« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

2009年7月29日 (水)

出羽三山

出羽三山とは月山羽黒山湯殿山の総称で、推古天皇の御代蜂子皇子の開山である。
芭蕉も「奥の細道」の中で次のように述べている。

羽黒山
六月三日、羽黒山に登る。図司左吉といふ者を尋ねて、別当代会覚阿闍梨に閲す。南谷の別院に舎して、憐愍の情こまやかにあるじせらる。四日、本坊において俳諧興行。
   ありがたや雪をかをらす南谷
五日、権現に詣づ。当山開闢能除大師は、いづれの代の人といふことを知らず。延喜式に、羽州里山の神社とあり、書写、黒の字を里山となせるにや。羽州黒山を中略して羽黒山といふにや。云々。
Img_7775
月山湯殿山
八日、月山に登る。木綿しめ身に引きかけ、宝冠に頭を包み、強力といふものに導かれて、雲霧山気の中に氷雪を踏んで登ること八里、更に日月行道の雲関に入るかとあやしまれ、息絶え身こごえて頂上に至れば、日没して月あらはる。笹を敷き、篠を枕として、臥して明くるを待つ。日出でて雲消ゆれば、湯殿に下る。(中略)
惣じて、この山中の微細、行者の法式として他言することを禁ず。よって筆をとどめてしるさず。
坊に帰れば阿闍梨の求めによって、三山巡礼の句々短冊に書く。
   涼しさやほの三日月の羽黒山
   雲の峰いくつ崩れて月の山
   語られぬ湯殿にぬらす袂かな
   湯殿山銭ふむ道の泪かな     曾良  』

羽黒山の国宝五重の塔や杉並木は、普段は森閑と静まりかえり、其の威容を誇っている。冬の景は又厳しい景を見せてくれるだろう。
Img_7819
Img_7854

写真上は、月山8合目からの景。高山植物が今を盛りと咲き乱れ、雪渓を指呼に見る。曇天のため、下界は庄内平野を一望するも、日本海は見えなかった。
写真下は、湯殿山登り口の大鳥居。湯殿山の入口に着いたときは、既に時計の針は17時を廻っていたので、入山を一旦断られたが、事情を話してとにかく登り口の大鳥居までは行くことが出来た。明日7月1日は山開きとあって、神主が山に向かってお祓いをし、また関係者と、丁度其処に居合わせた私たちも合わせてお祓いをして頂いた。

今度の出羽三山行きは、お寺さんの企画とあって、比較的お年寄りが多いので、なるべく歩く距離をすくなくする配慮と、多少経費負担の問題もあって、浜松から長躯、観光バスで出かけた。
従って1日目と3日目は目的地まで、トイレ休憩や食事時間や土産物の為の時間を除いて走るだけ。
2日目は丸1日掛けて目的の三山巡り。
宿泊は、1日目は鳴子温泉、2日目は日本海のすぐ近くの湯野浜温泉のホテルに泊る。ホテルの窓から直ぐ傍に横たわっている日本海を見たときはなんとも言えず懐かしかった。曇天のため海の色は濁って見えたが、とにかく胸を揺するものがあった。帰路、本来なら見えるはずの佐渡も雲の中。

今回の旅はかなり乗車時間が長く、お年寄りにとっては、強行軍だったが全員無事に帰浜した。

鳴子はこけしの産地。資料館で、縁起の良いこけしを見た。
Photo_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月25日 (土)

数字処理と現実対応

二人のピアニストさんの「日本の非理系風土」のブログ記事に触発されて1,2感じたことを述べる。

企業にとって、生産している商品にクレームが発生することは、大小の問題があるにせよ経営的には重要事項である。
例えば其の商品の生産時における不良発生率が10万分の1であったにしても、その10万分の1の不良商品を買った人からすると100%の不良である。たがが10万分の1ではないかと言うのは評論家のいう言葉である。

クレームは最大のセールス・チャンスと言った経営者が居た。良いことの報告は勿論だが悪いことの報告こそ大事であり、そのお客に真摯に対応することによって逆に、信頼を得、商機につなげることが経営につながると考える。

私もある時に、E商品にクレームが発生した時に、担当営業者と品質管理課長と共にお宅へ伺ったことがある。状況から予想される不良内容を考え、予想されるユニット部品を携行していたので、その場で交換をして正常に機能することが出来た。このお客さまは最高級のE商品を2台お持ちだったが、更に新しいモデルを買い足して頂いた経験がある。こちらの対応の速さと誠意を認めて頂いた結果で、クレーム発生を逆に商機に結びつけた例と考えている。

全く別な話であるが、今年の1月ごろ、NHK「ためして合点」という番組で入浴時の危険性を取り上げそれに就いて医学的解析をして推薦する湯温度や状況設定に就いて説明をしたことがある。数字に就いてはうろ覚えであり、間違っていたらエクスキューズであるが、これから述べようとする本旨は間違っていない積りである。

それらの医学的解析をした上で、事故人員数と入浴温度との関係に就いて数字を挙げて説明した。それを見ていておかしいと思ったことがある。
38度くらいの温度から47度くらいの温度までを横軸にし、縦軸に事故人員を記録した棒グラフである。
今まで入浴温度は42度くらいが適温とずっと聞いていたので、その番組に出演していたゲストも、当然その温度での事故は少ないものと考えていた。しかしグラフは42度の人員が圧倒的に多く47度の人員が一番少ないことを示していたので、ゲストも一様に驚いていた。
大体47度などと言う高温に入る人がいるのかと耳を疑ったがグラフで見る限りではそのような人がいるのは確かのように思えた。

「それだけ見たら47度で入浴する方が42度で入浴するより安全であるかのごとき錯覚に陥ってしまう」と言ったら、そんな馬鹿なことはない。ただ42度で入浴しているのが一番安全だと妄信しないように喚起を促すためにそのような表現をしたまでの事と言われるかも知れない。
しかし、この説明で決定的に欠けていたのは、42度で入浴する人員数と、47度などと言う高温で入浴する人員数が夫々何人いて、其の夫々の人員で温度別夫々の事故人員を割ってみたら全く違う結果が出ることは前記のように42度が最適と考えている人が圧倒的に多いことから容易に予想される。
何故こんな説明をしたのか、数字の扱いを間違えたら全く違う結果が出るし、それを不審と思わない人が多ければ多いほど、間違った対応をする危険性がある。「非理系風土」と言われると極めて不安を感じる。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年7月21日 (火)

俳諧と人生

学生時代にお世話になった、阿部次郎の著作の中で一寸調べたい所があって、調べているうちに「俳諧と人生」と言う小論文があった。これは予期しないことなので、おおいに興味を惹かれた。

彼は中学時代(旧制)から高等学校時代(同)末期まで真剣にと言う意味では、あまり俳諧に関心の無かったが、その後同志二人と十余年に渉る芭蕉研究を通じて得たものは、事象を通して心を詠う俳諧の美に引き込まれてゆく経過が色々の角度から述べられている。
『芭蕉の「此一筋につながる」生涯に甘んずることが出来なかったら蕉風は遂に成熟せずに流産したであろう。』と芭蕉の功績をたたえている。

『俳諧の取り合わせにおのづからなる深さを与えるものは、万物に魂を打ち込むその魂の深さである。単純な写生の勉強はそれだけで決して俳諧の修練とはならない。これは写生の勉強を排斥する意味ではなくて、それが魂に徹底する向上の手段となることを要求するのである。それが一切の根源なる心の地の涵養として消化されることを要求するのである。』とも述べている。

記述内容は至極高邁に聞こえるが通読すると俳諧の真髄の一端を知り得て興味がある。なお本論文は大正十年(1921)前後の作と思われる。
そして戦後、桑原武夫の提唱した所謂「第二芸術論」とも対比して見ると、両者の俳諧に対する理解の程度が比較できて興味がある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月11日 (土)

或る絵画展

7月7日は七夕の日。偶々何年振りかに、上田市郊外は青木村の大法寺を訪れた。此処には国宝の三重の塔(見返りの塔と呼ばれる)がある。
090707
写真のように上品で美しい輪郭を持った塔で、鎌倉時代末期の創建と言われる。同じ様式の塔は奈良興福寺の三重の塔がある。

三重の塔の美しさに見とれた後、其の寺の入口にある青木村郷土美術館に寄った。
実は此処に美術館のある事を今まで知らなかった。それほどこじんまりとしていて、訪れる人も少ないのであろう。この日も其処の入口に立ったら、係員が灯を点してくれたので始めて開館していることを知った。

我が家秘蔵の、私が愛する絵画展」と横書きした紙が張られていた。
入ってみて何故こんな田舎に、こんな書があるのか驚いた。と言うのは、歴史上でも知られている、尾崎行雄と犬養毅の書が飾られていたからである。Photo_2 
尾崎咢堂行雄の書
Photo_3
犬養木堂毅の書

両者とも広く知られた政治家で多言を要しないが、尾崎行雄は「憲政の神様」と呼ばれ、犬養毅はご存知「5・15事件」の凶弾に倒れた時の総理大臣。
この大物の書が何故この地の人が秘蔵していたのだろうか、又両者がこの地を訪れたことがあったのかどうか。詳細を聞く時間の無かったのが惜しまれる。
遥か昔の歴史が蘇ってきて、軍閥跋扈の時代の歴史と果敢に立ち向かった政治家の姿が脳裏をかすめた。

Photo_5 ついでながら此の村には、S氏という画家が住んでいる。写真は其の絵の一つである。

(尚、写真の絵の背後に幽かに残っている影は、この絵の陳列場所の反対側の壁面に飾られていた絵が、この絵の額のガラスに幽かに反映しているためである。)

他にもシャガールの絵を始め、感動的な絵画が出品されていて、この郷土美術館を訪問して良かった。限られた日数の展示であって訪れた7日がその初日であったことは真に僥倖であった。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2009年7月10日 (金)

卒寿翁の句集「老楽」

俳誌「海坂(うなさか)」の重鎮であり、「馬酔木(あしび)」の同人でもある野原春醪氏から句集「老楽(おいらく)」を頂いた。

著者に就いては既に「晩学抄」で紹介したように大正3年2月生まれと言うから、既に95歳を越して尚矍鑠として後輩の指導に当たられると共に、今回は第5句集「老楽」を上木された。
Photo
俳誌「馬酔木」の水原 春郎主宰は、同句集の帯文の中で次のように述べている。
   『 百寿待つ春の故山に抱かれて  春醪
春醪さんは卒寿をすぎてますます大人の風格を濃くされている。自然を愛し人を愛す悠々たる日々。今まさに人生の実りの刻、句も然り。あやかりたいものだ。』と、記されている。

句集名の「老楽」は、著者のあとがきによれば
『講談社「大字典」と小学館「日本国語大辞典」にある言葉から取りました。言葉の意味は「年老いて楽しむ」と解してありました。』とあるように、著者の生き方そのままを現している句集名である。

句集の構成は、第4句集「晩学」同様に春、夏、秋、冬、新年の5分類に整理されている。その中からランダムに且つ順不同に句を拾ってみる。 
   白木蓮を心の花に卒寿かな
   甚平の似合ふ卒寿となりにけり
   待春の切なる卒寿半ばかな
   百歳を目指す寒灸据ゑにけり
   百寿待つ春の故山に抱かれて
と矍鑠と生を楽しんでいる様子が手に取るようだ。
伊吹山北麓生まれの著者の、故郷に寄せる想いは一入強い。
   伊吹嶺の星をあつめて夜干梅
   湖と空つなぐ伊吹山の楤芽摘む
   この橋を越ゆれば生家豆の花
   伊吹嶺も闇濃き夏に入りにけり
   蛍火の闇青々と故郷かな
   伊吹嶺の神の旅立つ天狗風
と挙げだしたらきりがない。それほど故郷に寄せる想いは深い。
身は晩学と謙遜されながら勉学にいそしみ、
   新刊書めくれば匂ふ春の風
   晩学に励む夏帽買ひにけり
   菖蒲湯を出て晩学に励みけり
等々励んでおられるのが長寿への一因でもあろう。
著者の精神的な強さの一端を示す句が散見される。
   納得がゆかず苺をつぶしをり
   清らかに老ゆる思案の温め酒
   年初なり暫し頑固を慎まむ
父母への思慕も著者の優しさの一端か。
   花冷や空魚籠を提げ父戻り
   正露丸残し父逝く敗戦日
   三ケ日母の笑み皺増えてをり
   亡き母の未完の写経秋思満つ
奥様との生活を赤裸々に詠い、読者の心を打つ。
   老妻と家伝の味噌を仕込みけり
   病む妻の命いたはる炉を開く
   短夜の夢や仏の妻と酌み
   夏座敷遺影の妻と風分ち
   ありし日の妻の座に坐す良夜かな
お子さんを優しく見守りつつ、親の喜びも哀愁も詠う。
   立泳ぎしつつ見守る吾子ふたり
   嘉定梅遊学の子に持たせけり
   早世の子の忌近づく朴落葉
春夏秋冬新年の風景を詠った句は多く、平明な叙述と抜群の語彙の豊富さによって叙情が深められる。その中から好きな句を抽出してみる。
   護摩の火に闇の退く送水会
   初蝶の越えかねてゐる石舞台
   村滅び瀬々いきいきと山桜
   靄ごめの蘆の芽育つ輪中かな
   青むまで鎌研ぎ上ぐる麦の秋
   野生馬の嘶しげき海霧の中
   荒海へのけぞり枇杷の袋かけ
   大津絵の風神ゑまふ夏座敷
   蚊遣火を先づ焚く杣の夕餉かな
   青葉木菟寂びさびと声放ちけり
   満願の杖を納めし爽気かな
   胡麻叩く天下分目のいくさ跡
   鯔跳ねて八雲旧居の夕づける
   神島の釣の一夜を星流る
   実むらさき海野格子の寂び深め
   無言館木の実しぐれの中にあり
   千枚田その四五枚の蕎麦の花
   海野宿卯建のけぶる初しぐれ
   今も干す曲るまでほす懸大根
   広々と蕎麦を刈り伏せ北信濃
   羽衣の松の枝張る初日差
   初凪や島のましらの礒遊び
   田遊の一の矢天へ放ちけり
   木の匙で啜る卒寿の薺粥

老いて益々矍鑠たる著者の生き方は、まさに水原主宰の記されているとおり悠々たる日々とお見受けする。
句にも詠われているように百歳までもそれ以上もお元気でご活躍されることを祈念する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »