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2009年5月10日 (日)

善光寺ご開帳

善光寺のご開帳は7年毎に行われ、今年はそのご開帳の年に当たり、4月5日から5月31日まで行われる。

善光寺に就いてWikipediaに拠ると、『山号は定額山(じょうがくさん)。古えより、四門四額(しもんしがく)と称して、東門を定額山善光寺、南門を南命山(なんみょうさん)無量寿寺(むりょうじゅじ)、北門を北空山(ほくくうさん)雲上寺(うんじょうじ)、西門を不捨山(ふしゃさん)浄土寺(じょうどじ)とし、天台宗と浄土宗の別格本山ともなっている。

天台宗の大勧進と25院、浄土宗の大本願と14坊により運営されている。大勧進の住職は「御貫主」と呼ばれ、天台宗の名刹から推挙された僧侶が歴代住職を勤めている。大本願はこの手の大寺院には珍しい尼寺で、門跡寺院ではないが代々公家出身者から住職(大本願では「上人」という)を迎えている。現在は鷹司家出身の鷹司誓玉が121世法主となっている。

特徴として、日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられていること、旧来の仏教では排除の多かった女性の救済(女人救済)があげられる。

本堂の中の「瑠璃壇」と呼ばれる部屋に、絶対秘仏の本尊が厨子に入れられ安置されていている。その本尊は善光寺式阿弥陀三尊の元となった阿弥陀三尊像で、その姿は寺の住職ですら目にすることはできない。 瑠璃壇の前には金色の幕がかかっていて、朝事とよばれる朝の勤行や、正午に行なわれる法要などの限られた時間のみ幕が上がり、金色に彩られた瑠璃壇の中を部分的に拝むことができる。

また、日本百観音(西国三十三箇所、坂東三十三箇所、秩父三十三箇所)の番外札所となっており、その結願寺の秩父三十四箇所の三十四番水潜寺で、結願したら、長野の善光寺に参るといわれている。』と、ある。

善光寺本堂に安置される御本尊一光三尊阿弥陀如来は、白雉5年(654)以来の秘仏。その後、鎌倉時代に御本尊の御身代わりとして前立本尊が造られた。
前立本尊は、中央に阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が並ぶ、善光寺独特の一光三尊阿弥陀如来のお姿をされている。普段は御宝庫に安置されているが、七年に一度の御開帳の時だけ、特別にお姿を拝むことが出来る。
Photo_3 
ご開帳のあいだ、ご本堂にお迎えした前立本尊さまの右手中指に結ばれた金の糸は五色の「善の綱」につながり、その綱がご本堂正面に聳える回向柱に結ばれている。
前立本尊さまが右手をあげ、掌を私たちの方に向けておられる姿は、人々の不安や苦しみを取り除いて下さるという意味を表している。その回向柱に触れることによって、ご本尊さまとご縁が結ばれ、極楽往生ができるとされている。また「善の綱」は、仏さま、ご先祖さまと自分を結ぶ命の綱とも言われている。

Photo_5 回向柱は、松代藩が現在の本堂建立の際、普請奉行にあたったというご縁から、毎回松代町から奉納され、本堂前に立てられる。高さ10メートルの回向柱には前立本尊の右の御手に結ばれた金糸が善の綱となって結ばれ、柱に触れる人々にみ仏のお慈悲を伝えてくれると言われている。

写真はその回向柱のレプリカで、左は7年前に求めたもの、右は今回のもの。7年経つと色もこのように重みを増してくる。

ご開帳の時は、通常のお参りに加えて、

回向柱(善の綱)に触れること、
ご戒壇巡り(これはご開帳以外のときも可能)というご本尊さまの真下を通る、真の闇の廊下を通り、ご本尊さまの真下にある錠前に触れて、仏の慈悲と知恵を頂けるように願う。

  春の闇弥陀結縁の錠に触る  山口青邨

それから、特別公開の山門の高楼に登ること
が出来るが何れも、順番待ちの行列が出来る。

  蚕飼(こがい)する国や仏の善光寺 正岡子規
と子規は詠ったが今は養蚕の家は殆どなくなった。
Photo_7
  石畳踏んで朧の善光寺          田中美穂
  花の中御回向柱聳えけり  
  御開帳ねぢれ柱に数珠売女       西本一都
  冠着山の雲被(かず)きたり御開帳   宮坂静生

私は旧制中学時代は、自転車通で毎日善光寺の直ぐ傍を通ったものだが、いつでもお参り出来ると言う気安さからだろうが、時に頭を下げるくらいで本格的にお参りした記憶は余り無い。
その分、現在は長野へ行った時は努めてお参りすることにしている。そして今回は偶々ご開帳とあって、その機会に恵まれた。

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コメント

今春の大連休に善光寺参拝客が大層賑ったとのことで、幼時に仁王門のあたりを遊び場に育った私は非常に嬉しい。
現在の姿になる前の長野駅の駅舎が出来た時に、その内部(二階まで)の見学を市民一般が許されて同級生と一緒に行ったことを記憶している私は駅の形が変わったのが悲しかった。 冬季オリンピックの騒ぎの時も、もう少し善光寺のことを周知させるのに力を入れてくれれば良いのに、と思った。 そうした全般的な時代の流れの中で今春のご開帳の賑わいは大層嬉しいが、訪れた人達にどの程度の説明が行なわれているのか不安だった。
今回のAlpsさんの記事で、”ただ連休に行って来た”だけの人にも分りやすこ解説されているのが嬉しい。 矢張り「自転車通」なんて表記する人でないと、このような解説をして頂けない、と思った次第。

投稿: 佐久間象川 | 2009年5月11日 (月) 03時30分

1990年9月に長野へ行った時、既に足腰が弱っていた母を連れてお戒壇巡りをしてきた。
母は「行きたいけれど、私にはもう無理だよ」と言ったが、「支えてやるから大丈夫だよ」と言って連れて行った。
平地を歩くのには脇を一寸支えてやれば杖を突くぐらいで歩けたが、お戒壇巡りの時は、両側からしっかり支えて、弥陀結縁(けちえん)の錠にも触れさせてやった。
それから1年半後に母は亡くなったが、死ぬまで、あの時お戒壇巡りに連れて行ってもらって良かったと言われて、私たちも本当に良かったなと思った。
あれから3回目のご開帳になる。

投稿: Ajps | 2009年5月11日 (月) 09時10分

大変なご苦労をなさったAlps様の御母上の最晩年に、その様なお気持ちで過ごされたと伺って、私も良かったなと思います。

投稿: 佐久間象川 | 2009年5月12日 (火) 04時32分

佐久間さま
コメント有難う御座います。
 信濃では月と仏とおらがそば 一茶
信州人はやはり年齢とともに、大なり小なり心の底には皆、このような想いがあるのではないでしょうか。

投稿: Alps | 2009年5月12日 (火) 09時23分

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