或る年賀状
信州の在に私の従兄弟で篤農家と誰もが認めるK.H.さんが居る。彼からの今年の年賀状は、日頃の心情が綿々と綴られていて心を打たれた。
(K.H.さんに就いては、死生観・生きる・忘れないにも既に書いた)
『「それでもまだ信じていた。戦いが終わったあとも。
役所を 公団を 銀行を 私たちの国を。
あくどい家主でも 高利貸でも 詐欺師でも ない。
おおやけ というひとつの人格を。
「信じていました」 とひとこといって 立ちあがる。
もういいいのです、私がおろかだったのですから。」
昨年暮の信濃毎日新聞にのった詩人・石垣りんさんの1970年作「女」という作品です。この詩が2010年の現在も現実味をもって社説に述べられる日本の今日が悲しい。
自分でも不思議に思っている程愚直に生きて88年。振り返ると凡そ100年前の昭和大恐慌の中で生まれ育ち、そして今、出口の分からない平成不況の中で生涯の終りも近い日を暮らしている。果して88年の人生は生き甲斐があったのか! 社会的に価値観をもって評価できるのか? 先世代の人々から歴史を引き継いで、次世代の人々に平和と幸せを引き渡すことが出来たのか? 迷悟の中での毎日を暮らしている。
嘗て青春の日々の中で生意気にも「人間は環境の所産である」「環境は人間が創出するものである」等、難解極まるヘーゲルやカントの哲学を論じたり、或いは「葦折れぬ」という反戦の手記を残して自殺した女子高生の是非を論じあったり…然し結果的には「大東亜戦争」の兵役3年半の戦陣生活の末、敗戦の挫折を味わってから、多くの若者の生命を失い大勢の日本人の殺戮の犠牲の惨禍を体験して「生き残った者の責任」を強く感じて、自己の人生観を大きく変えて今日まで愚直を貫いて生きてきた。
こんなことを書いたのは始めてだと思う。最近つくづく日本人というのは人間として生きる信念をいとも簡単に変えて世渡りする集団だなあと思うようになりました。1945年8月15日を「終戦記念日」として割り切って過去と将来を器用に判断して生活出来たのですから…。そして60余年、今日の日本がどの様な国柄になっているのか、物質の豊富さの中で何を失いつつあるのか殆ど自覚が無く、今日と明日を振子の様に考えて安定して幸せになれると思っているらしい?。
家庭崩壊を「核家族」と名付けて我慢したり、地域社会の堕落を「自由主義」が定着したからだと言訳したり、日本人一人の借金が1000万近くなっている不況を子や孫が生活する将来社会に遺産として残してやったり、親たちが苦労しながら子弟を高校、大学を卒業させても就職率が50%しかない国内産業の衰退…。
明治維新改革や敗戦から立ち直ろうと一億の人々が頑張りぬいた戦後復興の時と比して、今日一番欠けているのは人々の意志と根性。
地球と人類の破滅から救う道は?論文を書く心算は無いが弱い人間はどこかに悲鳴をぶつけたくなるものだと思います。
人々が生きるために一番大切な農産物の自給率も、施政者の不明から落下速度を早め今や40%以下に。そして今日本に現れている農業の統一無き珍現象、曰く、農業法人(但し利益を求め輸出食品を心がけ)、企業百商(土建業者の転業主体)、農業遊人(定年退職して都会疲れした年金豊かな人達)、農業協同(グループを組んで地域自立に)、道の駅地産(地産地消を中心に)。国の農業政策に基いて行われている農業集団ではない。自立して農産物を作り加工、販売を目的として試行錯誤しながら踏み出している全国的に散発している。国の農政は何をしている?。
炬燵にしがみついている毎日なので、訪れる若い連中が来ない暇を利用して書きました。
今年からもう年賀状を書くことを止めましたので…読み返す事も面倒なので走り書きのまま。気に入らない所や間違っている所は赤線を引いて送り返して下さい。』
声を出して読んでいると、何かがこみ上げてきて声にならなくなった。
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