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2010年4月30日 (金)

些細なこと

家の近くに浜松市立H小学校がある。
時々散歩する時にその校庭の入口に立ち寄る。

28日の夕方寄った時、何時も見かける白い杭が見当たらない。確か小学校の緯度・経度が記されている筈だ。
偶々校庭をずっと見回り終えて戻って来た、若い女の先生がいたので聞いてみた。
「此処に白い杭が立っていた筈ですが知りませんか」
「済みません。私は新任でこの学校へ来たばかりなのでよくわかりませんが、教頭がまだ居ると思いますので聞いてきます」
彼女は小走りに校舎の中へ消えた。

暫くして男の先生が白い杭を抱えて出てきた。
「私はKと申します。お尋ねの杭はこれだと思いますが、下がこのように腐ってしまってこの間の風で倒れてしまったので補修しようと思って保存していた所です」

その杭には
  北緯  34°45′57"
  東経 137°43′52"
  海抜 53m
と書かれていた。

10cm角位、高さ1m程の白杭。
K先生は記録用の紙と鉛筆まで持ってきて下さった。
「この杭は児童教育用ですが、関心を持って頂いて有難う御座います」と先生は言われた。1,2分会話して別れた。

最近は日本語の乱れや、思いやりの心のかけているのが気になるが、この若い女の先生や、K先生と些細な事に就いて、一寸会話をしただけだが何か気持ちが和み、こんな先生に教わる児童は幸せだと思った。

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2010年4月29日 (木)

瀬戸大橋

お寺さんの企画で四国霊場88ケ所の巡拝をすることになった。
浜松から新幹線で岡山まで行き、乗り換えてマリンライナーで瀬戸大橋を渡って高松まで。以後は霊場巡拝専用の業者のマイクロバスで巡拝する。全部廻るのには何回かに分けて行く要があるが、取り敢えず今回は2泊3日の旅。
因みに浜松から岡山までは「ひかり」で2時間40分、岡山高松間は55分。

今度の旅行の楽しみの一つは瀬戸大橋を昼間の明るい時に渡ることである。
嘗て出張で松山へ数回渡ったことがあるがその時は、この橋は勿論本四架橋は1本もなく、専ら宇高連絡船を使ったものだが結構旅情が楽しめたものだ。
その後、長年四国とは縁がなかったし、勿論瀬戸大橋を渡ったことは無い。

しかし数年前に友人夫婦と大阪から別府へ関西汽船で渡った時、その橋の下を船で通った。瀬戸大橋の下を通った時は夜だったので、橋を支える鋼索にライトが点されていて星の行列のように美しかった。その思い出の橋を今度は電車で通る。世の中の変貌を目の当たりにする想いがある。
写真は電車の窓からの景で、島や船それに空や海が美しい。
PhotoWikipediaによると『瀬戸大橋(せとおおはし)は瀬戸内海を跨いで本州と四国を結ぶ10の橋の総称であり、本州四国連絡橋のひとつ。

1978年の着工から9年6ヶ月を経て1988年4月10日供用開始され、総事業費はおよそ1兆1338億円である。

塩飽諸島の5つの島の間に架かる6つの橋梁と、それらを結ぶ高架橋により構成されており、橋梁部9,368m、高架部を含めると13.1Kmの延長を持つ。これは鉄道道路併用橋としては世界最長である。橋梁は吊り橋・斜張橋・トラス橋の3種類を併設。

橋上部構造は上部が4車線の道路(瀬戸中央自動車道)、下部が鉄道(JR四国本四備讃線(瀬戸大橋線))の2層構造となっている。用途が2通りあることから「鉄道道路併用橋」と呼ばれている。下部の鉄道は新幹線・在来線合わせて4線を敷設できるようになっているが、現在は在来線用に2線分しか使われていない。なお現在は暫定的に新幹線側、在来線側のそれぞれ中央寄りに1本ずつ引かれる形で、中央部に2線が敷設されている』と、詳しい。

こんな橋を造る工法の発達は素晴らしい。しかし瞬間的に通り過ぎる景色は春ともあって美しいが、矢張り何かが足りない。時間的には随分便利になったが旅情が乏しい。旅行目的が違うので止むを得ないが、便利さの代償であろうか。

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2010年4月16日 (金)

春の雪

浜松では既に桜の花も散って、日差しも一辺に春めいてきた。桜前線も北上しつつある。コートを脱いで軽装の女性の姿が多くなってきた。

信州も今、杏の花盛りである。長野市久保寺観音のお祭りももう直ぐで、寺の境内もその準備が整っている。
信州の山の落葉松も芽吹きを間近に控えて日ごと色を深めつつある。

そんな4月15日の朝、宿舎の窓外をふとみたら一面の銀世界になっていて驚いた。

Photo お彼岸頃の雪は何度も経験しているので、さして驚かないが、4月中旬の雪には吃驚した。何年か前の3月31日、同じ山小屋で、春の雪に見舞われたことがあるが、それ以来のことである。
帰路、軽井沢は濃霧がかかったよううに吹雪いているのを車窓から見た。

春の雪は日が射さなくても半日もすれば綺麗に消えてしまう。雪国生まれの私にとってはこのような雪景色は懐かしいものではあるがそれは一時的感傷に過ぎない。この季節にこの雪は異常である。
土地の人も異常気象と言う。特に農家にとっては大問題で雪景色などと呑気なことを言っている場合では無い。農作物などへの打撃も深刻で、折角咲いた杏の花もこれでは台無しだ。

異常気象は日本だけではない。そう言えば、「バルセロナの雪」も異常だった。

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2010年4月 5日 (月)

バルセロナ点描

バルセロナで見かけた風景点描(写真は何れもクリックで拡大します)。

(左)街中を走る2輌連結のバス。地下鉄と併せて街の主たる交通機関となっている。
(右)観光バス。2階建てで2階は屋根の無い観光専門のバス。この日は2階の客は寒そうだった。ついでながら写真右下隅に黄色と黒のツートンの車が走っているが、これはタクシーで全てこの色に統一されている。
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余談だが街を歩く女性の白ズボン姿が多かった。
嘗て1960年代、ドイツへ出張した時のパンタロン姿、同じ頃イギリスでミニスカート姿が目立ったが間もなく日本に上陸したことが頭を過ぎった。

マンホールの蓋と、サンドイッチ・マン。何処も同じサンドイッチ・マンに一種の哀愁を感じた。
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デパートには、ダリの時計を売っているところがある。あの独特な形の時計は日本で余り見かけない。ダリは内戦時、フランコを支持したというので戦後、信念を貫いたピカソと比較され、スペイン人の間の評価は、もう一つと言う。

スペイン内戦の弾痕も生々しく残されている(写真左)。
又、旧闘牛場跡もショッピング・モールに改造されつつあるが、外観は昔のままに残す事が義務づけられている(写真右)。
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建物の各所に見事な彫刻が見られた。
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食べ物も珍しいもの、美味しいもの色々。
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バルセロナは地中海に面している。始めてみる地中海には何か親近感を感じた。
青い海、穏やかな波音、数多の舫船。そして何百もの帆柱どれも郷愁を感じる風景だ。

Photo_13 Photo 
帰国は、往路と同じ FINN AIRで、往路と逆のコースを取って帰る。

9日間の旅というと矢張り旅疲れもあり、機内ではジェット・エンジン音を子守唄のように聞きながら数時間横になった。
FINN AIRから、洗面用具や安眠用具一式の入った、小さな綺麗なバッグ(バッグinバッグを含む:写真)をプレゼントされた。

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2010年4月 4日 (日)

ガウディとモデルニスモ建築めぐり(2)

カサ・ビセンス

Photo

Photo_2 Photo_3 
ガウディが手がけた始めての住宅建築と言われ、ムデハル様式と呼ばれる様式を自己流にアレンジしたものという。建築には化粧タイルが多用され、レンガとタイルの組み合わせが見事。現在は個人住宅として使用しているので内部の見学は出来ない。

グエル邸別邸Photo_4 
Photo Photo_2
写真上はグエル邸別邸の通常「ドラゴンの門」と呼ばれる鉄製の門で、龍が大きく口を開けている模様が圧倒的な迫力で表現されていて見事である。観光客は此処で大概写真を撮る。
下左の写真は別邸の外観、右は特にタイルとレンガを組み合わせた外壁で、カサ・ビセンス同様にムデハル様式である。レンガとレンガの間に鏤められた陶器片が異彩を放っている。

カサ・ミラ
1jpg ガウディの造った住宅兼高級アパート。
外壁は彩色せず、切り出したままの石を使ったため「ラ・ペドレラ(石切場)」と呼ばれる。波打つような外観は、地中海を表現したものと言われる。バルコニーの欄干も美しい。

カサ・バトリョ と カサ・アマトリェー
Photo_3 写真の中央向かって右は、カサ・バトリョ、同左はカサ・アマトリェーである。
カサ・バトリョはガウディが1870年代に建てた邸宅を改装したもので、青や緑のガラス片や円盤型のタイルで装飾されていて光りを浴びて生き生きと輝く。

カサ・アマトリェーはカサ・バトリョ改築を手がけたガウディがこの建物を相当意識していたと伝えられる。色鮮やかな切り妻屋根と浅彫りのレリーフを用いた壁面が美しい。

Photo_4 カサ・ビセンスからグエル邸別邸に至る間の道の辺にガウディ像が建っている。

ブロンズ像は落ち着いた色彩を呈していた。

朝から充実した見学をし、1時前後に入ったレストランの昼食も美味しかった。その後、街中散策を楽しんで、心地よい充実感と共に夕方ホテルへ戻った。矢張り「旅は道連れ」。

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2010年4月 3日 (土)

ガウディとモデルニスモ建築めぐり

モデルニスモとは「新しい芸術」を意味するスペイン語で19世紀から20世紀初頭にかけてカタルーニャ地方で興った芸術運動のことを言う。中でも建築分野は活動が盛んだったバルセロナには、現在も数多くのモデルニスモ建築が残っている。

その中で特に目を惹くのは、奇才ガウディの作品である。『アントニ・ガウディは、1852年カタルーニャ南部レウス郊外に生まれ、16歳の時建築家を目指してバルセロナへ移り住み、後グエルに認められて以降数多くの傑作を生んだ。1926年没。』と資料にはある。

その足跡を尋ね、併せて他の有名な建築物も見学する。
今日の予定は①カタルーニャ音楽堂、②凱旋門を遠望、③サグラダ・ファミリア、④カサ・ビセンス、⑤グエル邸別邸、⑥カサ・ミラ、⑦カサ・バトリョとカサ・アマトリェーを見学する。
朝8.30にホテルを出て上記の見学を、比較的ゆっくりと見学して16.00にはホテルへ戻った。

カタルーニャ音楽堂

Photo_3 Photo_4 Photo_5

Photo_6 Photo_7
モザイク画や色彩タイルが多用された、モンタネールの作品でモザイク画の下には作曲家の胸像が並んでいる。

凱旋門遠望
サグラダ・ファミリアへの道筋に凱旋門がある。パリの凱旋門とは比ぶべきもないが美しい姿を見せていた。傍までは行かなかったが観光客がしきりに撮っていた。
Photo_9 Photo_10

道には所々にごみ籠が置かれ、歩道は至極綺麗だが煙草をぽい捨てする光景もあった。しかし清掃車が活躍しているのでこのように美観を保っている。左の写真は凱旋門の遠望、右はごみ籠である。

サグラダ・ファミリア

Photo_11 Photo_12 サグラダ・ファミリアとは「聖家族」を意味する。日本語では聖家族教会または神聖家族聖堂などと呼ばれる。

ガウディが生涯をかけた大建築がこの建物で、彼が1883年に建設を引き受けてから既に100余年を経ているが尚、完成までは今後100年くらいはかかると言われている。しかし工法の進歩に伴ってその半分くらいの年月で完成するのではないかとも言われる。写真に見るように大クレーンが活躍中である。

いずれにしても日本人からすると桁外れの年数である。上の写真は「生涯のファザード」下は「受難のファザード」と呼ばれる入口である。
生涯のファザードはガウディが存命中に完成した唯一のファザード。
受難のファザードはキリストの苦しみを表現したファザードといわれる。

今回は内部まで見るには一寸時間的に無理なので周囲をじっくり見ることにした。それにしても楽器を奏でる天使の像を含めた彫刻群は見事である。

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2010年4月 2日 (金)

カタルーニャ美術館

今日(3/9)は、カタルーニャ美術館を訪れた。昨日とは打って変わって上天気になった。

カタルーニャ美術館(Museu d'Art de Catalunya)は、モンジュイックの丘の上の、国立宮殿(パラウ・ナシウナル)内にある。1936年にはスペイン内戦の混乱を避けるため、コレクションは一時疎開、フランスのパリなどに送られ、第2次大戦後に旧カタルーニャ美術館が再オープンした。Photo_2 建物の外観も美しい。老人や脚力の衰えた人たちのために、丘の上へは何台かのエスカレータを乗り継いで行けるようになっている。

この美術館には、カタルーニャのロマネスク美術ゴシック美術を展示している。今日はロマネスク美術を見る。
特に11世紀から13世紀のロマネスク美術は、ピレネー山脈周辺の修道院や教会内部の壁画、彫刻を運び込んだ世界屈指のコレクションと言われる。
写真はその一部分を示す。

Photo_3 なかでもタウイのサン・クレメンテ教会から移管された壁画「栄光のキリスト」は最高傑作と言われ、簡素な構図と強烈な色彩対比が印象的である。
Photo
入口で日本語解説のイヤホーンを求める。展示品の内、此処だけは見ておいたほうが良いという所を選って日本語で解説してくれるので助かる。美術品に対する知識の薄さをこの解説が補ってくれるのが有難い。
Photo Photo_2
Photo_7
それでも、停まっては見、見ては歩くのは案外疲れる。写真は展示作品のうちの一部(写真はクリックで拡大します)。

余談だが、ハノーバー・メッセにも何回か出張した事がある。そんな時も展示機械類の性能・精度・生産性等を調査しながら会場を2,3日歩き回った。歩いては停まり、停まっては歩いたが若い時でも結構疲れた事を記憶している。

それと何時も思うことだが、例えば台湾・台北の故宮博物館を見ても、フランスのルーブル美術館を見ても、見足りないので後日改めて、ゆっくり見るために、何時か来たいものだとその時は思うのだが今以て果たせないでいる。今日もそんな感じで見終わった。

丘の上から見下ろすバルセロナは又美しい。昨日の雪が向かいの山肌にくっきりと残っている。Photo_4

写真はスペイン広場を通してバルセロナの街を見たところ。街並みの景観を保存するために改装するときも通りに面した所は変更しないように定められているので、歴史を刻む街並みが美しく保存されている。

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2010年4月 1日 (木)

バルセロナの雪

バルセロナを訪れる人のお目当ては人夫々。しかし最大公約数的に見れば、ゴシック地区のカテドラルとその周辺、ガウディ建築の集大成であるサグラダ・ファミリア、奇才ガウディ とモデルニスモ建築めぐり、そして美術館めぐり等が目玉になる事は間違いない。1_2  

ヨーロッパに於ける建築様式は、時代によって変遷するが、12世紀から14世紀頃のロマネスク様式からゴシック様式、更にルネサンス様式、ネオゴシック様式、バロック様式、ロココ様式等の変遷があり、その間にはビザンチン様式もあって夫々の特徴を持つ。

写真はカタルーニャ・ゴシック様式の傑作であるカテドラルの内部。3廊式の重厚な造りで、主祭壇の下にある地下聖堂にはバルセロナの守護聖女サンタ・エウラリアの石棺が安置されている。
色々の形、色々の色をちりばめたステンドグラスが柔らかい光を通して美しい。
信者らしき人たちが小さな燭火を上げて祈りを捧げている。その集光が暗い堂内を明るく照らしていた。
Photo 写真は翌日(3/9)晴れ上がった日に撮り直したカテドラル(現在修理中)。

途中から降り出したが段々ひどくなってきた。おまけに春雷まで加わった。付近の王の広場にも雪が激しく降っていた(写真)。スペイン内乱の傷跡を語る弾痕が生々しく過去の人間世界の愚かしさの一面を浮かび上がらせていた。

1jpg 聞くところに拠ればバルセロナの今頃のこんな雪は30年ぶりだと言う。そして後で聞いた話だが昨日行ったRupitは、2mの積雪になったと言う。1日違いでバルセロナへ戻れなくなった可能性もあった。

外国への旅は異質性への探求とその確認の旅でもある。
嘗て何回かの出張の都度思ったことがある。3日も一緒にいれば人間の本性がなんとなく滲んでくるものだ。優しさ、思いやり、利己的、冷たさと言ったものが自ずと感じられるのは経験した人にはわかる。

暗くなってきて雪は止め処もなく降り続き、道はシャーベット状になり、一部は水になって流れている。タクシーを呼んで帰ろうと思ったがタクシーまでは遠いと言う。シャーベットと流れる水をよけながら、滑らないように夜の道をメトロまで歩く。
土地の人が驚くほどの雪に出会ったのも旅の思い出の一つ。でも此の状況だけは楽しい思い出ではない。旅には予期しない事が起こるものだがホテルへ入った時には、今日の総歩数は19800歩。老人にとっては心身共に冷えた。中まで濡れた靴をヘアードライアーで乾かした。

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