まれることになっているという。Photo 井伊谷宮(いいのやぐう)は、旧官幣中社で建武中興十五社の一社である。
後醐醍天皇の第四皇子である宗良親王を祀る。鎮座地は、建武中興(建武新政)の際に征東将軍として関東各地を転戦した宗良親王が、元中2年に73歳で歿した地と伝えられている(終焉の地については、諸説あり)。社殿の背後に宗良親王の墳墓がある。

茅の輪は、茅萱(ちがや)を束ねて大きな輪としたもので、その輪を潜ることを茅の輪潜りという。
神社に向かって、まづ左回りに輪を潜り、更に右回りに潜って8の字を描き、更にまた左回りに潜って、最後に真直ぐ潜って神前に参る。潜ることによって、身についた罪や穢れを洗い清め、無病息災・厄除けを祈る。

諸事終了後、茅の輪の一筋を抜いてきて、厄除けとする習慣もあり、私も茅の輪つくりのための余り茅萱を頂いて帰った。

   あきらかに茅の輪くぐりし前と後   斉藤美規
   茅の輪とれ神の月日も亦迅し    伊藤柏翠
   対岸の灯り初めたる茅の輪かな  渡部元子
   息災にありあれ茅の輪潜りつつ   石塚知二

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