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2009年5月13日 (水)

合同句集「初生」

合同句集「初生 第十集」を頂いた。

第十集と言えば、当然初版発行より9年間経過していることになり、会員の精進もさることながら毎号の作成に、労を惜しまない、Sさん・Fさんのボランティア活動に敬意を表したい。
一冊の本にまとめると言うことは中々に手間暇のかかることだけにその労苦は察せられる。
10 普通10と言う数は節目の数として何らかのアクションが取られることが多いが、この「初生 第十集」では特にそのようなこともなく、淡々といつものように発行されている。

例年の句集にならって今回も、各自夫々にこの1年を振り返り夫々の想いを述べているのが意義深い。

自分の故郷と子供の頃の思い出、、節目の年の決意、句作のための努力、感動の記録や想い、健康の喜び、家事関連のこと、歳を重ねると言うこと、療友との思い出、朱鷺にまつわる話、句作の動機、自句鑑賞を通しての想い、身辺の出来事、美しい自然を大切に、生活実感、旅行の思い出、季語にまつわる話、敬虔な祈り、健康維持の努力、呆け予防の句作効果等々、夫々の生活実感や思想遍歴、悲喜交々の想い等が綴られていて印象が深い。

投句者は22人。各自20句の投句は例年通り。
以下に主宰の投句から数句、各投句者の各20句から主宰が選んだ「今年の一句」を掲載する。

   晴朗にして風強き建国日
   春楡の芽のまだ固き農学部
   海市かと色めきたちてゐたりしが
   雁落つる空知平野の麦青み
   羊刈る今年も梨の花の頃
   山清水湧きつぎて川勢ひけり
   七色の一目十万本の百合
   雲辺寺より天降(あも)りきし秋遍路
今年の一句
   輪飾の傾いてゐる三十度
   石庭の海より雪の積もりけり
   手のひらに載せて転がすてんとむし
   長老の吾にまかせろ山女焼く
   若緑しりへに疾駆草千里
   峡の宿朝蜩の一頻り
   年越の首まで沈め燗徳利
   気仙沼の秋刀魚届けり生で食ふ
   鶯のほほほほほほで終りけり
   手のひらに載せればたいら夏椿
   一斉に土用蜆を目指す舟
   大蟻を大和で見しも九月かな
   煤払ひ一人不明となりにけり
   南無大師遍照金剛雲の峰
   夕凪や湖上を渡る鐘一つ
   蒟蒻玉角のごとくに芽を出せる
   厄落す頂戴物の長寿箸
   処暑けふの葉書に余白ありにけり
   下駄の緒を少しゆるめに踊りの輪
   いち早く土佐の新米届きけり
   眠さうに廻る水車や草の花

今年もこのような句集を拝見して、夫々に夫々の年輪を重ねていることが垣間見える。気力・体力・知力と言うが、体力・気力が伴っての知力のように感じるこのごろである。投句者の中にも健康のことについて言及しているのも特徴の一つであり、そのように感じる私自身もそれだけ歳をとったと言う証でもあるのだが。  

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2009年5月12日 (火)

羊の毛刈り

朝のローカル放送で浜松動物園で羊の毛刈りをすると聞いて、予定変更して急遽出かけることにした。聞いてはいたが見たことが無い。
歳時記によると『4月か5月頃が多い。かつての日本では(特に敗戦後)、羊が多く飼われていた。その後、経済発展と輸入ウールの影響で飼育頭数は激減。現在は羊の毛を刈る場面を実際に目に出来るのは、観光地やある種のパフォーマンスとしてのものに限られる。』と、ある。

浜松動物園で飼育する羊は、英国原産のサフォーク種のモカ(雌4歳)、ヒカル(雄7歳)、ベス(雌7歳)の3頭。
同園内の「ふれあい広場」の一角で行われた。
そばに20歳代の可愛いい女の子も居たので係員の一人かと思って聞いてみたら、獣医だった。考えて見たら動物園だから獣医がいるのは当たり前のことだが、まさかこの若さの可愛いい獣医がいるとは想像していなかった。
2
同園職員5人が一組となって、頭・前足・後足・背中等を押さえ込んで、1頭づづ電気バリカンや鋏などで慎重に刈り取ってゆく。一寸傷ついた箇所は、獣医がすかさず消毒し薬を塗って縫合してゆく。
上の写真で刈っているのは、若い獣医で手つきも堂に入っている。1.5時間程で作業は終了する。
Photo_3  刈られている内にも時々ピクピクと動くが大概は観念して大人しくしている。
刈られた羊は、涼しげな姿へ衣替えして、軽くなった体一杯に力を漲らせて走り去る。

久しく動物園には行っていなかったが、羊の毛を刈る光景を見ながら此処にも、一所懸命に働いている人たちが居るのを知って頼もしくなった。
殊に若い女の獣医が此処に働いているのを見て、考えれば当たり前のことながら感心した。
羊の毛を刈る光景を見ることが出来た以上に、仄々としたものを感じて帰った。

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2009年5月10日 (日)

善光寺ご開帳

善光寺のご開帳は7年毎に行われ、今年はそのご開帳の年に当たり、4月5日から5月31日まで行われる。

善光寺に就いてWikipediaに拠ると、『山号は定額山(じょうがくさん)。古えより、四門四額(しもんしがく)と称して、東門を定額山善光寺、南門を南命山(なんみょうさん)無量寿寺(むりょうじゅじ)、北門を北空山(ほくくうさん)雲上寺(うんじょうじ)、西門を不捨山(ふしゃさん)浄土寺(じょうどじ)とし、天台宗と浄土宗の別格本山ともなっている。

天台宗の大勧進と25院、浄土宗の大本願と14坊により運営されている。大勧進の住職は「御貫主」と呼ばれ、天台宗の名刹から推挙された僧侶が歴代住職を勤めている。大本願はこの手の大寺院には珍しい尼寺で、門跡寺院ではないが代々公家出身者から住職(大本願では「上人」という)を迎えている。現在は鷹司家出身の鷹司誓玉が121世法主となっている。

特徴として、日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられていること、旧来の仏教では排除の多かった女性の救済(女人救済)があげられる。

本堂の中の「瑠璃壇」と呼ばれる部屋に、絶対秘仏の本尊が厨子に入れられ安置されていている。その本尊は善光寺式阿弥陀三尊の元となった阿弥陀三尊像で、その姿は寺の住職ですら目にすることはできない。 瑠璃壇の前には金色の幕がかかっていて、朝事とよばれる朝の勤行や、正午に行なわれる法要などの限られた時間のみ幕が上がり、金色に彩られた瑠璃壇の中を部分的に拝むことができる。

また、日本百観音(西国三十三箇所、坂東三十三箇所、秩父三十三箇所)の番外札所となっており、その結願寺の秩父三十四箇所の三十四番水潜寺で、結願したら、長野の善光寺に参るといわれている。』と、ある。

善光寺本堂に安置される御本尊一光三尊阿弥陀如来は、白雉5年(654)以来の秘仏。その後、鎌倉時代に御本尊の御身代わりとして前立本尊が造られた。
前立本尊は、中央に阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が並ぶ、善光寺独特の一光三尊阿弥陀如来のお姿をされている。普段は御宝庫に安置されているが、七年に一度の御開帳の時だけ、特別にお姿を拝むことが出来る。
Photo_3 
ご開帳のあいだ、ご本堂にお迎えした前立本尊さまの右手中指に結ばれた金の糸は五色の「善の綱」につながり、その綱がご本堂正面に聳える回向柱に結ばれている。
前立本尊さまが右手をあげ、掌を私たちの方に向けておられる姿は、人々の不安や苦しみを取り除いて下さるという意味を表している。その回向柱に触れることによって、ご本尊さまとご縁が結ばれ、極楽往生ができるとされている。また「善の綱」は、仏さま、ご先祖さまと自分を結ぶ命の綱とも言われている。

Photo_5 回向柱は、松代藩が現在の本堂建立の際、普請奉行にあたったというご縁から、毎回松代町から奉納され、本堂前に立てられる。高さ10メートルの回向柱には前立本尊の右の御手に結ばれた金糸が善の綱となって結ばれ、柱に触れる人々にみ仏のお慈悲を伝えてくれると言われている。

写真はその回向柱のレプリカで、左は7年前に求めたもの、右は今回のもの。7年経つと色もこのように重みを増してくる。

ご開帳の時は、通常のお参りに加えて、

回向柱(善の綱)に触れること、
ご戒壇巡り(これはご開帳以外のときも可能)というご本尊さまの真下を通る、真の闇の廊下を通り、ご本尊さまの真下にある錠前に触れて、仏の慈悲と知恵を頂けるように願う。

  春の闇弥陀結縁の錠に触る  山口青邨

それから、特別公開の山門の高楼に登ること
が出来るが何れも、順番待ちの行列が出来る。

  蚕飼(こがい)する国や仏の善光寺 正岡子規
と子規は詠ったが今は養蚕の家は殆どなくなった。
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  石畳踏んで朧の善光寺          田中美穂
  花の中御回向柱聳えけり  
  御開帳ねぢれ柱に数珠売女       西本一都
  冠着山の雲被(かず)きたり御開帳   宮坂静生

私は旧制中学時代は、自転車通で毎日善光寺の直ぐ傍を通ったものだが、いつでもお参り出来ると言う気安さからだろうが、時に頭を下げるくらいで本格的にお参りした記憶は余り無い。
その分、現在は長野へ行った時は努めてお参りすることにしている。そして今回は偶々ご開帳とあって、その機会に恵まれた。

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2009年5月 8日 (金)

本州最南端 

西国33観音巡拝の旅は、青岸渡寺と華厳寺で満願となったことは既に書いた。

今度の巡拝の、西は姫路の27番札所・圓教寺、北西は天の橋立の28番・成相寺、北東は琵琶湖竹生島の30番・宝厳寺、南は和歌山の2番金剛宝寺(紀三井寺)と広範囲に渉り、特に隔絶して遠い寺は北の33番・華厳寺と南の1番・青岸渡寺である。

今度の旅は、長距離の移動だったが、今回は満願ということもあり、本州最南端の「潮岬」を廻って帰ることになった。結果的には紀伊半島を一周したことになり、2日間の総走行距離は約1100Kmになった。

「此処は串本、向かいは大島、中をとりもつ巡航船」と歌われている、串本を通って紀伊大島に渡る。今は巡航船に代わって「くしもと大橋」と言う高架橋が開通したのでバスで簡単に島に渡ることが出来るようになった。
Photo_6 和歌山県下最大の島で、元々大島と呼ばれてきたが、全国的に大島の名を持つ土地は数多く、それらとの区別のため「紀伊」を附し「紀伊大島」と呼ばれる。また、「串本大島」とも呼ばれる。人口はおよそ2,000人で、島内には農家や自衛隊のレーダー基地等もある。
島内に綺麗な陶器製の大きな飾り(写真)が芝生の上に作られていて、傍の説明書に「トルコに行くとガボンジュックと呼ばれるトルコブルーの目玉のお守りがある。云々」と記されていた。

本州最南端の「潮岬」にはそれを示す二つの標識が建っている。
Img_6821 Photo
北緯33度25分58秒,東経135度45分45秒。
紀伊大島と並び、熊野地方を代表する観光地。吉野熊野国立公園の一部で、日本でも有数の台風銀座であり、台風の位置を表す指標にされることが多い。

前方は太平洋。水平線が丸く 弧を描いている。巨船が往来しているが停まっているように見える。付近の広い公園には茅花(つばな)が風にそよいでいた。

補陀落(ふだらく)という言葉がある。それは、「梵語Potalakaの音写で、観世音菩薩の棲む山を言い、日本では那智山などに擬する。」と広辞苑にはあるが、その那智山に近いこの付近の光景は俳味に富んでいるように思った。
  放流のちぬ黒潮の波に乗る   坂口麗峰
  大灘の月に打ち込む盆太鼓
  黒潮の渦轟々と春兆す      愛須真青
  神留守の末社にすがる峡十戸  藤谷紫映
  料峭や写経におろす那智硯   前田青紀   

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2009年5月 7日 (木)

満願

お寺さんの主催で各地の33観音巡りをしているが、その内の西国33観音巡拝が今度満願となった。西国巡拝の内で特に記憶に新しい処では、上醍醐寺観音正寺がある。

いつも一泊二日の旅で春、秋各2回の旅である。この旅行の難点は2つある。
第1は老人や足腰の悪い人たちもいるので、なるべく参拝する場所の近くまで車で行けるように、小型のマイクロバスを使うが、歩く距離が少ない代わり、長距離を走るときは疲れる。エコノミークラス症候群と言われる飛行機よりもっと狭くてきついが、トイレ休憩を適当に取るのでその点は違う。
第2は一泊二日の巡拝は効率が悪い。往復の時間にとられて、お参りする時間がそれだけ制約される。二泊三日の方が真ん中の一日が丸々使えるので、効率が良いのだが、家庭の主婦は二泊の旅は制約があって行けない人が多いので妥協の結果、一泊二日となる。

今度の西国33観音巡拝はそのような事情があって、平成18(2006)年4月から今度の平成21(2009)年4月まで、計7回・14日で満願となった。

今度巡拝した寺は、岐阜県揖斐川町にある第33番札所で満願霊場である華厳寺と、第1番札所である和歌山県那智勝浦町青岸渡寺(せいがんとじ)の2寺である。
前者は岐阜県と言っても大垣の北方であり、後者は紀伊半島の先端近くで走行距離の長いのが問題だった。

Photo_2  第33番札所の華厳寺は満願の寺で、長い石畳の参道とご多分に漏れず高い石段がある。こんな山奥の寺なのに参道の両側には40数軒の土産物を売る門前町が開けているのには驚いた。

地域も比較的に北方であるため花も遅かった。
俳句の吟行の旅とは違って心経をあげ夫々の想いを込めて祈り、最後は御朱印を頂いて帰るという順であるが、楽しみは、新しい風景や人に触れ、特に女性にとってはお土産買いがある。

那智勝浦の宿舎は「海のホテル 一の滝」で、文字通り熊野灘の那智勝浦港に面しているので久しぶりに熊野灘の日の出を拝すことが出来た。
Img_6707 海の日の出は美しい。そして神々しい。日の出の時間を女将から伺って少々寒い中、窓を開けて日の出を待つ。
日の出を待つ時の一種独特な雰囲気と、胸のときめきが好きだ。
日の出の瞬間の景がなんと言っても素晴らしい。感じ方は人それぞれであろう。(写真はクリックで拡大)

写真の島は弁天島と呼ぶ。大潮の時は陸地とつながって歩いて行けると言う。
このホテルの女将は絵がお上手で二階のロビーには彼女の描いた絵が何枚か掲げられていて爽やかな雰囲気があった。

Photo_3 Photo_4

青岸渡寺は第1番札所で音に名高い那智の滝のあるところ。長い石段を上ってゆくと、塔頭(たっちゅう)が並びその向こうに那智の大滝が望まれ、更に熊野灘が眼前に開ける。
Img_6760

滝の上に水現れて落ちにけり  後藤夜半

滝落ちて群青世界とどろけり   水原秋桜子

滝といえば直ぐに思い出すのはこの句で、実景と荘厳さを巧みに詠みこんでいて妙である。

まこと神の滝にふさわしい。

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2009年5月 5日 (火)

一粒の豆

今から20余年前、Y社に在籍していた頃、元NHKアナウンサーのSさんから聞いた話がある。一緒に聞いた人も何人か居た筈だが今は誰が一緒だったかは記憶にない。
Sさんによれば、この話は実際にあった話でフィクションではないという。その時の話の断片は、今も鮮明に覚えている。当時のメモを元に要約する。

一粒の豆を自分の生きがいにしているお母さんの話

お話に先立って
小学校3年生の兄と1年生の弟を残して、交通事故で父が亡くなった。父は加害者ということで、残された僅かな財産を被害者に没収されてしまった。残された母は他人の好意で、3畳くらいの物置小屋で、親子3人が勉強机と食卓を兼ねたミカン箱一つを置いて、細々と暮らしていた。夜遅くまで働く母も、6ケ月経ち10ケ月経つ内に次第に疲れてくる。そして死のみを考えて暮らすようになる。そんな或る日、母は鍋に豆を一杯入れて、今夜はこれを煮て食べるように兄にメモを残して、いつものように兄弟が寝ている内に働きに出かけた。
兄はそれを煮て弟に食べさせたけれど、しょっぱくて弟は水をかけて食べて寝てしまった。

帰って来たお母さんが見たものは、お兄ちゃんが書いた手紙だった。
「お母さんご免なさい。でも、お母さん僕を信じて下さい。僕は一生懸命に豆を煮たんです。お母さんお願いです、僕の煮た豆を一粒だけ食べて下さい。そして明日の朝、僕にもう一度豆の煮方を教えて下さい。だからお母さん、明日の朝はきっと早く起こして下さい。今夜もご苦労様でした。お休みなさい。」

夜遅く仕事に疲れて帰って来た母は、その手紙を見て泣いた。
お兄ちゃんはあんなに小さいのに、こんなに一生懸命に生きてくれたんだ。申し訳なかった。母はお兄ちゃんの枕元に座り、お兄ちゃんの煮てくれた、そのしょっぱい豆を一粒一粒おしいただいた。周囲にたまたま煮てない豆が一粒残っていた。お母さんはそれを、お兄ちゃんが書いてくれた手紙に包んで、四六時中肌身離さず持って働いた。

10数年が経った。その間お兄ちゃんは塾へも行かず、夜は電気代節約のために、暗くなると電気を消してすぐ寝る毎日だった。
そして昭和50年、お兄ちゃんは大学を卒業して就職した。
「もしあの晩、お兄ちゃんが、この手紙を書いてくれなかったら私たちは、あの晩死んでいたでしょう。」と、後にお母さんはしみじみと語った。

今日は「こどもの日」。こんな話を聞いた事を思い出した。

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2009年5月 4日 (月)

合同句集「きたまど」

鹿沼市在住のK子さんと出会ったのは、北海道の旭岳へ行った時。それ以後のお付き合いになり、毎年合同句集「きたまど」を送って頂いている。

今年も合同句集「きたまど30周年記念特集号」が送られてきた。「継続は力」とは言え、30年間も詠み続け、作り続けてきたご努力に敬意を表したい。

30_3  巻頭言でT氏は「二句一章と一句一章」に就いて触れている。
『ご自身の作「笈摺の朱印ひしめく青葉寺」を例にとって、下5を「青葉寺」でよかったのか「青葉光」のほうがよかったのかなどの迷いが今に残る。ただこれは取り合わせの妙を求める二句一章の宿命的な問題であろう。神ならぬ身の、最高の取り合わせは分かり得ないからである。…私だけかも知れないが、二句一章の句は何カ月か経って見直すと反省することがままあるが、一句一章の句には比較的飽きがこないように思う。…』と書き記している。

またM氏は「30年の歩み」について、
『昭和54年(1979年)発刊の第1集の跋文で
  三椏に小枝孫枝若葉立つ
の作者先生は「俳句は昔から座の文芸といわれている。選という形で相互に干渉し評価しあう存在が不可欠である」と述べられていると書き記し、「きたまど」も今年で31年目を迎え、”小枝・孫枝”の道程を辿りながら”若葉立つ”目標に向かって歩み続けているのが現状であるのだろうか。』と書いている。

掲載されている25人の句から私の好きな句を取り上げて見る。
「作句と選句は表芸、評句は裏芸」と言われ、選句は中々難かしいが、いづれにしても取り上げる人の体験や経緯が反映されるのは当然のこととお許しを得て、且つ選句と好きな句を選ぶのは別と割り切って取り上げる。
  菜の花や崩れ山家に石の蔵
  鳥帰る寡黙の父に常備薬
  ぜんまいの拳の向きのそれぞれに
  薫風や大の字に寝る河川敷
  濯ぎ場は宿場の名残月見草
  烏賊を干す佐渡の媼の京言葉
  初茶の湯膝おくりては膝正し
  色変へぬ松天領の船着場
  下北は晴れてからから風車
  志功流観音権化夕桜
  住み慣れし家に別れの落葉焚
  朴の葉の散り尽くしたる空のあり
  梅雨深し一灯点る大師堂
  手がかりを少し明けをく春障子
  春愁や結ぶに長き靴の紐
  しんしんと冬木の奥の平家塚
  境涯の山里暮らし草の花
  石蕗の花八雲遺愛の高机
  坂多き街の教会雪の花
  たはむれにやがて一心に雪を掻く
  誰かれにほほゑむあかご花菜風
  大冬木幹に噴き出す力瘤
  卒業を繰り上げ征きて還らざる
  凝視する浮子の動きや夏帽子
  征きし日も還らざる日もカンナ燃ゆ

記念特集号とあって、今度の句集では各自15句が投句されている。それに添えられている寸言が夫々の一年間の暮らしや動きや想いが籠もっていて参考になった。
地域賛歌、海外旅行、国内旅行、中には89歳になるばあばの感想等々読んでいて楽しくなる感想が多く、明るい読後感を頂きました。

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2009年5月 2日 (土)

現代俳句を読む

毎月送られてくる俳誌S」に「現代俳句を読む」という欄がありN氏が執筆している。私はS誌が送られてくると必ず目を通す欄の一つがこれである。その評が穿っており、良く研究された内容と表現の巧みさに惹かれるからである。

例えばS誌の5月号には、
  茎の石そこらに置きて人病める  原田 青児
              (「俳句」3月号「年惜しむ」より)

  女正月仕切襖をはづしやり    能村 研三
              (「俳句研究」春の号「方位感」より)

  空腹を知らぬ雀と寒に入る    林 翔
              (「沖」2月号「寒雀」より)

  大根を抜くやしあはせさうな穴  吉田 敏夫
              (「青嶺」12月号「大根」より)

を、取り上げてその解釈と、同じ作者の関連句も引用して句の解釈の奥行きを深めている。

例えば、林 翔氏の空腹を……の句に就いて次の様に解説がされている。
『雀は必ず、人が暮らす場所に棲みつく習性があるそうで、普段では棲息しないような標高のスキー場にも、シーズンになると現れるそうである。人が大勢いる場所は、最低限の餌と猛禽類からの安全が保証されていると判断するわけで「空腹を知らぬ」も、そうした雀の強かさを言ったものだろう。しかし下5の季語が(寒雀ではなく)「寒に入る」であるため、主体は人になり、作者自身が求める「清貧」の生活を「雀」によって暗示しているとも考えられる。「雀」と同様に、その生活が多くを求めず、純粋で強かなのである。季語が寒雀ならば、このような印象はないかも知れない。』と述べている。

同様に他の句に付いても評がなされているが、これだけの評を書くためには、恐らく関連文献も相当調べているであろうことは容易に察せられる。

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