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2010年6月 5日 (土)

白浜・三段壁

新しい政権が誕生した。新首相は14年ぶりの非世襲首相。橋本・小渕・森・小泉・安倍・福田・麻生・鳩山と続いた世襲首相にはそれなりのしがらみがあったことは確か。新政権が何処までやるかを注目したい。

旅といえば最近では、或る所用の序での観光か、お寺めぐりの序での立ち寄りかに限られていた。
そんなこともあって南紀白浜は過去2回通ったが何れも素通りだったが、今回はなんとか白浜海岸を散策することが出来た。
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写真左は「円月島」右は「白浜海岸」。
円月島は陸地から僅かに離れた所。白浜海岸は文字どうり真っ白な砂浜で、塩田のように砂を盛り上げているのは観光用か別に理由があるのかは確認し損なった。

付近に三段壁(さんだんぺき)と呼ばれる岩場がある。Img_0089_2 Img_0091_2 Img_0092_2

前面の三段崖岩層の生成期は中期270万年前に於いて今日の基礎を構成したものと言われる。

Img_0106_2その岩の中に「十像岩」と言われる岩がある。
鼠・人面・スフィンクス・獅子・狼・狼・狼の遠吠え・人頭・人面と、岩の縁に沿って右回りに見て取れると言うが、そういえばそのようにも見える。岩の中程に弁天様も見え、そんな所からして十像岩と呼ばれるらしい。

三段壁からエレベーターで降りた所に大きな洞窟がある。三段洞窟と呼ぶ。

Img_0102_2 『第50代桓武天皇の頃、熊野鬼ケ城を本拠とした海賊多賀丸なる者がいた。
三段壁」もその頃は「みだん」と呼ばれて、海上を運航する船の状況を偵察したり、果ては魚群の様子を巌頭に立ってみる壇から、みだん三段になったといわれる。
鬼ケ城を本拠とする海賊(水軍)の隠し洞窟として使用されたと思われるのは、沖をゆく大船がある朝忽然と消えたり、燃えて没してゆくのを見たと古い記録にあり魔の牟娄沖と船夫に恐れられた』と由来書にある。

又、『熊野別当湛増は吉野十津川の兵とも糾合、総勢2000、熊野水軍と200隻の船に分乗し、若一王子の正体を榊の枝に奉じ金剛童子と描き、日月が東の山の端に出る勢威のもとに、源平両軍対峙する屋島の浦に向かって、ここ田辺湾を出発した』と、牟娄風土記に記されている。

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コメント

言葉を持たない雄大な自然と対峙するうちに、却って言葉以上の何かに胸打たれる事がございます。円月島、白浜海岸、三段壁のお写真を拝見し、海賊多賀丸を思いました。悠久の歴史の中で今、私達の目の前で激しく揺れ動く汚濁にまみれた政権闘争すら、歴史の僅か一点に過ぎない。そうであるならこの自分という小さな存在が生きている事は、むしろ奇跡に近い。私達一人一人が、途方もなく大きな宇宙の真理の中に組み込まれた個々の存在である事を考える時、今を生きる私達は形のないものへの思いを、初めて感謝しながら認識出来るのでしょうか。

投稿: paillette | 2010年6月 8日 (火) 20時30分

大自然の前に立つと人間のなんと小さな存在であることか。
嵐を突いて屋島に出陣し、追い詰めて壇の浦に平家を破った義経も、長い歴史の中のほんの一ページを語る物語に過ぎない。
paillette様の言われる、一人一人の人間が「途方もなく大きな宇宙の真理の中に組み込まれた個々の存在であること」を思うとき、所詮人間の営みは、観音の掌で踊る存在であることを思わずにはおれない。

投稿: Alps | 2010年6月 9日 (水) 10時04分

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