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2009年11月24日 (火)

立体花博

9月19日から浜松市で開催されていた、「浜松モザイカルチャー世界博浜名湖立体花博2009」は、11月23日で閉幕した。会期は66日間。当初の来場目標は80万人だったが、86万1300余人の来場者があったという。

モザイカルチャーは、トピアリーのように植物を刈り込んで作るのではなく、デザインにあわせて作った骨格に植物を植え込んで作るもので、ヨーロッパで古くから楽しまれているもの。形も大きさも自由自在で配色もしやすいため、20世紀末には都市景観を彩る装景技法として定着した。2000年モントリオールでの第1回世界博を皮切りに、3年ごとに各国で開催され、今回はその4回目となる。
Img_8699 開催された場所は浜松市のフラワー・パークで、世界25ケ国と日本各地域からの出品があり盛況裡に終了した。

出不精で余り興味もなかったが、気まぐれ日記さんの、「浜松モザイカルチャー世界博」と「モザイカルチャー2」の記事に触発されて会期末も近い18日に重い腰を上げた。と言っても14時頃に出かけたので、駐車場と会場を結ぶシャトルバスに乗って会場に着いたのは15時を廻っていた。日暮れの早い今の時節では遅い出かけであった。会場内の出品内容は上記気まぐれ日記さんの記事に詳しい。

この中で目を惹いたのは、カナダ・モントリオール市出品の「木を植えた男」で、出品作品の中で最高栄誉賞に輝き、又、来場者人気コンテスト1位にもなった。
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本作品の解説に依ると、『1987年モントリオールの映画監督によるアカデミー賞短編映画受賞作「木を植えた男」は、寛大で不屈の羊飼いエルゼアール・プフィエが、一人、不毛の地を命溢れる緑の森に蘇らせる物語で、荒地は石の部分で表現され、男が植える楓が描く虹で希望と再生が表現されている。「虹」と「楓」は秋に森が深紅に染まるケベックのシンボルでもある。野原を走る馬が自由と命の復活を表している。』とあり、情緒に富んだ作品だった。
本作品に使った植物の色と、偶々訪れた時の西日と調和して、「木を植えた男」を見事に表現していて感銘した。
表面的な表現に陥りやすいこの種の作品の中で、この作品は深みがあり、余韻を感じさせ、心に沁みるものがあった。

国際モザイカルチャー委員会のリズ・コルミエ理事長は「浜松は素晴らしい成功を収めた。日本におけるモザイカルチャーのリーダーの位置づけを獲得した」と語ったと新聞は報じていた。

次期開催地は2012年、カナダのモントリオール市。

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2009年11月11日 (水)

林 翔氏

長野市出身の俳人である「林 翔氏」が11月9日亡くなった。95歳。
氏は大正3年長野市に生まれ、5歳で上京。国学院大学卒。昭和15年水原秋桜子に入門。25年「馬酔木」同人。45年より「沖」同人を兼務。句集「和紙」により俳人協会賞受賞、「光年」により詩歌文学館賞受賞。評論集に「新しきもの・伝統」などがある。市川市在住。
俳誌「馬酔木」「沖」最高顧問、俳人協会顧問。多くの優秀な俳人を育てられた。
氏は、「馬酔木」「沖」の今年の各8月号まで投句され、命尽きるまで俳句に生き、俳句を愛し続けた俳人だった。ご冥福を祈ります。


本年の俳誌「俳句1月号」に新年詠8句が寄せられている。

     天女の笑み
 完円とならむ初日の沖雫
 久しぶりの友と相見て初笑ひ
 風花は天女の笑みよおはやうさん
 松とれて未だ在すは風邪の神
 八日の賀状これにて正月終り候(そろ)
 舞ひ遊ぶ落葉の本音聞かましや
 篁に小春のこころそよぎ入る
 四捨五入せば百歳と春うそぶく
             (1月24日、満95歳)

投句最後の「馬酔木8月号」には次の句が寄せられている。

     向日葵
 人に舗装路蚯蚓に焦熱地獄かな
 夫(せ)仰げば妻(いも)も仰げり梅雨の空
 蜘蛛の巣ごしに軽く拝みて地蔵尊
 向日葵に染まりしかともわが膚
 蕾解く少し寝坊の朝顔も

氏の俳句は、自由奔放かつ軽妙に詠い、心を揺るがすような深い味わいと、若々しく爽快感を感じる。
馬酔木千号記念「馬酔木俳句集」(水原 春郎編)に寄せられた氏の句は、

 ふと踏んで瞬の童心霜柱
 われも亦色なきをとこ秋の風
 散り残るもみぢ一葉に燦たる陽
 寒景に対へる画布に春の色
 毬栗蹴って瞬の童心了りけり
 グノー聴けば波郷を憶ふ霜夜かな
 和紙といふ真白きものよ冬用意
 朝日さし今丹頂の晴姿
 一木が大空間や橅黄葉
 裸木と言はじ春光の薄ごろも
 日々散歩日々踏む木の実数知れず
 九十回仰ぎし初日褪せもせぬ

また「平成秀句選集」(角川学芸出版刊)に寄せられた氏の句は、

 今日も干す昨日の色の唐辛子
 一花だに散らざる今の時止まれ
 胡桃割るこきんと故郷鍵あいて
 冬木かげわが影なべてあるがまま
 光年の中の瞬の身初日燃ゆ
 やはらかに生き熱く生き雑煮餅
 吸へるだけ吸ふ朝の息さくら満つ
 打水や石への愛は日に一度
 耳鳴りは宇宙の音か月冴ゆる
 この若き心を映せ冬鏡
この句の後書に、「俳句は、自分の心と対象物とがぶつかり合った瞬間に生まれる感動が、有季定型の短詩となったものである。私の代表句というべき作品は、すべて右の信条から生まれた。」と述べている。

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2009年11月 8日 (日)

飛騨古川

飛騨古川もご多分に漏れず観光の波が押し寄せている。しかし嬉しいことには、土地に伝わる伝統や文化が根強く息づいている。

その一端が和蝋燭である。
『江戸時代から続く「生掛(きがけ)和ろうそく」の老舗を守る三嶋順二さんは七代目。 全国でも和ろうそくを手作りで作っているお店は10軒もなく、その中で全て手作りでつくる店は、飛騨市古川町の「三嶋和ろうそく店」だけだと言われている。
・生掛(きがけ)とは、「混じりけのないものからできた」という意味で、
・掛けるとは、「幾度も幾度も塗る(塗りつける)、重ねる」の意味で、転じて和蝋燭の用語としては、「和蝋燭を作る」という意味でも用いられる言葉。
・三嶋和ろうそく店の「生掛和ろうそく」は、原料の全てが天然の植物性。さらに全工程が手作業。匠によって受け継がれている本物の「生掛和蝋燭」である。(ネット情報)』。
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写真は三嶋さんが朱色の蝋燭を作っている現場で、鍋の中の蝋は60~70度の蝋でこれに白い蝋燭の一端をつけて逆にして垂れさせると見る見るうちに朱色の蝋燭が出来る。蝋燭つくりの匠である。

店には各種の蝋燭を展示即売している。工房には屋根の上に気抜口が付いている。、
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近くの円光寺には若山牧水の歌碑がある。
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「幾山河こえさりゆかば寂しさの
     はてなむ国ぞけふも旅ゆく」
で知られている牧水は古川を次のように詠っている。
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「ゆきくれてひと夜を宿る
ひたのくにの
古川の町に時雨ふるなり」

更に付近には、清冽な水を湛えた瀬戸川が流れている。堀とも川ともいえる狭い水路には、緋鯉や真鯉がゆったりと泳いでいる。
付近は白壁の蔵が並び又黒板塀の家が趣を添えている。

此処は又酒の産地でもあり、杜氏の像が道の辺に建っていて新しい杉玉が吊るされているのも風情がある。

親鸞ゆかりの本光寺も付近にあり、女工哀史にからむ野麦峠文学碑が建っている。

一度は訪ねたかった街に吟行して新に詩情をかき立てられた。

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2009年11月 2日 (月)

晩秋2句

俳人協会・俳句文学館発行、平成21年11月俳句カレンダーの巻頭2句。
根岸善雄氏の句と鈴木榮子氏の句。夫々ほんだゆき氏と長浜徳三氏の解説がある。

落葉松の空のうすずみしぐれけり  根岸善雄

 『降ったり止んだりの時雨は、人の心まで寂々と薄墨色にする。題材の落葉松はしばしば氏の詩世界に登場するが、春の目の覚めるような芽吹き、晩秋の金色の針のような散葉、そして冬木の無一物の気品。落葉松は、氏にとって生の原型なのかもしれない。
 秋櫻子最晩年の弟子の一人であったという氏の作品には、その誇りが、こだわりが確固としてある。それは時代に流されない不易の意志の下に紡ぎ出される作品に顕著である。
 掲句、落葉松の素描線とこまやかな翳と。ふくよかな筆法でありながら、孤独の入り混ったかなしびのようなものが垣間見える。
 詩歌の発想は作り手の美意識から生まれるものだ。題材を選ぶとき、言葉を選ぶとき、それが如実に顕れる。そして立ち上った作品は、作者そのものの姿となる。
 秋櫻子一筋に研鑽を積まれた氏の美意識は、俳壇の根幹として貴重である。(ほんだゆき)』

文化の日万年筆は名を変へず   鈴木榮子

『第4句集「繭玉」所収。
 作者はペリカンとモンブランと国産のパイロットの万年筆を愛用している。常に確りした読み易い字で書く原稿は、評判が良い。
 その万年筆だが、何故そういう名で呼ぶようになったのか、本当の所は解らない。明治になって輸入された頃は「万年ふで」と言っていたが、じきに「万年ひつ」と言うようになった。
 古来「万年」とは長持ちする、丈夫なもの、亀は万年など長寿を愛でる意味に使われてきたのである。
 戦後ボールペンや筆ペンが出回り、さらにパソコンの時代になり、万年筆という名でいいのかと一部の声があったが、万年筆そのものは勿論、その名前にも憧れがあったので何の違和感もなく愛着が持たれてきた。こういうことが文化なのであろう。この句「万年筆は」が主語になって比喩的に詠んでいるのである。
 私たちの大先輩、西山誠氏の句に〈ペンはオノトインキはアテナ文化の日〉がある。「榮子さん、いい句ですよ、その通りです」と微笑んでおられる事であろう。(長浜徳三)』

上記の俳句とは関係ないが、触発されて万年筆に就いて書き加えると、私も万年筆に固執する方である。昔は父が買ってくれた「パイロット」一本やりだったが、今は私の宝物として大切に机の引き出しに納まっている。
代わって、何回かの海外出張のつど買ってきた夫々何本かの「モンブラン」と「パーカー」を愛用し、毎日交互に使い分けている。インクはカートリッジは一切使わず、スポイト方式で、使用インクは「ロイヤル ブルー」に限定している。

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2009年11月 1日 (日)

立待岬

S誌の全国俳句大会が今年は函館で行われた。1ケ月程前のことである。
年に一回行われるこの大会は、開催地を毎年変えるので、各地へ出かける楽しみがある。

前回、函館へ行ったのは2005年6月のことで、富良野から函館へ行く途中で出会った或る老夫婦の思い出や、トラピスチヌ修道院を含む函館のことを今も鮮明に思い出す。特にトラピスト修道院で会って、色々お話を伺った小川神父さんの温顔は今も昨日のことのようだ。そして今度もまた同神父さんとの再会を果たした。

20091002_2 前回は立待岬へ行くスケジュールは組んでいなかったが、何時かは行ってみたいと思っていた。
そして今度の旅で、待望の岬の先端へ立つことが出来た。しかし、生憎当日は小雨のぱらつく日だった。
翌々日は、多少雲もあったが観光日和になり、出直しの気分もあって、再度晴れた立待岬を訪れた。

立待岬(たちまちみさき)は、北海道函館市住吉町にある、津軽海峡に面した岬で、函館山の南東に位置する。津軽海峡につきでた断崖上にあるため展望が良く、この日も下北半島を望むことが出来た。また夜には津軽海峡上のイカ釣り漁船に漁火が見られると言う。、付近には与謝野鉄幹・晶子の歌碑もある。
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写真はその断崖の一部である。付近は既に「秋のこゑ」に包まれていて、薄の穂が風に揺れ、玫瑰(はまなす)の実が赤く色づいていたのが印象的だった。
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岬というのは、其処に佇むと何か感傷的になる。薄や玫瑰の実もそのような雰囲気を味わわせてくれた。

ついでながら、函館の夜景は、偶々満月の日とも重なって、素晴らしい眺望だった。

前回の函館訪問の時、五稜郭は雨だったが今回は素晴らしい天気で五稜郭タワーからの俯瞰は又素晴らしかった。
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写真には、五稜郭タワーの影も長く尾を曳いている。
榎本武揚や土方歳三の時代を回想しながらしばらく立ちつくした。

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