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2009年6月28日 (日)

株主総会

世界的景気後退の中で、今年の株主総会は波乱含みのところが多い。
そんな中でY社の株主総会も6月25日に開催され、結果的には順調に終った後、平部やよいさんのエレクトーンのミニコンサートがあった。
090625 彼女は今もプロのエレクトーン奏者として活躍中である。
写真は当日の演奏風景(静岡新聞)。

使用したエレクトーンは2台で、1台は初期のエレクトーンで品番はD-7、そしてもう1台は2009年モデルである。
曲目はアンニローリーなどを加えて彼女のオリジナル曲を主体にした演奏だった。
2007年の株主総会の後ではピアノ演奏が行われたが、今年はエレクトーンの演奏で、このような企画は嬉しい。

実は、今年はエレクトーが誕生した1959年から数えて50周年に当たる。
社内報などでも紹介があったはずだが、余り目を通していなかったこともあり、今度の株主総会に出るまでそのことに気付かなかった。
下の写真は初期のエレクトーンD-2Bで当時名器と言われロングセラーとなった商品である。
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当時のエレクトーンは写真のように木材もふんだんに使い、スピーカー内蔵型の重厚なもので今から見ても懐かしい。
嫁ぐ前の子らとピアノ・ギター、そしてこのエレクトーンでファミリーアンサンブルを楽しんだ事もあり、今となっては遠い懐かしい思い出である。

1959年に誕生したエレクトーンであるが、開発までの経緯に就いては別途紹介したこともあり、本欄では省略するが、経営的にはエレクトロニクス化への方向転換をする重要な位置づけにあった商品で、以後大きく全体の商品内容が変わってゆくきっかけとなった。

当初の商品は写真(D-2B)のようなものだったが、1960年代後半に入って、Bシリーズが開発されて急速に普及し、1980年代後半にはMEシリーズが出て、スピーカーと本体と切り離され、コンパクトな外観となり、より機能本位となり現在に至っている。

平部さんの演奏を聞きながら、生産開始当時のことが走馬灯のように思い出され感無量だった。

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2009年6月 8日 (月)

松平郷

歴史はいつも一点から始まる。但しその点は才覚・環境・出会い・判断力・決断力等々の要素を保有する点であろう。松平郷を訪れてそんな気がした。

松平郷は現豊田市松平郷にあり、後に天下をとる徳川家康の祖の発祥の地である。
松平郷には、松平氏を偲ぶ歴史的な資料や史跡が多く残されている。その代表的な松平東照宮高月院にかけて2ヘクタールが、「松平郷園地」として整備されている。

松平郷園地の入口に松平郷館がある。入ってみる。
『松平氏は室町時代に時宗の僧である徳阿弥(とくあみ)が東国から遊行の途中、松平郷の在原家の婿に入り松平太郎左衛門親氏(ちかうじ)を名乗ったことに始まる。親氏は稀に見る才覚の持ち主で松平城と居宅を根拠地とし、領地を広げ、道を開き、田畑を開墾し、領民の窮乏を救った。乱世を憂い、天下和順、統一を宿願として、天下峰で天下泰平を祈願、松平城に八幡神社を勧請したといわれる。親氏に始まった松平氏は三代の信光と信広の時、後の将軍となる松平宗家松平太郎左衛門家に分かれた。つとに知られるように宗家は戦国大名に成長し、ついには徳川幕府を開くに至った。太郎左衛門家は松平城と郷内9ケ村を譲られ、常に宗家に仕え戦功をあげた。家康没後元和5年、東照宮を松平郷に勧請、以後明治維新まで将軍家先祖の地を守った。松平郷は江戸時代将軍家御代替りの幕府巡検使の巡検地だった。産湯の井戸は信光、家康の産湯に用いられ祝泉として有名である。』と、松平家家伝に記されている。

園地の中には「笠掛けのかえで」や「見初めの井戸」と名づけられたところがあり、
『親氏(徳阿弥)が高月院(寂静寺)を訪ねる道すがら、この「かえで」に笠を掛け咲き誇る「あやめ」に見とれて一息入れていたところ、そこに「あやめ」を摘んでいた水姫が井戸の水に一輪の「あやめ」を添えて差し出したことが二人の出会いだった。』と、由緒書きにある。

付近には松平東照宮がある。水堀に囲まれた東照宮は、立身出世の神・政治の守り神・安産の神・厄除けの神として崇敬されている。
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又、高月院は貞治6年(1367)の創建で徳川氏の始祖、松平家の菩提寺となっている。慶長7年(1602)寺領100石を徳川家より下賜され以後幕末に至るまで厚遇された。境内は国指定史跡「松平家遺跡」になっていて、初代親氏、二代泰親、四代親忠夫人の墓がある。
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付近一帯は、自然美に溢れ山法師・蛍袋・花水木・花空木・花菖蒲・あじさい・花水木等々の花が咲き乱れていた。
それらを眺めながら歩く遊歩道には室町塀がありその一部は冠木門となっていてそれをくぐると武家屋敷風の休憩所の天下茶屋になっている。

そこを出ると松平家の始祖である親氏の像が建っている。
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当時から天下を取ると言う気概に溢れ 天下取に相応しい名前が各所につけられているが、恐らくはそれは後の世の人がつけたものに違いない。

歴史は真実を伝えがたいもの。
勝てば官軍式の歴史が作られて行くのは良く見るところで、松平郷の各所の 名前もそのようなロマンを思わせる節がある。
産湯井戸なども各所に見られるがここでも二の井戸、三の井戸等々幾つもの井戸があり産湯井戸もその一角を占めている。

何れにしても歴史とロマンを感じさせてくれる郷である。

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2009年6月 7日 (日)

富士山静岡空港

6月4日、富士山静岡空港が開港した。

紆余曲折して今回の開港となったが、当初2000年開港予定が、2003、2006年と延期され漸く2009年3月開港の運びとなったところで信じられない事態が判明した。
滑走路延長上に立木があって計画通りの運行は航空法上不可ということになった。今頃になってのこの事態に唖然とし、その杜撰さにあきれ果てた。その結果は当の責任者である石川知事の辞職と引き換えに、地権者が立木を除去することで、暫定滑走路によって今回の開港となった。
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写真は1番機のJALが福岡へ飛び立つところ(静岡新聞より)であるが、その華々しさとは裏腹に多くの問題を抱えての開港となった。

静岡県は県内に6駅を抱える新幹線が走り、東名高速路が走り、更には第2東名工事が急速に進められている。西へ行くにも東へ行くにも便利は良い。
しかし静岡空港へのアクセスは、浜松駅と静岡駅からの直通バスか、在来線の最寄の駅からのバスかタクシー以外には、直接車で行く方法しかなく、必ずしも便利とはいえない。

東には羽田空港があり、沼津以東は静岡空港より羽田空港の方が便利であり、西にはセントレア(中部国際空港)があって豊橋以西はその方が便利である。
そんな時、なぜこの地に空港が必要なのかとの意見が多く、立木の問題などもその現れの一端である。

静岡県西部には、ヤマハ・ヤマハ発動機・鈴木自動車・本田技研等世界的な企業がある。当然それにまつわる関連企業もあるが、それらを考慮しても、開港前からこの空港の経済的な問題が取り沙汰されているし、地理的問題としても、気象的な影響を受けやすいところにあることも問題視されている。

計画時点での需要予測や空港の運営状況などの現実問題を考えると、県民にとっては諸手を挙げて開港を祝福する感じでないことは確かである。

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