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2009年6月 8日 (月)

松平郷

歴史はいつも一点から始まる。但しその点は才覚・環境・出会い・判断力・決断力等々の要素を保有する点であろう。松平郷を訪れてそんな気がした。

松平郷は現豊田市松平郷にあり、後に天下をとる徳川家康の祖の発祥の地である。
松平郷には、松平氏を偲ぶ歴史的な資料や史跡が多く残されている。その代表的な松平東照宮高月院にかけて2ヘクタールが、「松平郷園地」として整備されている。

松平郷園地の入口に松平郷館がある。入ってみる。
『松平氏は室町時代に時宗の僧である徳阿弥(とくあみ)が東国から遊行の途中、松平郷の在原家の婿に入り松平太郎左衛門親氏(ちかうじ)を名乗ったことに始まる。親氏は稀に見る才覚の持ち主で松平城と居宅を根拠地とし、領地を広げ、道を開き、田畑を開墾し、領民の窮乏を救った。乱世を憂い、天下和順、統一を宿願として、天下峰で天下泰平を祈願、松平城に八幡神社を勧請したといわれる。親氏に始まった松平氏は三代の信光と信広の時、後の将軍となる松平宗家松平太郎左衛門家に分かれた。つとに知られるように宗家は戦国大名に成長し、ついには徳川幕府を開くに至った。太郎左衛門家は松平城と郷内9ケ村を譲られ、常に宗家に仕え戦功をあげた。家康没後元和5年、東照宮を松平郷に勧請、以後明治維新まで将軍家先祖の地を守った。松平郷は江戸時代将軍家御代替りの幕府巡検使の巡検地だった。産湯の井戸は信光、家康の産湯に用いられ祝泉として有名である。』と、松平家家伝に記されている。

園地の中には「笠掛けのかえで」や「見初めの井戸」と名づけられたところがあり、
『親氏(徳阿弥)が高月院(寂静寺)を訪ねる道すがら、この「かえで」に笠を掛け咲き誇る「あやめ」に見とれて一息入れていたところ、そこに「あやめ」を摘んでいた水姫が井戸の水に一輪の「あやめ」を添えて差し出したことが二人の出会いだった。』と、由緒書きにある。

付近には松平東照宮がある。水堀に囲まれた東照宮は、立身出世の神・政治の守り神・安産の神・厄除けの神として崇敬されている。
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又、高月院は貞治6年(1367)の創建で徳川氏の始祖、松平家の菩提寺となっている。慶長7年(1602)寺領100石を徳川家より下賜され以後幕末に至るまで厚遇された。境内は国指定史跡「松平家遺跡」になっていて、初代親氏、二代泰親、四代親忠夫人の墓がある。
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付近一帯は、自然美に溢れ山法師・蛍袋・花水木・花空木・花菖蒲・あじさい・花水木等々の花が咲き乱れていた。
それらを眺めながら歩く遊歩道には室町塀がありその一部は冠木門となっていてそれをくぐると武家屋敷風の休憩所の天下茶屋になっている。

そこを出ると松平家の始祖である親氏の像が建っている。
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当時から天下を取ると言う気概に溢れ 天下取に相応しい名前が各所につけられているが、恐らくはそれは後の世の人がつけたものに違いない。

歴史は真実を伝えがたいもの。
勝てば官軍式の歴史が作られて行くのは良く見るところで、松平郷の各所の 名前もそのようなロマンを思わせる節がある。
産湯井戸なども各所に見られるがここでも二の井戸、三の井戸等々幾つもの井戸があり産湯井戸もその一角を占めている。

何れにしても歴史とロマンを感じさせてくれる郷である。

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