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2010年5月25日 (火)

中山道石畳

妻籠馬籠島崎藤村との関係で広く知られ年間を通して内外の観光客を数多く集めている。しかし馬籠へつづく落合の石畳は余り知られていない。

過日、中津川の人たちが其処へ案内してくれた。勿論馬籠や妻籠がその行に入ったのは当然のこと。Img_9890 中山道の宿場落合と馬籠との間にある十曲峠(じゅっきょくとうげ)の坂道を歩きやすいように石を敷き並べた道。
江戸時代の主な街道は一里塚をつくり並木を多く植え制度化しその保護に努めたが、石畳には余り処置が施されなかった。そのためこの石畳も一時は荒れるに任せていたが、地元の人たちが勤労奉仕で原形を復元した
途中には矢張り地元の老人たちの奉仕で、昭和51年に植えられた「なんじゃもんじゃの杜」がある。「なんじゃもんじゃ」の正式名は「ひとつばたご」という古世代の依存木と記されている。道の辺に蝮草が咲いていた。

中山道が出来たのは寛永年間であるが、石畳が敷かれたのは何時ごろか不明と言われる。
文久元年皇女和宮の通行と、明治天皇行幸の時に修理したが、この時石畳に砂を撒いて馬が滑らないようにしたことが記録に残っている。

馬籠や妻籠は週日とは言え賑わっていた。韓国や中国からの観光客が多いのは、観光スポットの最近の風景と見受けた。

馬籠は平成の大合併で、中津川に編入され岐阜県になった。
案内してくれた中津川の俳人たちは一様に「島崎藤村は矢張り信州の人ですよね」と言っていたのが印象的だった。

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