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2008年8月29日 (金)

佐鳴湖

浜松市の西南方に佐鳴湖(さなるこ)がある。
東西600m、南北2.2Km、周囲7Km、面積119ha、水深2m。
三方原台地の水を集め浜名湖に注ぐ谷川が沖積期(約1万年前)に、南端に打ち寄せた砂州によって出口が塞がれて出来た自然湖で、現在は浜名湖と佐鳴川(入野川)で結ばれている。佐鳴湖周辺は風景明媚なので多くの郷土史家、歌人、俳人、画家等が訪れ、賀茂真淵や杉浦国頭等の短歌もある。
   小夜更けて松風高き山寺の
      月はうき代の塵も曇らず    真淵
   入江吹くあき風はやみ浪かけて
      萩のはさわし音そ身にしむ  国頭
Photo
江戸時代末期、入野の文学者・竹村広蔭(ひろかげ)は、その風景に感動し、近江八景にちなんで佐鳴八景と言って愛でた。佐鳴湖の、
 西側:太田の落雁大山の夜雨少林山の秋月
 東側:大良の暮雪三ツ山の晴嵐西湖山の晩鐘
 出口:北浦の帰帆大屋橋の夕照
の八景で、時代と共に周辺の風景も変ったが、当時の竹村の短歌には往時の景が蘇る。(後に昭和時代の歌人・高峰 博も八景を詠んでいるが今回は略。)

太田落雁  かき連ね落ちくる雁の玉づさの
         数も太田のよいのあけぼの
大山夜雨  夜の雨の晴れゆくままに吹く風の
         音にぞひびく大山の松
少林山秋月 影高くうき世はなれて照らすかな
          少林山の秋の夜の月
大良暮雪  払ひあへず重げに見えて見る人は
         大良の山の雪の夕暮
三ツ山晴嵐 山姫の晒せる布と三ツ山の
         あらしに寄する磯の白波
西湖山晩鐘 湖の山もほのかに見えねども
          かすみわけ来る入あいの鐘
北浦帰帆  真帆ひきて舟を並べてきほふなる
         北浦風の吹くにまかせて
大屋橋夕照 ひむがしの浜松の市過ぎ来たる
         夕日にわたるをちこちの人

歌詞は、佐鳴湖の東側台地上の老舗「佐鳴湖ホテル鳥善」の伊達善一郎氏の「佐鳴湖八景(昭和57年10月刊)」から主として引用した。

岸には一部に葦がびっしりと生え、湖を取り囲む台地にかけて坂がかる周囲は鬱蒼と木々が茂り、法師蝉が鳴き、遊歩道に遊んでいる鳥は人が近づいても殆ど逃げない。散策の人も釣をする人も、漕艇の学生もいて、近辺市民憩いの公園になっている。

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2008年8月28日 (木)

上醍醐寺

8月24日の深夜、京都市伏見区にある上醍醐寺で、本尊の准胝(じゅんてい)観世音菩薩を祀ってある、准胝堂が全焼した。

附近には国宝の薬師堂、重要文化財の開山堂、同じく如意輪堂がある。
写真は2006年11月に参拝した時の准胝堂である。
Photo
醍醐寺に依ると、『23日23時頃、大きな雷鳴の直後停電があった。火災はその後に起きたとみられ、「落雷が原因と思われる」』としている。山科署によると、『火災に気づいた僧侶二人は、山中で携帯電話が通じず、停電で電話も使えなかったため、徒歩で下山し通報した』という。
この准胝堂までの山路は麓まで3Km以上歩かなければならない。

Photo 写真(2葉)は、その山路の一部の写真である。
ガイドブックによると西国札所中、もっとも苦しいところで、この観音は「汗観音」とも言われ、それだけ上るのに大変な所という事であろう。
私たちが参拝した時も、老人が主体ともあって、行けども行けども、たどり着かない感じで、降りてくる人に聞いて見ると「まだ序の口ですよ」とか「まだ半ば位でしょう」などと言われ、一人で行ったら恐らく途中から引き返してしまったかもしれない。それだけに上りきって観音堂に辿りつくとほっとして清々しい気分にもなる。下界には京都の市中が広がって眺望も絶佳である。
Photo_4
准胝堂に就いて寺の説明書から必要箇所だけ抜粋すると、
『創建は貞観(じょうかん)16年(874)で…開眼法会が営まれた。しかし再度の炎上と再建を重ねたことは惜しみてもあまりあるものがある。…この新堂は、十方施主の浄財寄進により、昭和43年5月に再建落慶をみたものである。』と、ある。

これだけの堂が再建後僅か40年で再び消失するとは大変なことである。
歴史ある大寺であるから当然再建されるに相違ないが、幸い今回の火災を免れた国宝や重要文化財もある。
今までの火災原因を精査し、防火・消火に就いて、通信手段や景観も含めて、至急抜本的な対策を講じて欲しいと願うのは私だけではないと思う。

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2008年8月 6日 (水)

合同句集「初生」

今年も亦、合同句集「初生第九集」を頂いた。

句集は、浜松市の初生町周辺在住の有志俳人20余名から成る初生句会メンバーが、夫々一年間の労作から各20句を選び、それに一言づつ想いを載せている。俳句も夫々の個性が出ていて素晴らしいが、想いも又素晴らしい。9_2

感想文の最初に、初生句会誕生に絡む回想と、発会当時のご苦心が述べられ、更に当時の感動的な句が紹介されていて胸を打つ。

各自の感想文の中には、この1年間の身ほとりに起こった出来事を取り上げ、夫々の悲喜交々の感想が述べられ、懸命に生きている姿が浮き彫りにされ、感動的であり親近感が一層強くなる。

その中から主宰の数句と、各自20投句の内から主宰が選んだ「今年の一句」を取り上げる。

   鳥渡る奥日光の空を狭(せ)に
   女峰より男体かけて秋の雲
   秋尽くる日や迅雷の立てつづけ
   ひよんどりの里の山枯れ極まれり
   冬といふ字に贅肉のなかりけり
   冬籠り化石になってしまひけり
 今年の一句
   黒文字の花や備前の大き甕
   急ぐ水急がぬ水も澄めりけり
   白足袋の留め金光る寒稽古
   風鈴の短冊代へて我が一句
   牡蠣割女年功序列に座り居り
   満天も三尺花火には狭し
   蓮枯るることにも力要ることよ
   大伯父は一族の長根榾燃ゆ
   張りつめし弦の切れたり木下闇
   駒草や御影石なる蓮華岳
   行き帰り寒鮒釣りの同じ顔
   病棟の窓より見上ぐ雪の峰
   父も子も笛の座継ぎぬ里神楽
   泥と髭つけ海老芋届きをり
   緑蔭や真西向きたる多賀城碑
   墨の香や記帳の席の梅真白
   父逝きて一輪返り咲くあやめ
   山峡に柿色の灯や雪の降る
   初蝉や発声練習あああああ
   充分に寝足る勤労感謝の日
   更衣飾り釦を変へてみし

今日8月6日は「広島原爆の日」。人類に対する初めての核兵器の使用であり、非戦闘員を含めた無差別殺戮であった。現在も多くの被爆者が放射能の後遺症に悩まされている。
このような犠牲の上に今の繁栄が築かれていることを忘れる事は出来ない。
そして俳句を楽しむ事の出来る幸せをしみじみと思う。

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2008年8月 5日 (火)

句集「戸隠第三」

今井恭介(俳号:恭)氏より句集「戸隠第三」を頂いた。

著者は「後記」に概要次のように述べている。
『若い頃は、古稀とか喜寿の年齢は、はるか遠い遠い彼方の様に思って居りましたが、いつの間にか其の年齢に達して終いました。このたび喜寿を記念して句集「戸隠第三」を作りました。……昭和54年に第一句集を平成15年に第二句集を作り、今回は平成元年から平成17年のものを纏めて第三句集「戸隠第三」と致しました。……私達日本人は、地球の上で自信を持って祖先の歩んできた道を、しっかりと後世に伝えなければならないと思います。云々』と、想いの一端を述べて居る。
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著者は、人生の大半を信州の戸隠村(現、長野市戸隠)の村医として地域に貢献してきた。

戸隠と言えば私の故郷の直ぐ近くで過去何十回となく訪れた所でもあるので懐かしい。従って著者の土地に密着した俳句は一々胸に響く。句集も今回で第三句集となる。

本句集を拝見して、
 地域に密着し地域をこよなく愛し、
 本業である医に徹し村医として貢献され、
 ご家族とそのところを得た生き方、
 
戦中派の世界観を垣間見、
 
華麗な人脈に想いを馳せ、等々
まさしく著者の自分史であり、一句一句に夫々の想いが籠められている。
読後、記憶に残る主な句を本書の春夏秋冬の順に記す。

戸隠という地域に密着して、

  戸隠や緑の中に神在す

  戸隠の山屹立す蕎麦の花

  飯綱に笠岳の影秋深し

  飯綱の高みに秋の茜雲

  戸隠や野を焼く煙二つ三つ

  大氷柱地に届かむと崩れたり

  戸隠ゆ横手白根の空遥か

  これはまあ彼岸過ぎても雪二尺

次第に過疎化してゆく村にあって、生業・本業の「村医」に徹し、

  過疎の村柿のみたわわ夕暮るる

  種蒔の話などして村の醫者

  春深し農の醫として五十年

  収穫の話などして村の醫者

  秋日和こころをも診む老醫かな

  聴診器掌に暖めて寒に入る

 特に恩師の主治医としてその最後を看取った時の句は胸に迫る。

    わが涙滂沱と落つる梅雨深し

戦中派の性は拭えず、開戦日の感慨そして又夏ともなれば、沖縄戦や原爆忌そして敗戦日が思い出され、

  敗戦の日の暑かりし若かりし

  沖縄の戦ひ果つる大暑の日

  何はとも不戦の誓ひ敗戦日

  原爆忌八月六日八時十五分

ご家族のことはまさしく家族記録の感あり、仄々としたものを感じさせてくれる、

  三十三回子の忌を修すあの花と

  みちのくに歯學を學び卒業す

  亡き親も子もわが傍に春彼岸

  縁結ぶ明治神宮秋日和

  深雪晴合格の子は聲押へ

俳句を始めて50年のキャリアーは、身ほとりや自然観察の情感も深く、

  春風や道邊に馬頭観世音

  デパートの片隅で待つ日永かな

  蕗の薹ほろほろ苦き喜壽の酒

  秋芳洞太古の風に吹かれをり

  一斉に蝉啼き森が大きくなり

  靜岡の御茶で大暑払ふかな

  巴里祭革命もパリも知らず過ぎ

  霧深し山の果てまで木曾檜

秋ともなれば物想うとき、

  枯野道さき見えずとも行く外なし

  尾花揺るる日本の言葉美はしき

  敬老日いまだ敬して敬されず

  命とは心身一如秋深し

  大雪に籠りて思ふこと多し

華麗なる人脈は著者のご職業との関係やお人柄によるものか、

  父君の醫を継ぎ峡に幾春秋

  先達の叙勲壽ほぐ文化の日

  名工の白壽を祝ふ秋高し

  百歳の天壽を祝ふ秋日和

  越後より鮭賜りて年重ね

等々、人との出会いを大切にされてきた結果と見るべきか。

 そして戦中派の現在の世相に対する感慨も含めて、

  羅も着けずに今の若者は

  七夕や老いても願ふこと多し

爽やかな読後感を頂いた。有難う御座いました。

著者の生き方をモデルに一句。
  合歓の花村醫となりて老いゆくか

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