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2009年11月 2日 (月)

晩秋2句

俳人協会・俳句文学館発行、平成21年11月俳句カレンダーの巻頭2句。
根岸善雄氏の句と鈴木榮子氏の句。夫々ほんだゆき氏と長浜徳三氏の解説がある。

落葉松の空のうすずみしぐれけり  根岸善雄

 『降ったり止んだりの時雨は、人の心まで寂々と薄墨色にする。題材の落葉松はしばしば氏の詩世界に登場するが、春の目の覚めるような芽吹き、晩秋の金色の針のような散葉、そして冬木の無一物の気品。落葉松は、氏にとって生の原型なのかもしれない。
 秋櫻子最晩年の弟子の一人であったという氏の作品には、その誇りが、こだわりが確固としてある。それは時代に流されない不易の意志の下に紡ぎ出される作品に顕著である。
 掲句、落葉松の素描線とこまやかな翳と。ふくよかな筆法でありながら、孤独の入り混ったかなしびのようなものが垣間見える。
 詩歌の発想は作り手の美意識から生まれるものだ。題材を選ぶとき、言葉を選ぶとき、それが如実に顕れる。そして立ち上った作品は、作者そのものの姿となる。
 秋櫻子一筋に研鑽を積まれた氏の美意識は、俳壇の根幹として貴重である。(ほんだゆき)』

文化の日万年筆は名を変へず   鈴木榮子

『第4句集「繭玉」所収。
 作者はペリカンとモンブランと国産のパイロットの万年筆を愛用している。常に確りした読み易い字で書く原稿は、評判が良い。
 その万年筆だが、何故そういう名で呼ぶようになったのか、本当の所は解らない。明治になって輸入された頃は「万年ふで」と言っていたが、じきに「万年ひつ」と言うようになった。
 古来「万年」とは長持ちする、丈夫なもの、亀は万年など長寿を愛でる意味に使われてきたのである。
 戦後ボールペンや筆ペンが出回り、さらにパソコンの時代になり、万年筆という名でいいのかと一部の声があったが、万年筆そのものは勿論、その名前にも憧れがあったので何の違和感もなく愛着が持たれてきた。こういうことが文化なのであろう。この句「万年筆は」が主語になって比喩的に詠んでいるのである。
 私たちの大先輩、西山誠氏の句に〈ペンはオノトインキはアテナ文化の日〉がある。「榮子さん、いい句ですよ、その通りです」と微笑んでおられる事であろう。(長浜徳三)』

上記の俳句とは関係ないが、触発されて万年筆に就いて書き加えると、私も万年筆に固執する方である。昔は父が買ってくれた「パイロット」一本やりだったが、今は私の宝物として大切に机の引き出しに納まっている。
代わって、何回かの海外出張のつど買ってきた夫々何本かの「モンブラン」と「パーカー」を愛用し、毎日交互に使い分けている。インクはカートリッジは一切使わず、スポイト方式で、使用インクは「ロイヤル ブルー」に限定している。

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