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2009年2月26日 (木)

穂の国

井の国」「毛の国」等、地名には獏としていながら、歴史の匂いのするものがある。

過日、Wさんから 「穂の国という地名があるがその由来を知りませんか」 と聞かれたが、そんな呼び名の地名のあることは漠と承知していたが、改まってその由来はと聞かれたら答える資料を持ち合わせていない。
調べて何か判ればお答えすることにした。

ネットで調べたところでは 『日本列島の丁度真ん中。奥三河の山々に抱かれ、豊川の流れを中心に平野から半島まで1719平方キロに76万人が暮らす東三河地域』 という位しか判らない。これでは答えにならない。

平凡社の「百科事典」で調べてみたら 『東海道に属する上国(延喜式)。大化以前、東三河に穂国(ほのくに)があり、穂国造の本拠は宝飯(ほい)郡にあった。郡名は穂国に由来する宝飫(ほお)の転化したものである。云々』 とある。

これまで判るとその本拠のある豊橋中央図書館で調べれば更に詳しく判る筈だと思い、問い合わせたところ同図書館のHさんから電話があり、「その関係の書を集めておくからいらっしゃる前日にご連絡下されば、わかるようにしておきます」 とのこと。

しかし、所要の為10日間図書館に行けなかったので、取り敢えず、先の資料をWさんへ送ったところ、「古代和名抄あたりに起因しているものと判りました。実は当地の壬生の里、壬生ホールが丹生がなまったものとこじつけていることが気になっていたのでお尋ねした次第です」との返事だった。

その後、豊橋中央図書館を訪ねたところ、Hさんが適当に資料を用意して下さっていた。

豊橋市編「豊橋百科事典」から 「穂国(ほのくに)」 を引くと 『穂国は、現在の東三河地域に大化以前に存在していた国造(くにのみやつこ)支配下の国名である。「国造本紀(こくぞうほんぎ)」によれば、現在の三河国に三河国造と穂国造があった。穂国は、三河各郡の位置関係から見て、奈良期の三河国7郡のうち宝飫(ほお)・八名・渥美の3郡がその範囲と考えられている。穂国の地名は、東三河地域の各所から見ることのできる山、本宮山(ほんぐうさん)~秀(ほ)の山より生じたるものとされ、その地域は、東三河にあたる。大化の改新(645)のとき、西三河の参河と東三河の穂国が合併して三河国となり、国府や国分寺は豊川市の白鳥・八幡付近に設置された。』 と詳しい。

また豊橋市編「豊橋市史(第一巻)」から 「地名の変遷」 を読んで見ると 『現在の豊橋市は、以前の宝飯(ほい)・渥美・八名の3郡にまたがっているが、その3郡すなわち東三河の地域は、古くは穂の国と呼ばれた。国語の「ほ」は、「日本古語辞典」に、「ホ(穂)(秀)-と(芽胚)の分化、穂の意は専らホと表現するが、ヒ(秀)、ヒデ(秀出)をもホと称へ、修飾的には通例連繋助詞ツと結合してホツエ(上枝)、ホツテ(最手)、ホッタカ(秀鷹)の如く用いるが、尚ホコ(矛)(秀子)、ホト(秀処)のように直接これを冠することがあり、実態語としては国のホ、又はマホラなどという用例もある。」 とある。……穂国は、東三河各方面より望まれる印象的な山、今の本宮山より生じた名称であろう。本宮山は、ほの宮の山の意であり、本野が原は、ほの山麓の原の意であり、本坂峠は、ほの境峠の義で、穂の国へ入る峠である。また穂の山より流れ出る川は、ほの川であり、宝(ほ)川、豊(ほ)川と表記したものを誤ってたから川、とよ川と読むに至ったのであろう。』 と記されている。

最近の合併で歴史的地名がいとも簡単に失われている事実は寂しいことである。

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