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2008年12月 4日 (木)

十二月八日

今年もまた12月8日が近づいて来た。1941年(昭和16年)12月8日は我々の年代にとっても特別な日である。

   十二月八日青春欠け初めし    森  洋子
   骰子の一の目赤し開戦日     吉田 ひろし 
   十二月八日靴音消ゆる壁     寺井 治
   十二月八日徴兵なき平和     香川美代子
   十二月八日の航の潮つぶて   友岡 子郷
   十二月八日の記憶無しとせず  相生垣瓜人
   十二月八日一生狂はせり     奥   てるを
   十二月八日よ母が寒がりぬ   榎本 好宏
   十二月八日米研ぐ水の音    白川 宗道
   開戦日くるぞと布団かむりけり  木田 千女

歳時記には十二月八日の季語があって傍題が開戦日となっている。その故か、開戦日で詠った句が少ない。
  Photo_2
写真は当時の新聞の一部を示す(クリックで拡大)。

当時私は旧制中学の2年生だった。以後は戦争一色となった。
しかし戦争はこの時に始まったわけではない。それ以前から始まっていた。満州事変、5・15事件、2・26事件、支那事変、ノモンハン事変等々戦時色の濃くなった末の大戦突入だった。
失われた青春と言えばそれまでのこと。しかし失われたものだけではなく得たものも確かにあった。失った青春だけでは余りにも辛い。得たものは心の中に今もある。それは敢えて言うまい。

今は戦争のあった事をすら知らぬ世代が増えていると聞く。まして5・15事件、2・26事件と言っても判らないだろう。歴史認識の薄さ甘さが再びの愚を繰り返さないとも限らない。

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コメント

1941/12/8朝のことは昨日の出来事の様に明瞭に憶えている。 登校するために自宅の戸口で靴を履いている時にラジオ放送が聞こえた。 既に戦時下ではあったが、その朝の興奮が、翌年に海軍兵学校に入学願書を出す引き金になった。
それから60年以上を経て、先日、某ダンスパーテイで踊りながら相手の女性に、「米国と戦争していた時に・・・」と話し出したら彼女に、「へー。日本が米国と戦争したの?。それで、どちらが勝ったの?」、と云われて、唖然とした。 今の学校では邪馬台国の話は教えても、昭和の歴史は教えない。 この事は昨今の経済情勢よりも更に深刻な問題かもしれない。

投稿: 二人のピアニスト | 2008年12月 6日 (土) 04時38分

上のコメントに補足をします。
「へー。日本が米国と戦争したの?。知らなかった」、と言った、パーテイで会った女性とは、学童でなく、高校生、大学生でもなく、街で普通に見るオバサンであることを補足しておきます。
この人たちと私が、等しく一票を持つ現在の社会のシステムに不安を覚えます。

投稿: 二人のピアニスト | 2008年12月 7日 (日) 02時46分

今は戦争のあったことをすら知らぬ世代が増えているとは聞いていたが、一方でまさかの感がないわけでもなかった。
しかし頂いたコメントを拝見してまさに愕然とする。
歴史教育の上で、日本はこんな悪いことをしてきたという教育ばかりでは、日本人の誇りも、日本に生まれた幸せも感じられないだろうし、不戦を叫んでも口先だけの薄っぺらなものに聞こえる。
そう思うとまたしても戦後教育のあり方を痛感する。
最近の政治家も財界も対症療法ばかりで根底の議論がないし、場合によっては言葉の定義もはっきりさせないままに議論しているのを聞いていると不安がさらに深まる。
12月8日はもう一度そのようなことを考える機会になってくればとの想いを一層強くする。

投稿: Alps | 2008年12月 7日 (日) 21時38分

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